2018年12月27日
第一章:僕がトルコに行った訳
メルハバ!
今回はそもそも僕が何でトルコに行ったかについてです。
一言で言うと・・・運命なんです。
冗談ではなく、時々本当にそう思う時があります。なぜならトルコ行きを決めた直接の原因が、2011年に起きた東日本大震災だからです。
あの当時、僕は福島にいるどこにでもいる青年でした。それが被災し、避難所や親せきの家を転々とし、人生がめちゃくちゃになったあの事件のあと、ひょんなことからトルコに行くことにしたのです。キッカケは震災のすぐ後、HISが出した「被災者支援プラン」という被災者限定の旅行パッケージを目にしたことから始まります。
内容は被災した人が、少しでも心と体を休める目的で外国に一か月、格安で滞在できるというものでした。
韓国や台湾など、ほとんどのプランが近場の国でしたが、その中になぜかトルコがあり、目にした瞬間とても興味が沸いたんです。
ちょうど震災が起きる前、たまたまトルコに関する記事を見て、親日の国だとか(この思いは後にぶち壊されるんですが)、串本町のエルトゥールル号事件のことなどを耳にし、いつか行ってみたいなと思った矢先に被災、そしてこのプランを見つける・・・なんて偶然だと思いませんか。
それからすぐ行動を開始しました。なんせ参加締め切りが残り二日とあって、すぐに最寄りのHISに行って申し込みをし、パスポートもすぐに更新するため50km離れた福島市に行ったりと、超ギリギリで参加に間に合いました。
二日でよく間に合ったなと、今でも時々思い返します。これがだめだったら、今の僕はいない訳ですからね。
申し込みを済ませた後は、両親を説得しなきゃなりません。急だったから何も相談しなかったので、何を言われるか覚悟してましたが、いざ打ち明けると「行きたいなら行ってこい」と一言。
震災でめちゃくちゃな状況の中、なに考えてるんだと言われるとばかり思っていたので、正直面食らいました。多分この両親の応援がなかったら、諦めてたかもしれないと思うと感謝せずにはいられません。
そして2011年4月15日、震災から約1か月後、僕は初めてトルコの大地に立ちました。
到着は夜だったんでよく分かりませんでしたが、すぐに乗り継ぎの飛行機に乗り、滞在先のカッパドキアに向かいます。こうして僕の1ヶ月のトルコ滞在が始まりました。
しかし次の日、早速この旅行プランの盲点が浮かび上がりました。このプランは超格安で一か月間滞在できるというものでしたが、それ以外何もないのです。
滞在中一日だけ、カッパドキアツアーがありましたが、それ以外何もなく、ノープランで来た僕は最初の一週間は何もせず、ただホテルに引きこもっているしかありませんでした。
他の参加者の人たちは、旅慣れていたり友人と来ていたりとで、楽しんでいるようでしたが、僕は一人参加でしかも当時トルコ語はもちろん英語も全く話せないので、何をするにも気が乗らない感じでした。
そんなんで最初の一週間が過ぎたころ、当時やってたミクシィで一人のトルコ人とメッセージのやり取りを開始しました。
アイハンという人で、ここカッパドキアでトルコ人に日本語を教えているとのことで、よければ是非クラスに来て欲しいとのこと。何もやることがない僕にとっては、正に渡りに船とあって、二つ返事で承諾。場所も滞在先のホテルから徒歩範囲なので、早速その日の授業に顔を出すことになります。
この出会いが、僕のトルコ滞在への第一歩になるとは、この時はまだ僕自身も想像していませんでした。。。
続きはまた別の回で。
皆さんホシュチャカルン!
お名前.com
今回はそもそも僕が何でトルコに行ったかについてです。
一言で言うと・・・運命なんです。
冗談ではなく、時々本当にそう思う時があります。なぜならトルコ行きを決めた直接の原因が、2011年に起きた東日本大震災だからです。
あの当時、僕は福島にいるどこにでもいる青年でした。それが被災し、避難所や親せきの家を転々とし、人生がめちゃくちゃになったあの事件のあと、ひょんなことからトルコに行くことにしたのです。キッカケは震災のすぐ後、HISが出した「被災者支援プラン」という被災者限定の旅行パッケージを目にしたことから始まります。
内容は被災した人が、少しでも心と体を休める目的で外国に一か月、格安で滞在できるというものでした。
韓国や台湾など、ほとんどのプランが近場の国でしたが、その中になぜかトルコがあり、目にした瞬間とても興味が沸いたんです。
ちょうど震災が起きる前、たまたまトルコに関する記事を見て、親日の国だとか(この思いは後にぶち壊されるんですが)、串本町のエルトゥールル号事件のことなどを耳にし、いつか行ってみたいなと思った矢先に被災、そしてこのプランを見つける・・・なんて偶然だと思いませんか。
それからすぐ行動を開始しました。なんせ参加締め切りが残り二日とあって、すぐに最寄りのHISに行って申し込みをし、パスポートもすぐに更新するため50km離れた福島市に行ったりと、超ギリギリで参加に間に合いました。
二日でよく間に合ったなと、今でも時々思い返します。これがだめだったら、今の僕はいない訳ですからね。
申し込みを済ませた後は、両親を説得しなきゃなりません。急だったから何も相談しなかったので、何を言われるか覚悟してましたが、いざ打ち明けると「行きたいなら行ってこい」と一言。
震災でめちゃくちゃな状況の中、なに考えてるんだと言われるとばかり思っていたので、正直面食らいました。多分この両親の応援がなかったら、諦めてたかもしれないと思うと感謝せずにはいられません。
そして2011年4月15日、震災から約1か月後、僕は初めてトルコの大地に立ちました。
到着は夜だったんでよく分かりませんでしたが、すぐに乗り継ぎの飛行機に乗り、滞在先のカッパドキアに向かいます。こうして僕の1ヶ月のトルコ滞在が始まりました。
しかし次の日、早速この旅行プランの盲点が浮かび上がりました。このプランは超格安で一か月間滞在できるというものでしたが、それ以外何もないのです。
滞在中一日だけ、カッパドキアツアーがありましたが、それ以外何もなく、ノープランで来た僕は最初の一週間は何もせず、ただホテルに引きこもっているしかありませんでした。
他の参加者の人たちは、旅慣れていたり友人と来ていたりとで、楽しんでいるようでしたが、僕は一人参加でしかも当時トルコ語はもちろん英語も全く話せないので、何をするにも気が乗らない感じでした。
そんなんで最初の一週間が過ぎたころ、当時やってたミクシィで一人のトルコ人とメッセージのやり取りを開始しました。
アイハンという人で、ここカッパドキアでトルコ人に日本語を教えているとのことで、よければ是非クラスに来て欲しいとのこと。何もやることがない僕にとっては、正に渡りに船とあって、二つ返事で承諾。場所も滞在先のホテルから徒歩範囲なので、早速その日の授業に顔を出すことになります。
この出会いが、僕のトルコ滞在への第一歩になるとは、この時はまだ僕自身も想像していませんでした。。。
続きはまた別の回で。
皆さんホシュチャカルン!
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