2019年05月15日
長谷部誠が中田英寿に伝えたいこと。 「だから、書いといてください!」
ブンデスリーガ2018-2019シーズン開幕直前のある日、午前と午後に行われる2部練習の合間の昼下がりだった。予定よりも少し早く待ち合わせのカフェに姿を現し、テキパキと注文をする。
「炭酸水の大きなボトルとグラスを3つ」
在独11年の人が発する言葉に注釈をつけるのも野暮というものだが、ドイツ語は流暢だ。テーブルに水が届くと、「飲みますよね?」と当然のようにカメラマンと筆者のグラスに注いでいき、一息つく。「ドイツも暑いですね」と、ささやかな雑談を交わしながらインタビューに入った。
最初に聞いた質問は、こうだった。
なぜドイツでここまで長くプレーできているのか、どういう実感を持ってやっているのか。
いつもは冷静な長谷部が熱っぽく。
すると、長谷部はドイツ移籍当初から現在までの“思い”を、うまくまとめて話してくれた。
「(自分のキャリアは)現在進行形なのですけど……やっぱりこうしてヨーロッパの舞台でやれてるというのは、間違いなくいろんな先輩たちが踏んで来られた段階があってのことだと思います。ヒデさん(中田英寿)もそうだし、そういう方々への感謝は絶対忘れちゃいけないなと思っていて。僕もドイツに来るときには、1人のサッカー選手という以前に“日本人代表”というか、自分への評価がこれからヨーロッパに来る若い日本人選手への評価にもつながるんだろうなと、背負ってやってきた部分もあります」
おそらくは先輩たちが背負ってきたもの、それを感謝とともに後輩に受け継ぐ。いつも冷静沈着な長谷部が、思いのほか熱っぽく話したことに驚いた。
「国っていう概念を取り払いたい」
予想外の話は、他にもあった。長谷部はドイツのクラブに在籍した歴代日本人選手の中で、最も長くプレーしている。ピッチ外の所作や言動も自然だから、よっぽど欧州での暮らしが肌に合っているのだろうと推測していた。ところが本人は、それを否定する。
「確かに海外の中では、ドイツは自分に合ってるかな。だけど、今でも『ドイツと日本とどっちが住みやすいか?』と言われたら、間違いなく日本だと思います。食事もおいしいし、友達も多い。いろんな部分で日本は清潔だし、暮らしやすい。
でも、実際にサッカーがあり、総合的に考えたときには、今は間違いなくこっちが自分には合ってると思います。もちろん現役をやめてからも、こっちに残ることは考えられる。でも、日本でも暮らしたいなとも思うし。まあ、住むのはどこかってはっきり決めなくても、行き来すれば良いのかなと。
正直、そういう“国”っていう概念を、自分の中で取り払いたいなという気持ちはありますよね。別にヒデさんじゃないけど、家持ってなくてもいいじゃんみたいな」
ひとり旅が好きだというのは、独身時代の有名な話ではあるが、「家なんてなくてもいい」という自由人タイプだとは思いもつかなかった。
選手を見極める目は「まったく自信がない」。
ここ数年はフランクフルトとの契約を更新するたびに、「引退後はドイツで指導者のライセンスを取るらしい」「クラブ運営を学ぶ予定だ」と噂が流れる。ただ、本人は具体的にはノープランだと強調しつつ、指導者としての資質については首をかしげる。
「監督とかコーチとか、本当に向いているのかなってよく思いますよ。自分では、『この選手、いいな』と思った選手がなかなか上に行かなかったりとかね。
ニコ(・コバチ、フランクフルト前監督)なんてすごいなと思いました。今季からドルトムントに行ったマリウス・ボルフを最初に見たとき、僕は『えー、試合に出して大丈夫?』みたいに思っていたのに、あっという間に伸びましたからね。
エディン・ジェコやマリオ・マンジュキッチもそうでしたけど、ああやって活躍している選手の急激な伸び方って半端ないんです。そこを見極める目は、まったく自信がないです。ジェコなんて、一緒に練習していて『お前だけはシュート打たないでくれ』って思っていましたからね(笑)」
自虐的なエピソードを話す様子は楽しげだった。とはいえ、まだ心配しなくても、スパイクを脱ぐのはもう少し先のことだろう。
“ありきたり”な質問にも悩んで答える。
インタビューも終盤にさしかかり、今後渡欧を志す後輩たちへ、どんな言葉をかけたいかと聞いてみた。インタビューがまとめに入ったことを示すような、いわば“ありきたり”な質問ではある。だが、長谷部はここで悩み始めた。
「うーん、どうなんですかね。その選手のキャラクターや移籍のタイミングとか、色んなことが絡み合って、やっとうまくいくから……」
雑誌の記事中でも語っているが、長谷部はここまでの10年強、楽しいことよりも辛く苦しいことのほうが多かったと言う。だからこそ簡単に甘いエールを送るわけにはいかないようで、少し頭を抱える。
「簡単なことばかりじゃないし、絶対大変なことも多いし。だけど……それを耐えて、忍んで、どれだけ経験を自分のものにできるか。耐えるだけじゃなくて、そこから前に進めるか。それだけだと思います」
決して意地悪で言っているわけではないというのは、ひしひしと伝わる。期待もしている。
「ヒデさんはサッカー界に携わってもらわなきゃ」
「これまで本物の、真のビッグクラブでプレーした選手って、ヒデさんのローマ、シンジ(香川真司)のマンチェスター・Uくらいかな。だから欧州のトップでプレーする選手が、もっともっと出てきてほしいという気持ちはありますね。それは日本代表とか、日本サッカーの強化につながると思います」
その日本人選手の欧州移籍のパイオニアである中田英寿については、憧れと尊敬の気持ちを込めてメッセージを託してきた。
「ヒデさんはやっぱり、別格だと思いますよ。21歳でペルージャに行って、2点取ったユベントスとのデビュー戦も、『すっげーな』と思いながらテレビで見ていました。それからローマでスクデットも取って。
ヒデさんって、まだ41歳でしょ? 俺、34ですよ(笑)。同じ時代にサッカーをやりたかったですね。サッカー観とか、合いそうな気がするんですよね。あの人は強さもあり、うまさもあり、ダイナミックさもあって。一緒にボランチでコンビを組んでやりたかったって、一番思う選手かもしれない。
僕なんかが偉そうに言うのはあれですけど、やっぱりヒデさんはどういう形であれ、日本のサッカー界に携わってもらわなきゃ困る人だと思いますね。監督なのか、コーチなのか、協会のスタッフなのか、どういう立場かはわからないですけど、何かしら関わってほしい人。ああいう人がいると日本サッカー界もより盛り上がるし注目されると思う。だから、そう書いといてください!」
最後は茶目っ気たっぷりながら、とても長谷部らしいメッセージだった。
ヒデさん、読んでますか?
「炭酸水の大きなボトルとグラスを3つ」
在独11年の人が発する言葉に注釈をつけるのも野暮というものだが、ドイツ語は流暢だ。テーブルに水が届くと、「飲みますよね?」と当然のようにカメラマンと筆者のグラスに注いでいき、一息つく。「ドイツも暑いですね」と、ささやかな雑談を交わしながらインタビューに入った。
最初に聞いた質問は、こうだった。
なぜドイツでここまで長くプレーできているのか、どういう実感を持ってやっているのか。
いつもは冷静な長谷部が熱っぽく。
すると、長谷部はドイツ移籍当初から現在までの“思い”を、うまくまとめて話してくれた。
「(自分のキャリアは)現在進行形なのですけど……やっぱりこうしてヨーロッパの舞台でやれてるというのは、間違いなくいろんな先輩たちが踏んで来られた段階があってのことだと思います。ヒデさん(中田英寿)もそうだし、そういう方々への感謝は絶対忘れちゃいけないなと思っていて。僕もドイツに来るときには、1人のサッカー選手という以前に“日本人代表”というか、自分への評価がこれからヨーロッパに来る若い日本人選手への評価にもつながるんだろうなと、背負ってやってきた部分もあります」
おそらくは先輩たちが背負ってきたもの、それを感謝とともに後輩に受け継ぐ。いつも冷静沈着な長谷部が、思いのほか熱っぽく話したことに驚いた。
「国っていう概念を取り払いたい」
予想外の話は、他にもあった。長谷部はドイツのクラブに在籍した歴代日本人選手の中で、最も長くプレーしている。ピッチ外の所作や言動も自然だから、よっぽど欧州での暮らしが肌に合っているのだろうと推測していた。ところが本人は、それを否定する。
「確かに海外の中では、ドイツは自分に合ってるかな。だけど、今でも『ドイツと日本とどっちが住みやすいか?』と言われたら、間違いなく日本だと思います。食事もおいしいし、友達も多い。いろんな部分で日本は清潔だし、暮らしやすい。
でも、実際にサッカーがあり、総合的に考えたときには、今は間違いなくこっちが自分には合ってると思います。もちろん現役をやめてからも、こっちに残ることは考えられる。でも、日本でも暮らしたいなとも思うし。まあ、住むのはどこかってはっきり決めなくても、行き来すれば良いのかなと。
正直、そういう“国”っていう概念を、自分の中で取り払いたいなという気持ちはありますよね。別にヒデさんじゃないけど、家持ってなくてもいいじゃんみたいな」
ひとり旅が好きだというのは、独身時代の有名な話ではあるが、「家なんてなくてもいい」という自由人タイプだとは思いもつかなかった。
選手を見極める目は「まったく自信がない」。
ここ数年はフランクフルトとの契約を更新するたびに、「引退後はドイツで指導者のライセンスを取るらしい」「クラブ運営を学ぶ予定だ」と噂が流れる。ただ、本人は具体的にはノープランだと強調しつつ、指導者としての資質については首をかしげる。
「監督とかコーチとか、本当に向いているのかなってよく思いますよ。自分では、『この選手、いいな』と思った選手がなかなか上に行かなかったりとかね。
ニコ(・コバチ、フランクフルト前監督)なんてすごいなと思いました。今季からドルトムントに行ったマリウス・ボルフを最初に見たとき、僕は『えー、試合に出して大丈夫?』みたいに思っていたのに、あっという間に伸びましたからね。
エディン・ジェコやマリオ・マンジュキッチもそうでしたけど、ああやって活躍している選手の急激な伸び方って半端ないんです。そこを見極める目は、まったく自信がないです。ジェコなんて、一緒に練習していて『お前だけはシュート打たないでくれ』って思っていましたからね(笑)」
自虐的なエピソードを話す様子は楽しげだった。とはいえ、まだ心配しなくても、スパイクを脱ぐのはもう少し先のことだろう。
“ありきたり”な質問にも悩んで答える。
インタビューも終盤にさしかかり、今後渡欧を志す後輩たちへ、どんな言葉をかけたいかと聞いてみた。インタビューがまとめに入ったことを示すような、いわば“ありきたり”な質問ではある。だが、長谷部はここで悩み始めた。
「うーん、どうなんですかね。その選手のキャラクターや移籍のタイミングとか、色んなことが絡み合って、やっとうまくいくから……」
雑誌の記事中でも語っているが、長谷部はここまでの10年強、楽しいことよりも辛く苦しいことのほうが多かったと言う。だからこそ簡単に甘いエールを送るわけにはいかないようで、少し頭を抱える。
「簡単なことばかりじゃないし、絶対大変なことも多いし。だけど……それを耐えて、忍んで、どれだけ経験を自分のものにできるか。耐えるだけじゃなくて、そこから前に進めるか。それだけだと思います」
決して意地悪で言っているわけではないというのは、ひしひしと伝わる。期待もしている。
「ヒデさんはサッカー界に携わってもらわなきゃ」
「これまで本物の、真のビッグクラブでプレーした選手って、ヒデさんのローマ、シンジ(香川真司)のマンチェスター・Uくらいかな。だから欧州のトップでプレーする選手が、もっともっと出てきてほしいという気持ちはありますね。それは日本代表とか、日本サッカーの強化につながると思います」
その日本人選手の欧州移籍のパイオニアである中田英寿については、憧れと尊敬の気持ちを込めてメッセージを託してきた。
「ヒデさんはやっぱり、別格だと思いますよ。21歳でペルージャに行って、2点取ったユベントスとのデビュー戦も、『すっげーな』と思いながらテレビで見ていました。それからローマでスクデットも取って。
ヒデさんって、まだ41歳でしょ? 俺、34ですよ(笑)。同じ時代にサッカーをやりたかったですね。サッカー観とか、合いそうな気がするんですよね。あの人は強さもあり、うまさもあり、ダイナミックさもあって。一緒にボランチでコンビを組んでやりたかったって、一番思う選手かもしれない。
僕なんかが偉そうに言うのはあれですけど、やっぱりヒデさんはどういう形であれ、日本のサッカー界に携わってもらわなきゃ困る人だと思いますね。監督なのか、コーチなのか、協会のスタッフなのか、どういう立場かはわからないですけど、何かしら関わってほしい人。ああいう人がいると日本サッカー界もより盛り上がるし注目されると思う。だから、そう書いといてください!」
最後は茶目っ気たっぷりながら、とても長谷部らしいメッセージだった。
ヒデさん、読んでますか?
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