2018年03月30日
「越路吹雪物語」最終週
テレビ朝日の昼のドラマ「越路吹雪物語」は、本日の放送をもって完結いたしました。その、本日までの最終週は、このような展開でございます。
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マネージャーであり、作詞家である岩谷時子(市毛良枝)から「秋子(時子の母・原日出子)の容態が急変した」との連絡を受けた吹雪(大地真央)。吹雪にとって秋子は宝塚時代の恩人でもありました。「いま見舞っても認識できないかもしれない」と言う時子でしたが、「姿さえ見られれば良い」の吹雪の声に押されて病院で面会しました。そしてその数日後、秋子はこの世を去ります。
一方で、浅利慶太(近江谷太朗)演出によるリサイタルは成功を収めます。ですが緊張しやすい吹雪は、開演前に必ず腹痛に襲われていました。吹雪自身は「一時的なもの」と軽く流していたのです。さらに、公演のあとは必ずお酒を飲み煙草を吸いながら麻雀に興じる日々。その、「一時的な腹痛」と不摂生が、あとで悲劇を生むのです。
リサイタルの千秋楽を終えた吹雪は、「越路吹雪を卒業する」と言い出します。それは「引退」ではなく、「新境地への挑戦」に向けた宣言でした。その挑戦は、ミュージカルではなく台詞だけの劇に出ること。吹雪は、過去に一度だけ共演した劇団「民藝」の代表である宇野重吉(山本學)のもとをたずねました。重吉はその申し入れを快諾。重吉の演出による二人芝居「古風なコメディ」に出演、本公演・追加公演ともに成功を収めます。そしてその千秋楽のあと、吹雪は猛烈な腹痛に襲われました。
診断結果は両親と同様、末期癌。胃と十二指腸の間に大きな腫瘍があり、開腹手術を試みるも手遅れの状態でした。吹雪の夫の法美(吉田栄作)と時子との間で「病気のことは隠さないように」と吹雪と約束をしていたのですが、ことの重大さ・深刻さから約束を反故にせざるを得ませんでした。
入退院を何度も繰り返した末、「やりたいことは全部やってきたから、この世に未練はない」と言い残して、吹雪は1980年11月7日、56年の生涯に幕を下ろします。それは、全力疾走そのものでした。
没後38年、越路吹雪はいまもなお、人々の心の中に生きています。現役そのものです。
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最終回の最後で越路さんの記念碑が映りましたが、これは港区元麻布・地下鉄麻布十番駅近くの「善福寺」に実在します。
番組では触れませんでしたが、越路さんの夫の内藤法美さんは1988年に他界。片腕であった岩谷時子さんは作詞・訳詞の活動を続けましたが2013年に97歳で亡くなられています。
ところで、越路さんの死因についてですが、さきに触れたように、開演前に起きる「一時的な腹痛」は亡くなる10年も前から起きていたようです。それを軽く流していたのがいちばんの要因だったのかも知れません。早い段階で主治医に相談していれば、早期発見で一命を取り止めていたでしょう。さらに、若い頃からの喫煙や飲酒が、なおのこと寿命を縮めていたとも考えられます。早期発見と生活改善をしていれば、越路さんはもう25〜30年、長生きできたかも知れません。
次のシリーズは1年後になります。その点に関して、別途言いたいことがあるのですが、それは明日。
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マネージャーであり、作詞家である岩谷時子(市毛良枝)から「秋子(時子の母・原日出子)の容態が急変した」との連絡を受けた吹雪(大地真央)。吹雪にとって秋子は宝塚時代の恩人でもありました。「いま見舞っても認識できないかもしれない」と言う時子でしたが、「姿さえ見られれば良い」の吹雪の声に押されて病院で面会しました。そしてその数日後、秋子はこの世を去ります。
一方で、浅利慶太(近江谷太朗)演出によるリサイタルは成功を収めます。ですが緊張しやすい吹雪は、開演前に必ず腹痛に襲われていました。吹雪自身は「一時的なもの」と軽く流していたのです。さらに、公演のあとは必ずお酒を飲み煙草を吸いながら麻雀に興じる日々。その、「一時的な腹痛」と不摂生が、あとで悲劇を生むのです。
リサイタルの千秋楽を終えた吹雪は、「越路吹雪を卒業する」と言い出します。それは「引退」ではなく、「新境地への挑戦」に向けた宣言でした。その挑戦は、ミュージカルではなく台詞だけの劇に出ること。吹雪は、過去に一度だけ共演した劇団「民藝」の代表である宇野重吉(山本學)のもとをたずねました。重吉はその申し入れを快諾。重吉の演出による二人芝居「古風なコメディ」に出演、本公演・追加公演ともに成功を収めます。そしてその千秋楽のあと、吹雪は猛烈な腹痛に襲われました。
診断結果は両親と同様、末期癌。胃と十二指腸の間に大きな腫瘍があり、開腹手術を試みるも手遅れの状態でした。吹雪の夫の法美(吉田栄作)と時子との間で「病気のことは隠さないように」と吹雪と約束をしていたのですが、ことの重大さ・深刻さから約束を反故にせざるを得ませんでした。
入退院を何度も繰り返した末、「やりたいことは全部やってきたから、この世に未練はない」と言い残して、吹雪は1980年11月7日、56年の生涯に幕を下ろします。それは、全力疾走そのものでした。
没後38年、越路吹雪はいまもなお、人々の心の中に生きています。現役そのものです。
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最終回の最後で越路さんの記念碑が映りましたが、これは港区元麻布・地下鉄麻布十番駅近くの「善福寺」に実在します。
番組では触れませんでしたが、越路さんの夫の内藤法美さんは1988年に他界。片腕であった岩谷時子さんは作詞・訳詞の活動を続けましたが2013年に97歳で亡くなられています。
ところで、越路さんの死因についてですが、さきに触れたように、開演前に起きる「一時的な腹痛」は亡くなる10年も前から起きていたようです。それを軽く流していたのがいちばんの要因だったのかも知れません。早い段階で主治医に相談していれば、早期発見で一命を取り止めていたでしょう。さらに、若い頃からの喫煙や飲酒が、なおのこと寿命を縮めていたとも考えられます。早期発見と生活改善をしていれば、越路さんはもう25〜30年、長生きできたかも知れません。
次のシリーズは1年後になります。その点に関して、別途言いたいことがあるのですが、それは明日。
越路吹雪物語 主題歌集 [ 大地真央 瀧本美織 ] |
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