2014年06月08日
青山が森重が好アシスト!“守備の人”勝ち越し弾呼ぶ!
守備を本職とする2人の伏兵がアシストで貢献した。
まずは青山だ。
同点にされた後の後半46分。
ザッケローニ監督と目が合い、
ピッチに投入された。
「ただ(得点を)求められていると思ってチャレンジした」
得点後のキックオフで自陣からロングボールを大久保に通した。
ファーストタッチで劇的な逆転弾を演出。
「状況的にはあれしかない。
最後に自分の良さが出せた」と胸を張った。
広島の横内昭展コーチが「パスの出すタイミング、
場所など常に前の選手の動き出しを見ていた」と
驚く視野の広さを発揮した。
後半14分から今野に代わって入った森重は、
2―2の同30分にペナルティーエリア右サイドで、
巧みなターンから中央へパス。
広島ジュニアユース時代はFWだった攻撃センスで、
本田のゴールを呼び込んだ。
センターバックは吉田を軸に、
今野と森重が激しい先発争いを展開。
「DFとして評価は守りの部分。
90分間出場して守れたときがうれしいし、
それが評価につながる」。
快心の勝利とはいかなかったが、
個人的なアピールには十分だった。
前回のワールドカップ(W杯)南アフリカ大会で2得点。
16強入りに貢献し、
一躍日本代表のエースにのし上がった本田圭佑も、
クラブレベルでは順風満帆とはいかない4年間だった。
W杯前の2010年1月にVVVフェンロ(オランダ)から
CSKAモスクワ(ロシア)へ移籍。
いきなり欧州チャンピオンズリーグで活躍し、
チームでも主軸として存在感を示した。
しかし、
さらなるステップアップを
目指しながら高額な移籍金がネックになり、
強国のクラブへの移籍話が現れては消えた。
我慢を強いられている間に、
負傷での長期離脱も何度か経験した。
今年1月に契約期間満了により、
ようやく念願のビッグクラブACミラン(イタリア)へ。
いきなり10番を背負うも、
低迷する名門でもがく日が続いた。
イタリアのスタイルになかなかなじめず、
不慣れな右MFでの起用。
リーグ戦、
カップ戦で1点ずつ挙げるにとどまり、
「思い描いていたものだけとはいかなかった」と
苦い思いをかみしめた。
ただ、
その苦闘も強靱な精神力を持つ本田には、
次への糧になる。
「右をやったことも、
(思い通りに)できなかったという悔しさも生きる。
全てを生かすつもり」。
この4年間、
本田がいるかいないかでは、
日本の戦いぶりも結果も明らかに違った。
今大会も、
日本の命運を大きく左右する存在。
それは間違いない。
長友佑都の言葉は、
自信に満ちていた。
「トップを目指している。
今までの人生で一つの目標に向かって、
ここまで強い思いと信念を抱いたことはない」。
初出場の南アフリカ大会から4年。
イタリアで自らを磨き、
日本代表不動の左サイドバックの地位を築いた。
今季は大きな成長曲線を描いた。
インテル・ミラノ(イタリア)で、
主に左MFとしてリーグ戦34試合に出場。
決定機に絡む場面が増え、
Jリーグ時代も含めて自己最多のシーズン5得点を挙げた。
「攻撃のアイデアや、
ゴールに絡む部分が驚くほど増えた。
攻撃の才能がないと言われていた僕でも、
これだけ結果を残せた」。
定評のある守備に上積みされた攻撃力。
チームからの信頼も厚く、
時にはゲーム主将を任される存在になった。
豊かなスピードと強靱な体力で、
精力的に上下動を繰り返す。
本田、香川と絡んで生まれる左サイドの三角形は、
日本が誇る大きな武器だ。
前回大会では全4試合にフル出場し、
16強入りに貢献。
「前回は先輩が支えてくれた。
今回は自分が引っ張りたい」。
3月のニュージーランド戦では、
負傷で不在だった長谷部に代わり、
自ら申し出て主将を務める気概も見せた。
今は趣味の読書をしても、
内容が頭に入らないほどワールドカップに意識が向いている。
「目標は、
何度も言っているように優勝。
人々の記憶に残り、
語り継がれる選手になりたい」。
何度も繰り返された言葉が、
頼もしく聞こえる。
2010年ワールドカップ(W杯)南アフリカ大会の
決勝トーナメント1回戦で、
日本はパラグアイにPK戦で敗れた。
「前回のメンバーは、
PKで負けた悔しさを一日も忘れた日はない」。
PKを1本も止められなかった
GK川島永嗣(スタンダール・リエージュ)が、
ブラジル大会に抱く思いは格別だ。
南ア大会後、
川崎からベルギーのリールスへ移籍。
12年には同国屈指の強豪として鳴らす今のチームに移った。
定位置を獲得し、
今季は欧州リーグにも出場した。
日本選手が海外でプレーするのは当たり前のようになったが、
GKの数は多くない。
先駆者といえば、
イングランド2部やデンマークでプレーした
元代表の川口能活(岐阜)。
その先輩と比べれば、
川島は確固たる地位を築いたと言っていい。
「特殊なポジションで、
欧州のチームでやっていくのは、
(なかなか)経験できないこと」。
代表チームが急速に力をつけているベルギーの地で、
力を蓄えてきた。
楢崎正剛(名古屋)から本番直前に
代表の定位置を奪ってから4年。
「ただがむしゃらだった」南ア大会から、
チーム内では年長の部類に入った。
最後方で仲間を鼓舞する存在感も、
ますます重要になっている。
前回以上の躍進を目指す決意を胸に、「
世界中の人を驚かせるような、
サプライズを起こせることを証明していきたい」。
気迫が一段とみなぎっている。
吉田麻也は、
失意の底にいた。
ブラジルで世界の強豪と相まみえた
昨年6月のコンフェデレーションズカップ。
フル出場した2試合で7点を失い、
批判の矢面に立った。
あれから1年。
「あの時は結果を出せなかった。
本番では南アフリカ大会の16強を上回る成績を残したい」。
守備の核となるセンターバックとして、
雪辱への思いが強い。
直近の課題はコンディション向上だ。
今季はサウサンプトン(イングランド)で
出場機会に恵まれず、
3月に左膝負傷。
5月に入り、
対人プレーなどの練習メニューをこなすまでに戻した。
実戦感覚に不安が残るが、
「復帰までのプロセスは分かっている。
心も体もいい準備をしたい」。
焦りの色は見せない。
苦境に動じない性格だ。
オーバーエージ枠で臨んだ2012年ロンドン五輪。
左腕には主将マーク、
負傷明けの右膝にはテーピングを巻き、
体を張った守りでチームを鼓舞した。
ともにプレーした斎藤学(横浜M)は
「雰囲気を引き締めてくれた」と敬意を示す。
注目される舞台で故障に屈せず、
4強入りした経験は大きい。
体の状態について「ロンドンよりは良い。
徐々に慣れて怖さをなくしたい」とも。
日本代表23人で最長身の189センチ。
空中戦での期待を自覚する一方、
堅守を貫く意志が固い。
「いかにクロスを上げさせず、
こぼれ球を拾うか。
責任感を強く持ちたい」。
自らを奮い立たせ、初のひのき舞台を踏む。
ザッケローニ体制で不動の右サイドバックだった
内田篤人(シャルケ)。
今年1月に右太ももを負傷して戦線離脱。
ドイツ1部リーグでも試合に復帰できないまま、
ワールドカップ(W杯)メンバーに選ばれた。
2度目の大舞台。
「拾ってもらった形。
いろんな人への恩返しのためにも
ピッチに立ってプレーしたい」と話す。
2010年南アフリカ大会後、
鹿島からシャルケに移籍。
1季目途中に定位置をつかみ、
欧州チャンピオンズリーグ(CL)で4強入りした。
今季に至るまで、
日本人選手でCLの準決勝を体験したのは内田だけだ。
各国の代表選手を抱えるシャルケで鍛えられ、
「紅白戦からW杯のような気持ちでやっている。
継続してきたことが少しずつ力になっている」。
けがに悩まされても、
レベルの高い環境で培った自信は揺るぎない。
帰国して取り組んだ
国立スポーツ科学センターでのリハビリで、
他競技の選手と交流したことが刺激になったという。
「汗をかきながらやっている女の子や高校生がいてサボれない。
もっとやらないと、
と思った」。
注目を浴びる日本代表として、
気持ちを新たにした。
南ア大会は本番直前に戦術を変更した影響で定位置を失い、
出場なし。
今回も難しい状況で本番を迎えそうだが、
4年前は悔しかった。
無駄にしてはいけない」。
メンバー入りにこぎ着けるまで支えてくれた人への感謝を胸に、
ブラジルの芝に立つことを信じる
ザッケローニ監督の日本代表で、
一貫して主将を務めてきた
長谷部誠が2度目のワールドカップ(W杯)のピッチに立つ。
「チームも個々も成長している。
ブラジルでは、
自分たちらしいサッカーで進化を表現したい」と意気込む。
この1年は厳しい環境に身を置いた。
守備的MFでの出番を求めて、
ウォルフスブルクから今季は同じドイツのニュルンベルクへ。
今年に入って右膝を2度手術し、
30歳の誕生日は病院のベッドで迎えた。
リーグ最終戦で復帰を果たしたが、
チームは2部降格が決まった。
試合勘には不安を残した。
一方で、
「体幹や体の使い方、
柔軟性のいろんなトレーニングができて、
変化を感じられた。
(状態を)けがの前に戻すのではなく、
どれだけ進化できるかと思ってきた。
自分自身に楽しみな部分がある」と
故障したことを前向きに捉えている。
チームへの思いも強い。
4年前は直前合宿で、
突然ゲーム主将に。
今回は4年間、
主将を任された自負がある。
「あの時はキャプテンらしいことをしたかと言えば、
何もしていない。
かつて先輩たちがやってくれたように、
雰囲気づくりに気を配りたい」
南アフリカでは直前のチームづくりに成功し、
W杯16強入りにつなげた。
「合宿もあり、
ぴりぴりすると疲れる。
雰囲気を見て、
声を掛けるのは自分の役目」。
自身にもチームにも大切な残り1カ月。
心構えに抜かりはない。
岡崎慎司は、
2度目のワールドカップ(W杯)への心境を「楽しみ。
前回ほどの気負いがない」と言う。
落ち着きの源は、
4年間で積み重ねたゴールと自信だ。
ザッケローニ監督の下では日本代表最多の21得点。
今季加入したマインツ(ドイツ)で、
欧州主要リーグで日本選手シーズン最多となる15ゴールを決めた。
本田や香川のように、
常に注目される存在ではなかった。
前回のW杯後に加入した
シュツットガルト(ドイツ)ではサイドでの起用が多く、
出番も少なかった。
FWでの出場機会を求めてマインツへ。
「欧州でやっとFWの位置に立てた最初の年。
自分が決めなかったら降格を争うようなチームで、
期待に応えられた」。
結果も内容も伴った充実のシーズンをそう振り返る。
右MFが定位置の日本代表では
守備で忠実にチーム戦術をこなし、
ゴール前へ体ごと飛び込む泥臭さも健在。
「チームのやり方と自分の良さをミックスしてゴール、
という自信は付いた」。
一方で、
「(W杯では)我慢する時間帯もあると思うし、
厳しくても戦い方はある」とも話す。
欧州でのプレーに手応えを得たからこそ、
勝利への道を冷静に見据える。
4年前のW杯は4試合全て途中出場。
デンマーク戦でゴールは決めたが、
喜びは控えめだった。
「前回は自分が世界で戦えるのか、
自分でいいのかという思いがあった。
今は、
自分の良さを出せば絶対にできる。
欧州でやったことを試す機会」。
ブラジルで成長を証明する。
香川真司は初出場となる
ワールドカップ(W杯)ブラジル大会で、
日本代表の攻撃の主軸としての期待を背負う。
前回大会は「サポートメンバー」で現地入り。
「南アフリカで悔しい思いをした。
4年後は必ずピッチで、
チームの中心でやるという意識を持ってきた。
このために4年間努力してきた」。
かみしめるように話した。
その言葉通り、
大きく飛躍した。
ドルトムント(ドイツ)では、
トップ下で攻撃の中心となりリーグ連覇に貢献。
欧州屈指の強豪
マンチェスター・ユナイテッド(イングランド)でも、
移籍最初のシーズンで優勝を味わった。
モイズ新監督が就任した今季は定位置を確保できず、
欧州4季目で初の無得点。
チームは不振を極め、
監督も途中解任と混迷の中でシーズンが終わった。
それでも、
「難しい1年がW杯前の1年だったのも意味がある。
結果を残せなかったのは悔しいけど、
学ぶこともたくさんあった」。
今は不遇の1年も糧にする強い気概がある。
日本代表では昨年11月のベルギー遠征など、
直近の試合では左MFで切れ味を発揮した。
一貫して主力として起用し続けるザッケローニ監督も
「彼の能力を最大限に引き出せるようにチームづくりをする」と
絶大な信頼感を口にする。
初のW杯へ志は高く、
「優勝を目指す」ときっぱり。
「日本は強いチームと思われていない。
結果で証明しないと。
世界へアピールしたい」。
気力に満ちている。
サッカーのワールドカップ(W杯)ブラジル大会に
出場する日本代表23人が決まった。
過去最高の8強入りを目指すザックジャパン。
主力の現在を追う。
大久保嘉人(川崎)が、
再びW杯のピッチに立つ。
前回南アフリカ大会で16強入りに大きく貢献したが、
ザッケローニ監督の下では代表入りは
2012年2月の1度だけだった。
「選ばれなくて当然で、
選ばれたら本当にサプライズ。
どきどき感もあまりなくて平常心でしたね」。静かに喜びをかみしめた。
初出場の前回は全4試合で先発。
ゴールこそなかったが、
堅守速攻に徹したチームで前線からの献身的な守備と
長い距離を走る縦への動きが光った。
当時の岡田武史監督は
「本来の野性味が徐々に戻ってきた」と評価していた。
ザッケローニ監督も12日のメンバー発表会見で、
大久保について「相手に読まれない動き、
意外性を持っている」と期待を語っている。
持ち味は4年前と変わらない。
しかし、
その間にさらに成長できた手応えがある。
川崎に移籍した昨季、
26ゴールで初めてJ1得点王。
中村憲剛を軸に動きながらパスをつなぐスタイルにかみ合い、
「今は充実している」。
2年以上離れていた代表でのプレーにも
「フロンターレでやっていることをやるだけ」と
迷いはない。
開幕時は32歳。
W杯日本代表では遠藤(G大阪)に次ぐ古参になる。
暑い気候、長い移動距離などの厳しい条件下で、
精神的支柱としての期待も大きい。
前回の経験者としての役割を問われ、
「落ち着くことや、
精神面。
悪いところがあれば話し合っていくこと、
(厳しい条件を)どう乗り切るかもすごく大事」。
自覚は十分にある。
ワールドカップ(W杯)
日本代表に初招集された柿谷曜一朗(C大阪)には、
サッカー人生を大きく変えた分岐点がある。
19歳だった2009年途中からJ2徳島で過ごした2年半。
当時を「なくてはならないもの」と振り返る。
16歳でC大阪とプロ契約。
U17(17歳以下)W杯で強烈な印象を残すなど、
早くから非凡な才能は注目された。
しかし、
同期入団で1学年上の
香川真司(マンチェスター・ユナイテッド)らの存在もあり、
出場機会には恵まれなかった。
気持ちの張りを失い、
練習への度重なる遅刻が原因でシーズン途中で徳島に放出された。
生え抜きの柿谷には懲罰とも取れる移籍。
ところが、
徳島で幸運な出会いがあった。
美濃部直彦監督が粘り強く向き合ってくれた。
対話を重ねてサッカーへの姿勢が改まった。
大舞台を前に、
「これからしんどいことや苦しいことも出てくると思うけれど、
立ち止まらずに前に進めるのは、
その2年半があったから」。
今は自信を持って言える。
12年にC大阪に復帰し、
翌年にはクラブ伝統のエースナンバー8番を託された。
夏の東アジア杯で代表デビューし、
J1で3位の21得点。挫折から一気に階段を駆け上がった。
「選ばれた者にしか味わえないものを大いに楽しみたい。
歴史に名を刻んでいけるように」と24歳の夢は膨らむ。
W杯で周囲を驚かす輝きを放ち、
世界へ飛び立つ扉を開こうと思っている。
日本代表23人でただ一人の3大会連続選出。
最年長34歳の遠藤保仁(G大阪)は、
前回のワールドカップ(W杯)
南アフリカ大会より若返った
平均年齢26.8歳のチームにとって
欠かすことのできない存在だ。
「誰よりもW杯を経験している。
今まで戦ってきたメンバーもいるし、
一緒に行けない仲間の分まで頑張りたい」。
いつもひょうひょうとした遠藤の言葉が、
使命感に満ちていた。
1999年のワールドユース(現U20W杯)
準優勝メンバーで、
「黄金世代」と呼ばれた。
海外経験もある同年代の稲本潤一(川崎)や
小野伸二(ウエスタンシドニー)らが
代表から遠ざかる一方で、
Jリーグ一筋の遠藤は
国際Aマッチの最多出場記録を更新し続けている。
過去のW杯では苦楽も味わった。
2006年ドイツ大会では、
フィールドプレーヤーでただ一人出場できなかった。
その悔しさを糧に、
前回大会では全試合に先発。状況を一瞬で変えるパス、
正確なFKだけでなく、
劣勢のときに落ち着きをもたらす判断力は
大舞台で大きなよりどころとなる。
「やるべきことをしっかりやった上で、
普段通りプレーしたい」。
どっしり構える姿は頼もしい。
個性豊かなメンバーで戦う長期戦では、
協調性も大きなカギになる。
「チームがうまく回るために、
自分の役割が大きいと思う。
一つにまとまって大会に臨めるような雰囲気をつくりたい」。
ピッチ外でのかじ取り役もまた、
自身の大きな仕事と自覚している。
守備の要の今野泰幸(G大阪)には
2度目のワールドカップ(W杯)。
ブラジル大会は雪辱を期す舞台となる。
「年齢的にもラストだと思う。
チームで日本の良さを出して、
世界にアピールしたい」との思いは強い。
2010年南アフリカ大会は、
サイドバックのレギュラーと目されていた。
ところが、
強化試合のコートジボワール戦で膝を負傷し、
本番ではデンマーク戦の終了間際に出ただけ。
「経験したうちに入らない。
1回もボールに触らなかった」。
悔しさだけが残った。
ザッケローニ監督の下では、
主にセンターバックとしてレギュラーに定着した。
世界を相手にした戦いでは、
一つのミスが命取りとなるポジション。
堅実で確実なプレーを選択できる今野の判断力は、
日本の最終ラインに安定感をもたらすはずだ。
「勝つために自分ができることは
泥臭いプレー。
体を張るとか、
地味なことしかできないけれど、
それをやり続けたい」と決意を込めた。
G大阪に移籍して3年目。
J2から復帰した今季は開幕から低迷し、
生真面目な性格の今野もかつてない不調に陥った。
先発落ちも経験し、
「どん底くらいまでいった気がするけど、
上がってきている感じはある」。
復調に自信はある。
代表チームでは大久保(川崎)、
川島(スタンダール・リエージュ)と
同学年に当たる31歳。
「責任感、覚悟を持たなくてはいけない。
全力を尽くして、
一つ一つ目の前のことを頑張る」。
ひたむきな姿勢が、
窮地を救う。
ecar
まずは青山だ。
同点にされた後の後半46分。
ザッケローニ監督と目が合い、
ピッチに投入された。
「ただ(得点を)求められていると思ってチャレンジした」
得点後のキックオフで自陣からロングボールを大久保に通した。
ファーストタッチで劇的な逆転弾を演出。
「状況的にはあれしかない。
最後に自分の良さが出せた」と胸を張った。
広島の横内昭展コーチが「パスの出すタイミング、
場所など常に前の選手の動き出しを見ていた」と
驚く視野の広さを発揮した。
後半14分から今野に代わって入った森重は、
2―2の同30分にペナルティーエリア右サイドで、
巧みなターンから中央へパス。
広島ジュニアユース時代はFWだった攻撃センスで、
本田のゴールを呼び込んだ。
センターバックは吉田を軸に、
今野と森重が激しい先発争いを展開。
「DFとして評価は守りの部分。
90分間出場して守れたときがうれしいし、
それが評価につながる」。
快心の勝利とはいかなかったが、
個人的なアピールには十分だった。
前回のワールドカップ(W杯)南アフリカ大会で2得点。
16強入りに貢献し、
一躍日本代表のエースにのし上がった本田圭佑も、
クラブレベルでは順風満帆とはいかない4年間だった。
W杯前の2010年1月にVVVフェンロ(オランダ)から
CSKAモスクワ(ロシア)へ移籍。
いきなり欧州チャンピオンズリーグで活躍し、
チームでも主軸として存在感を示した。
しかし、
さらなるステップアップを
目指しながら高額な移籍金がネックになり、
強国のクラブへの移籍話が現れては消えた。
我慢を強いられている間に、
負傷での長期離脱も何度か経験した。
今年1月に契約期間満了により、
ようやく念願のビッグクラブACミラン(イタリア)へ。
いきなり10番を背負うも、
低迷する名門でもがく日が続いた。
イタリアのスタイルになかなかなじめず、
不慣れな右MFでの起用。
リーグ戦、
カップ戦で1点ずつ挙げるにとどまり、
「思い描いていたものだけとはいかなかった」と
苦い思いをかみしめた。
ただ、
その苦闘も強靱な精神力を持つ本田には、
次への糧になる。
「右をやったことも、
(思い通りに)できなかったという悔しさも生きる。
全てを生かすつもり」。
この4年間、
本田がいるかいないかでは、
日本の戦いぶりも結果も明らかに違った。
今大会も、
日本の命運を大きく左右する存在。
それは間違いない。
長友佑都の言葉は、
自信に満ちていた。
「トップを目指している。
今までの人生で一つの目標に向かって、
ここまで強い思いと信念を抱いたことはない」。
初出場の南アフリカ大会から4年。
イタリアで自らを磨き、
日本代表不動の左サイドバックの地位を築いた。
今季は大きな成長曲線を描いた。
インテル・ミラノ(イタリア)で、
主に左MFとしてリーグ戦34試合に出場。
決定機に絡む場面が増え、
Jリーグ時代も含めて自己最多のシーズン5得点を挙げた。
「攻撃のアイデアや、
ゴールに絡む部分が驚くほど増えた。
攻撃の才能がないと言われていた僕でも、
これだけ結果を残せた」。
定評のある守備に上積みされた攻撃力。
チームからの信頼も厚く、
時にはゲーム主将を任される存在になった。
豊かなスピードと強靱な体力で、
精力的に上下動を繰り返す。
本田、香川と絡んで生まれる左サイドの三角形は、
日本が誇る大きな武器だ。
前回大会では全4試合にフル出場し、
16強入りに貢献。
「前回は先輩が支えてくれた。
今回は自分が引っ張りたい」。
3月のニュージーランド戦では、
負傷で不在だった長谷部に代わり、
自ら申し出て主将を務める気概も見せた。
今は趣味の読書をしても、
内容が頭に入らないほどワールドカップに意識が向いている。
「目標は、
何度も言っているように優勝。
人々の記憶に残り、
語り継がれる選手になりたい」。
何度も繰り返された言葉が、
頼もしく聞こえる。
2010年ワールドカップ(W杯)南アフリカ大会の
決勝トーナメント1回戦で、
日本はパラグアイにPK戦で敗れた。
「前回のメンバーは、
PKで負けた悔しさを一日も忘れた日はない」。
PKを1本も止められなかった
GK川島永嗣(スタンダール・リエージュ)が、
ブラジル大会に抱く思いは格別だ。
南ア大会後、
川崎からベルギーのリールスへ移籍。
12年には同国屈指の強豪として鳴らす今のチームに移った。
定位置を獲得し、
今季は欧州リーグにも出場した。
日本選手が海外でプレーするのは当たり前のようになったが、
GKの数は多くない。
先駆者といえば、
イングランド2部やデンマークでプレーした
元代表の川口能活(岐阜)。
その先輩と比べれば、
川島は確固たる地位を築いたと言っていい。
「特殊なポジションで、
欧州のチームでやっていくのは、
(なかなか)経験できないこと」。
代表チームが急速に力をつけているベルギーの地で、
力を蓄えてきた。
楢崎正剛(名古屋)から本番直前に
代表の定位置を奪ってから4年。
「ただがむしゃらだった」南ア大会から、
チーム内では年長の部類に入った。
最後方で仲間を鼓舞する存在感も、
ますます重要になっている。
前回以上の躍進を目指す決意を胸に、「
世界中の人を驚かせるような、
サプライズを起こせることを証明していきたい」。
気迫が一段とみなぎっている。
吉田麻也は、
失意の底にいた。
ブラジルで世界の強豪と相まみえた
昨年6月のコンフェデレーションズカップ。
フル出場した2試合で7点を失い、
批判の矢面に立った。
あれから1年。
「あの時は結果を出せなかった。
本番では南アフリカ大会の16強を上回る成績を残したい」。
守備の核となるセンターバックとして、
雪辱への思いが強い。
直近の課題はコンディション向上だ。
今季はサウサンプトン(イングランド)で
出場機会に恵まれず、
3月に左膝負傷。
5月に入り、
対人プレーなどの練習メニューをこなすまでに戻した。
実戦感覚に不安が残るが、
「復帰までのプロセスは分かっている。
心も体もいい準備をしたい」。
焦りの色は見せない。
苦境に動じない性格だ。
オーバーエージ枠で臨んだ2012年ロンドン五輪。
左腕には主将マーク、
負傷明けの右膝にはテーピングを巻き、
体を張った守りでチームを鼓舞した。
ともにプレーした斎藤学(横浜M)は
「雰囲気を引き締めてくれた」と敬意を示す。
注目される舞台で故障に屈せず、
4強入りした経験は大きい。
体の状態について「ロンドンよりは良い。
徐々に慣れて怖さをなくしたい」とも。
日本代表23人で最長身の189センチ。
空中戦での期待を自覚する一方、
堅守を貫く意志が固い。
「いかにクロスを上げさせず、
こぼれ球を拾うか。
責任感を強く持ちたい」。
自らを奮い立たせ、初のひのき舞台を踏む。
ザッケローニ体制で不動の右サイドバックだった
内田篤人(シャルケ)。
今年1月に右太ももを負傷して戦線離脱。
ドイツ1部リーグでも試合に復帰できないまま、
ワールドカップ(W杯)メンバーに選ばれた。
2度目の大舞台。
「拾ってもらった形。
いろんな人への恩返しのためにも
ピッチに立ってプレーしたい」と話す。
2010年南アフリカ大会後、
鹿島からシャルケに移籍。
1季目途中に定位置をつかみ、
欧州チャンピオンズリーグ(CL)で4強入りした。
今季に至るまで、
日本人選手でCLの準決勝を体験したのは内田だけだ。
各国の代表選手を抱えるシャルケで鍛えられ、
「紅白戦からW杯のような気持ちでやっている。
継続してきたことが少しずつ力になっている」。
けがに悩まされても、
レベルの高い環境で培った自信は揺るぎない。
帰国して取り組んだ
国立スポーツ科学センターでのリハビリで、
他競技の選手と交流したことが刺激になったという。
「汗をかきながらやっている女の子や高校生がいてサボれない。
もっとやらないと、
と思った」。
注目を浴びる日本代表として、
気持ちを新たにした。
南ア大会は本番直前に戦術を変更した影響で定位置を失い、
出場なし。
今回も難しい状況で本番を迎えそうだが、
4年前は悔しかった。
無駄にしてはいけない」。
メンバー入りにこぎ着けるまで支えてくれた人への感謝を胸に、
ブラジルの芝に立つことを信じる
ザッケローニ監督の日本代表で、
一貫して主将を務めてきた
長谷部誠が2度目のワールドカップ(W杯)のピッチに立つ。
「チームも個々も成長している。
ブラジルでは、
自分たちらしいサッカーで進化を表現したい」と意気込む。
この1年は厳しい環境に身を置いた。
守備的MFでの出番を求めて、
ウォルフスブルクから今季は同じドイツのニュルンベルクへ。
今年に入って右膝を2度手術し、
30歳の誕生日は病院のベッドで迎えた。
リーグ最終戦で復帰を果たしたが、
チームは2部降格が決まった。
試合勘には不安を残した。
一方で、
「体幹や体の使い方、
柔軟性のいろんなトレーニングができて、
変化を感じられた。
(状態を)けがの前に戻すのではなく、
どれだけ進化できるかと思ってきた。
自分自身に楽しみな部分がある」と
故障したことを前向きに捉えている。
チームへの思いも強い。
4年前は直前合宿で、
突然ゲーム主将に。
今回は4年間、
主将を任された自負がある。
「あの時はキャプテンらしいことをしたかと言えば、
何もしていない。
かつて先輩たちがやってくれたように、
雰囲気づくりに気を配りたい」
南アフリカでは直前のチームづくりに成功し、
W杯16強入りにつなげた。
「合宿もあり、
ぴりぴりすると疲れる。
雰囲気を見て、
声を掛けるのは自分の役目」。
自身にもチームにも大切な残り1カ月。
心構えに抜かりはない。
岡崎慎司は、
2度目のワールドカップ(W杯)への心境を「楽しみ。
前回ほどの気負いがない」と言う。
落ち着きの源は、
4年間で積み重ねたゴールと自信だ。
ザッケローニ監督の下では日本代表最多の21得点。
今季加入したマインツ(ドイツ)で、
欧州主要リーグで日本選手シーズン最多となる15ゴールを決めた。
本田や香川のように、
常に注目される存在ではなかった。
前回のW杯後に加入した
シュツットガルト(ドイツ)ではサイドでの起用が多く、
出番も少なかった。
FWでの出場機会を求めてマインツへ。
「欧州でやっとFWの位置に立てた最初の年。
自分が決めなかったら降格を争うようなチームで、
期待に応えられた」。
結果も内容も伴った充実のシーズンをそう振り返る。
右MFが定位置の日本代表では
守備で忠実にチーム戦術をこなし、
ゴール前へ体ごと飛び込む泥臭さも健在。
「チームのやり方と自分の良さをミックスしてゴール、
という自信は付いた」。
一方で、
「(W杯では)我慢する時間帯もあると思うし、
厳しくても戦い方はある」とも話す。
欧州でのプレーに手応えを得たからこそ、
勝利への道を冷静に見据える。
4年前のW杯は4試合全て途中出場。
デンマーク戦でゴールは決めたが、
喜びは控えめだった。
「前回は自分が世界で戦えるのか、
自分でいいのかという思いがあった。
今は、
自分の良さを出せば絶対にできる。
欧州でやったことを試す機会」。
ブラジルで成長を証明する。
香川真司は初出場となる
ワールドカップ(W杯)ブラジル大会で、
日本代表の攻撃の主軸としての期待を背負う。
前回大会は「サポートメンバー」で現地入り。
「南アフリカで悔しい思いをした。
4年後は必ずピッチで、
チームの中心でやるという意識を持ってきた。
このために4年間努力してきた」。
かみしめるように話した。
その言葉通り、
大きく飛躍した。
ドルトムント(ドイツ)では、
トップ下で攻撃の中心となりリーグ連覇に貢献。
欧州屈指の強豪
マンチェスター・ユナイテッド(イングランド)でも、
移籍最初のシーズンで優勝を味わった。
モイズ新監督が就任した今季は定位置を確保できず、
欧州4季目で初の無得点。
チームは不振を極め、
監督も途中解任と混迷の中でシーズンが終わった。
それでも、
「難しい1年がW杯前の1年だったのも意味がある。
結果を残せなかったのは悔しいけど、
学ぶこともたくさんあった」。
今は不遇の1年も糧にする強い気概がある。
日本代表では昨年11月のベルギー遠征など、
直近の試合では左MFで切れ味を発揮した。
一貫して主力として起用し続けるザッケローニ監督も
「彼の能力を最大限に引き出せるようにチームづくりをする」と
絶大な信頼感を口にする。
初のW杯へ志は高く、
「優勝を目指す」ときっぱり。
「日本は強いチームと思われていない。
結果で証明しないと。
世界へアピールしたい」。
気力に満ちている。
サッカーのワールドカップ(W杯)ブラジル大会に
出場する日本代表23人が決まった。
過去最高の8強入りを目指すザックジャパン。
主力の現在を追う。
大久保嘉人(川崎)が、
再びW杯のピッチに立つ。
前回南アフリカ大会で16強入りに大きく貢献したが、
ザッケローニ監督の下では代表入りは
2012年2月の1度だけだった。
「選ばれなくて当然で、
選ばれたら本当にサプライズ。
どきどき感もあまりなくて平常心でしたね」。静かに喜びをかみしめた。
初出場の前回は全4試合で先発。
ゴールこそなかったが、
堅守速攻に徹したチームで前線からの献身的な守備と
長い距離を走る縦への動きが光った。
当時の岡田武史監督は
「本来の野性味が徐々に戻ってきた」と評価していた。
ザッケローニ監督も12日のメンバー発表会見で、
大久保について「相手に読まれない動き、
意外性を持っている」と期待を語っている。
持ち味は4年前と変わらない。
しかし、
その間にさらに成長できた手応えがある。
川崎に移籍した昨季、
26ゴールで初めてJ1得点王。
中村憲剛を軸に動きながらパスをつなぐスタイルにかみ合い、
「今は充実している」。
2年以上離れていた代表でのプレーにも
「フロンターレでやっていることをやるだけ」と
迷いはない。
開幕時は32歳。
W杯日本代表では遠藤(G大阪)に次ぐ古参になる。
暑い気候、長い移動距離などの厳しい条件下で、
精神的支柱としての期待も大きい。
前回の経験者としての役割を問われ、
「落ち着くことや、
精神面。
悪いところがあれば話し合っていくこと、
(厳しい条件を)どう乗り切るかもすごく大事」。
自覚は十分にある。
ワールドカップ(W杯)
日本代表に初招集された柿谷曜一朗(C大阪)には、
サッカー人生を大きく変えた分岐点がある。
19歳だった2009年途中からJ2徳島で過ごした2年半。
当時を「なくてはならないもの」と振り返る。
16歳でC大阪とプロ契約。
U17(17歳以下)W杯で強烈な印象を残すなど、
早くから非凡な才能は注目された。
しかし、
同期入団で1学年上の
香川真司(マンチェスター・ユナイテッド)らの存在もあり、
出場機会には恵まれなかった。
気持ちの張りを失い、
練習への度重なる遅刻が原因でシーズン途中で徳島に放出された。
生え抜きの柿谷には懲罰とも取れる移籍。
ところが、
徳島で幸運な出会いがあった。
美濃部直彦監督が粘り強く向き合ってくれた。
対話を重ねてサッカーへの姿勢が改まった。
大舞台を前に、
「これからしんどいことや苦しいことも出てくると思うけれど、
立ち止まらずに前に進めるのは、
その2年半があったから」。
今は自信を持って言える。
12年にC大阪に復帰し、
翌年にはクラブ伝統のエースナンバー8番を託された。
夏の東アジア杯で代表デビューし、
J1で3位の21得点。挫折から一気に階段を駆け上がった。
「選ばれた者にしか味わえないものを大いに楽しみたい。
歴史に名を刻んでいけるように」と24歳の夢は膨らむ。
W杯で周囲を驚かす輝きを放ち、
世界へ飛び立つ扉を開こうと思っている。
日本代表23人でただ一人の3大会連続選出。
最年長34歳の遠藤保仁(G大阪)は、
前回のワールドカップ(W杯)
南アフリカ大会より若返った
平均年齢26.8歳のチームにとって
欠かすことのできない存在だ。
「誰よりもW杯を経験している。
今まで戦ってきたメンバーもいるし、
一緒に行けない仲間の分まで頑張りたい」。
いつもひょうひょうとした遠藤の言葉が、
使命感に満ちていた。
1999年のワールドユース(現U20W杯)
準優勝メンバーで、
「黄金世代」と呼ばれた。
海外経験もある同年代の稲本潤一(川崎)や
小野伸二(ウエスタンシドニー)らが
代表から遠ざかる一方で、
Jリーグ一筋の遠藤は
国際Aマッチの最多出場記録を更新し続けている。
過去のW杯では苦楽も味わった。
2006年ドイツ大会では、
フィールドプレーヤーでただ一人出場できなかった。
その悔しさを糧に、
前回大会では全試合に先発。状況を一瞬で変えるパス、
正確なFKだけでなく、
劣勢のときに落ち着きをもたらす判断力は
大舞台で大きなよりどころとなる。
「やるべきことをしっかりやった上で、
普段通りプレーしたい」。
どっしり構える姿は頼もしい。
個性豊かなメンバーで戦う長期戦では、
協調性も大きなカギになる。
「チームがうまく回るために、
自分の役割が大きいと思う。
一つにまとまって大会に臨めるような雰囲気をつくりたい」。
ピッチ外でのかじ取り役もまた、
自身の大きな仕事と自覚している。
守備の要の今野泰幸(G大阪)には
2度目のワールドカップ(W杯)。
ブラジル大会は雪辱を期す舞台となる。
「年齢的にもラストだと思う。
チームで日本の良さを出して、
世界にアピールしたい」との思いは強い。
2010年南アフリカ大会は、
サイドバックのレギュラーと目されていた。
ところが、
強化試合のコートジボワール戦で膝を負傷し、
本番ではデンマーク戦の終了間際に出ただけ。
「経験したうちに入らない。
1回もボールに触らなかった」。
悔しさだけが残った。
ザッケローニ監督の下では、
主にセンターバックとしてレギュラーに定着した。
世界を相手にした戦いでは、
一つのミスが命取りとなるポジション。
堅実で確実なプレーを選択できる今野の判断力は、
日本の最終ラインに安定感をもたらすはずだ。
「勝つために自分ができることは
泥臭いプレー。
体を張るとか、
地味なことしかできないけれど、
それをやり続けたい」と決意を込めた。
G大阪に移籍して3年目。
J2から復帰した今季は開幕から低迷し、
生真面目な性格の今野もかつてない不調に陥った。
先発落ちも経験し、
「どん底くらいまでいった気がするけど、
上がってきている感じはある」。
復調に自信はある。
代表チームでは大久保(川崎)、
川島(スタンダール・リエージュ)と
同学年に当たる31歳。
「責任感、覚悟を持たなくてはいけない。
全力を尽くして、
一つ一つ目の前のことを頑張る」。
ひたむきな姿勢が、
窮地を救う。
ecar
【このカテゴリーの最新記事】
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバックURL
https://fanblogs.jp/tb/2486027
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
この記事へのトラックバック