2007年11月05日
ビ・バップの真髄を目の当たり!
土曜日、ある会合に参加しました。
まったく音楽に関係のない人たちの集まりだったのですが、その会場でレッド・ホロウェイのライヴを見ることができたのです。
場所は神奈川県・城ヶ島。白秋の「城ヶ島ブルース」で有名ですね。この記念碑が建っているすぐ隣に、宿泊施設があって、ここで半日をのんびり過ごしましょうというプランだったんですが、夕食後のひととき、楽器フェアで横浜に来ていたレッド・ホロウェイを招いて、1時間半ほどライヴをしてもらったというものなんです。
James "Red" Holloway -BIOGRAPHY-
1927年、アーカンソー州ヘレナ生まれ。
ピアノ奏者の母とバイオリン奏者の父をもち、5歳で母とともにシカゴに移る。
12歳の時、義父からテナーサックスを与えられる。
高校のビッグバンドではクラスメイトのジョニー・グリフィンとともに活躍。
高校在学中の16歳で、ジーン・ライト(後年デイブ・ブルーベック・カルテットの一員となる)に見込まれプロ入り。ジーン・ライトのビッグバンドに3年在籍。
19歳の時、軍隊に入り、米軍第5楽隊のバンドマスターとなる。除隊後、シカゴに戻りユセフ・ラティーフ、デクスター・ゴードンらとともに共演。
1948年、ブルースボーカリストのルーズベルト・スカイに誘われ、スカイのロードツアーに参加。ツアー時にレッドの噂を聞きつけたブルースのスターに次々と雇われる。ウィリー・ディクソン、ジュニア・パーカー、ボビー・ブランド、ロイド・プライス、ジョン・メイヨール、BBキングなど。
1950年代にはシカゴで有名プレイヤーと共演。ビリー・ホリデイ、ベン・ウェブスター、ソニー・ロリンズ、レッド・ロドニー、レスター・ヤング、マッディ・ウオーターズ、ジミー・ラッシング、アーサー・プリソック、ダコタステーション、エディー・ビンソン、ワーデル・グレイ、ジョー・ウィリアムズ、レッド・フォックス、アレサ・フランクリンなど。同時期にライオネル・ハンプトン、ソニースティット、メンフィス・スリム、レフティ・ベイツ、ダニー・オーバービーらとロードツアーに出る。
1960年代に入りオルガン奏者ジャック・マグダフバンドで注目を浴びる(バンドのギター奏者ジョージ・ベンソン)。1963年から66年までの間、全米、ヨーロッパのロードツアーで活躍。
この時期、ヒット曲「ロックキャンディ」なども含め、ジャック・マグダフとアルバムを数枚録音(プレステージ盤)。
1967年にロサンゼルスに移り、1969年には名門クラブ、パリジャンルームのハウスバンドコーディネーター兼メンバーになる。このハウスバンドは以降15年続き、ジャズ、ブルース界の一流プレイヤーを次々と雇うようになった。賃上げ交渉が却下された後にバンドを脱退。クラブはその後8ヶ月で閉鎖。
パリジャンルーム在籍中、ヨーロッパ、南米、日本ツアーのため時折休暇をとる。
77年から82年までレッドとソニー・スティットはデュオを組み、2枚のレコードを録音。フォーキャスト、パートナーズ-ソニーアンドレッド。
それまでにクラリネット、フルート、ピッコロ、ピアノ、ベース、ドラム、バイオリンをマスターしていたレッドに、アルトサックスも演奏するよう勧めたのはソニースティットである。
レッド・ホロウェイの映像
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いやぁ、80歳とは思えない、豪快かつ繊細なサックスを堪能させていただきました。
それにしても、エインターテイナーですね。客にこびる素振りは見せないのですが、ステージ進行やソロの組み立て、ソロ回しなどの演出という端々に、客を飽きさせない彼の気配りが感じられ、それだけで気持ちが良くなってしまいます。
バックのバンドメンたちを盛りたてるのも忘れず、「まず自分の演奏ありき」ではなく、「その空間をいかに気持ちよくさせるか」という、彼の培ってきたジャズ哲学が溢れているように感じました。
特に「セント・トーマス」と「ステラ・バイ・スターライト」は聴き応えあったなぁ。
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