2019年02月12日
堂安律は“屈辱感”を胸にリベンジを誓う 長友も期待を寄せる、ずば抜けた向上心
堂安「経験や成長のために来た訳ではない」
2月1日にアブダビのザイード・スポーツ・シティスタジアムで行われた2019年アジアカップ決勝。伏兵・カタールに3失点を喫した日本は苦境を跳ね返せないまま、1−3で無情にもタイムアップの笛を聞くことになった。背番号21を付ける堂安律も呆然とピッチを見つめ、しばらく動けない。表彰式の間も両手を腰に置き、じっと黙って悔しさを押し殺していた。
「優勝するために来たし、それしか考えてなかった。経験とか成長とか、そのために来た訳ではないですから。本当に自分の責任で負けたと感じます」
試合後にこう語気を強めた20歳の若武者にとって、A代表の主力として初の公式大会は屈辱感ばかりが残った。
1月9日の初戦・トルクメニスタン戦で決勝点となる左足シュートを決めた時点では悪くない滑り出しと見られたが、その後はゴールを奪えず、結果を残せない時間が続いた。24日の準々決勝・ベトナム戦でVAR判定によって自ら得たPKを沈め、2ゴール目を挙げたものの、目立った結果はそれくらい。若き新戦力の初舞台としては健闘したものの、「日本を優勝させる」と息巻いていた男にとっては納得のいかない結末に他ならなかった。
「本当に腹立たしいというか、そういう思いを自分に対して感じています。それを発散できるのはピッチの上しかない。今、ここで何かを変えたいと言っても変わらないので、トレーニングや試合から、変えていきたいと思っています」と若きアタッカーはリベンジを誓うしかなかった。
ただ、アジアを制すること、日本代表を勝たせることの厳しさと難しさを再認識したことは、堂安の今後にプラスに働くはず。自らを飛躍させる術(すべ)を真剣に模索するいいチャンスを得たと言ってもいいだろう。
中島が負傷離脱したことにより、南野、堂安との「新2列目トリオ」はそろわなかった
森保一監督率いる新生日本代表が発足した昨年8月に初招集された堂安は、すぐさま攻撃陣の軸と位置付けられた。堂安と南野拓実、中島翔哉からなる「新2列目トリオ」が18年の親善試合で見せた機動力と推進力はすさまじく、アジア王者奪回の切り札になるという期待も高まった。
「描いている絵が3人とも同じ瞬間が多いし、共通意識を持ってプレーできているのかな」と最年少アタッカーも大きな手ごたえを口にしており、3人そろってアジアカップで大暴れしてやろうといった野心も少なからず見て取れた。
ところが、新10番の中島が大会直前に右ふくらはぎの負傷で離脱。「翔哉君がボールを持った時の自分の動き出しは、あの人のおかげで磨かれた僕の武器なので。本当に痛いというのが正直な感想です」と堂安自身も落胆を口にした。ただ「タメを作るプレーは僕自身もできると思っているので、意識しながらやっていきたい」とも語り、頭を切り替えて、自らが中島の役割も務めていく意欲を口にした。
だが、日本は初戦から予想以上に厳しい入りを強いられた。現地時間15時キックオフで気温30度超えという猛暑に見舞われる中、コンディションが上がり切っていない日本選手の動きは重く、堂安自身もファーストタッチが止まらず苦しんだ。「ボールを失ってからの切り替えもすごく遅い」と感じていたという。
前半27分の1失点目は、堂安の不用意な横パスをカットされたのがきっかけ。「今大会で起こる全てが想定内」と本人は繰り返していたが、初戦から0−1のビハインドを背負って試合を折り返すことになるとは夢にも思っていなかっただろう。「それでもハーフタイムには謝るつもりはさらさらなかった」と若武者は言い切る。言葉で詫びるより結果で取り返すことが肝心だと考えたからだ。
後半に入って大迫勇也の2発で逆転し、堂安もようやく躍動感を取り戻した。そして後半26分、南野のスルーパスを受け、巧みな反転で左足を一閃。ネットを豪快に揺らし、3点目を奪うことに成功した。「来た瞬間から打つと決めていました。パンチ力があるシュートを持っているので、それを出そうと意識しました」と強気を貫いた一撃が決勝点となった。
この働きをチーム全体が前向きに受け止めたが、特に喜んだのが大会を通して行動を共にした“師匠”の長友佑都。「20歳で公式戦に出てミスをしたら普通はナーバスになって仕掛けられなくなる選手がほとんど。律はそれでも仕掛けていた。点が取れてよかった」と安堵(あんど)感を吐露していた。
決勝T以降は警戒され、思うような動きができず
これで自信を得た堂安は、続く13日のオマーン戦で、より意欲的な局面打開を試みるようになった。開始早々の2分には、自らのドリブル突破から原口元気にマイナスのボールを入れた。これを原口が決めていたら、もっと楽に勝てていた可能性もあるが、シュートは惜しくもクロスバー。そこから日本は度重なる決定機を逃し、原口のPK1本で逃げ切る苦戦を強いられてしまった。
堂安はPK奪取につながる起点のパス出しを見せたものの、日本通の敵将、ピム・ファーベーク監督に分析され、警戒される部分も少なくなかった。「もう少しアイデアが必要だなと感じた」と本人も述懐するように、相手のマークが厳しくなる中、いかにして解決策を見いだすかという新たな課題も突きつけられた。その難易度は決勝トーナメント以降、試合ごとに上がっていった印象だ。
顕著だったのが、日本のボール支配率が23.7%と攻め込まれた21日のラウンド16・サウジアラビア戦。開始7分に原口のクロスを南野がそらしたボールに反応するシュートシーンをいきなり作ったものの、その後はボールキープできない状況が続いた。レフティーの若武者が左足でファーストタッチをするという癖を相手も分析していて、一歩目の出足を狙われるシーンも目についた。それは28日の準決勝・イラン戦やカタール戦でも何度か見受けられた。
思うようにドリブルを仕掛けられず、前へ出られなくなった堂安は守備に忙殺される。時折、繰り出すカウンターも不発に終わり、いら立ちを募らせた。堂安がドリブル突破という絶対的武器を備えていることは特筆すべき点であり、これからも研ぎ澄ませていくべき部分だ。ただ、日本対策を講じてくるアジアでは、常にその強みを発揮できるわけではない。
ドリブルで確実にタメを作れる中島がいたらよりフリーになって前へ行けたかもしれないが、原口とのコンビでは微妙にリズムが違っていた。南野も徹底マークで苦しむ中、堂安には攻撃陣をどう機能させていくのかという命題が課された。中島不在が影を落としたのは事実かもしれないが、代表攻撃陣の軸を担う堂安には、自らイニシアチブを取って、多彩なバリエーションを示す必要があった。苦しんだサウジ戦などはその重要性を再認識するいい機会になったのではないか。
長友も太鼓判を押す、堂安のメンタルの強さ
主導権を握ったベトナム戦では、酒井宏樹とのタテ関係でサイドを攻略したり、自らのスルーパスから南野が決定機を迎えるようなチャンスを数多く作れていた。自身もPKながら、得点を取れたことでポジティブになれた。「(遠藤航→原口→堂安という流れから)PKを取ったシーンは、あれこそ森保さんが求めているサッカーだと思います。タテパスが入って3人目が絡んで飛び出すという動きがやっと連動できた。今大会初めてじゃないかというくらいの動き出しができた」と堂安自身もうれしそうに語ったほど、手ごたえをつかんだようだ。
準決勝のイランでもその流れを持続させた。前半こそ屈強なフィジカルと当たりを備えた相手に凌駕(りょうが)されたものの、後半に入ってからは運動量と集中力で上回り、大迫の2ゴールと原口のダメ押し点で3−0と圧勝した。ただ、堂安には南野とのワンツーで右サイドを駆け上がり、敵をかわして打った左足シュートを防がれた決定機に象徴される通り、フィニッシュの課題が残された。
「自分は一発を持っていると思っていたけれど、なかなか振り切れず、大会を通してその一発を出せなかった」と決勝後に述懐した通り、A代表デビューしたばかりのアタッカーが大舞台でゴールを奪う難しさを再認識したのは間違いない。「どこで一発を出すのか、自分の特徴をどうやって出すのか。それを逆算してプレーしていきたい」と堂安も自戒を込めて口にしていた。
今大会の日本は、4試合出場の大迫が4得点で、全7試合出場の原口が2得点、6試合出場の堂安と南野がそれぞれ2点と1点。9ゴールを挙げ、得点王とMVPをダブル受賞したカタールのアルモエズ・アリのような傑出した点取り屋は不在だった。総得点も優勝したカタールの19に対して日本は12。これも含めて数字的にも物足りなく映った。
堂安自身もアルモエズ・アリという2つ年上の新星には刺激を受けたことだろう。もともとワールドカップ・ロシア大会に参戦したキリアン・ムバッペ(フランス)やイ・スンウ(韓国)を見て「自分は何をやってるんや」と焦りを覚えていた男だ。さらなるレベルアップへの渇望を強めたに違いない。
「律の向上心は本当にすごいし、ずば抜けている。あの信念の強さがあれば上にいけますよ」と長友も太鼓判を押すメンタルの強さがあれば、優勝を逃した屈辱感をバネにできるはず。堂安のここからの巻き返しに大きな期待を寄せたい。
2月1日にアブダビのザイード・スポーツ・シティスタジアムで行われた2019年アジアカップ決勝。伏兵・カタールに3失点を喫した日本は苦境を跳ね返せないまま、1−3で無情にもタイムアップの笛を聞くことになった。背番号21を付ける堂安律も呆然とピッチを見つめ、しばらく動けない。表彰式の間も両手を腰に置き、じっと黙って悔しさを押し殺していた。
「優勝するために来たし、それしか考えてなかった。経験とか成長とか、そのために来た訳ではないですから。本当に自分の責任で負けたと感じます」
試合後にこう語気を強めた20歳の若武者にとって、A代表の主力として初の公式大会は屈辱感ばかりが残った。
1月9日の初戦・トルクメニスタン戦で決勝点となる左足シュートを決めた時点では悪くない滑り出しと見られたが、その後はゴールを奪えず、結果を残せない時間が続いた。24日の準々決勝・ベトナム戦でVAR判定によって自ら得たPKを沈め、2ゴール目を挙げたものの、目立った結果はそれくらい。若き新戦力の初舞台としては健闘したものの、「日本を優勝させる」と息巻いていた男にとっては納得のいかない結末に他ならなかった。
「本当に腹立たしいというか、そういう思いを自分に対して感じています。それを発散できるのはピッチの上しかない。今、ここで何かを変えたいと言っても変わらないので、トレーニングや試合から、変えていきたいと思っています」と若きアタッカーはリベンジを誓うしかなかった。
ただ、アジアを制すること、日本代表を勝たせることの厳しさと難しさを再認識したことは、堂安の今後にプラスに働くはず。自らを飛躍させる術(すべ)を真剣に模索するいいチャンスを得たと言ってもいいだろう。
中島が負傷離脱したことにより、南野、堂安との「新2列目トリオ」はそろわなかった
森保一監督率いる新生日本代表が発足した昨年8月に初招集された堂安は、すぐさま攻撃陣の軸と位置付けられた。堂安と南野拓実、中島翔哉からなる「新2列目トリオ」が18年の親善試合で見せた機動力と推進力はすさまじく、アジア王者奪回の切り札になるという期待も高まった。
「描いている絵が3人とも同じ瞬間が多いし、共通意識を持ってプレーできているのかな」と最年少アタッカーも大きな手ごたえを口にしており、3人そろってアジアカップで大暴れしてやろうといった野心も少なからず見て取れた。
ところが、新10番の中島が大会直前に右ふくらはぎの負傷で離脱。「翔哉君がボールを持った時の自分の動き出しは、あの人のおかげで磨かれた僕の武器なので。本当に痛いというのが正直な感想です」と堂安自身も落胆を口にした。ただ「タメを作るプレーは僕自身もできると思っているので、意識しながらやっていきたい」とも語り、頭を切り替えて、自らが中島の役割も務めていく意欲を口にした。
だが、日本は初戦から予想以上に厳しい入りを強いられた。現地時間15時キックオフで気温30度超えという猛暑に見舞われる中、コンディションが上がり切っていない日本選手の動きは重く、堂安自身もファーストタッチが止まらず苦しんだ。「ボールを失ってからの切り替えもすごく遅い」と感じていたという。
前半27分の1失点目は、堂安の不用意な横パスをカットされたのがきっかけ。「今大会で起こる全てが想定内」と本人は繰り返していたが、初戦から0−1のビハインドを背負って試合を折り返すことになるとは夢にも思っていなかっただろう。「それでもハーフタイムには謝るつもりはさらさらなかった」と若武者は言い切る。言葉で詫びるより結果で取り返すことが肝心だと考えたからだ。
後半に入って大迫勇也の2発で逆転し、堂安もようやく躍動感を取り戻した。そして後半26分、南野のスルーパスを受け、巧みな反転で左足を一閃。ネットを豪快に揺らし、3点目を奪うことに成功した。「来た瞬間から打つと決めていました。パンチ力があるシュートを持っているので、それを出そうと意識しました」と強気を貫いた一撃が決勝点となった。
この働きをチーム全体が前向きに受け止めたが、特に喜んだのが大会を通して行動を共にした“師匠”の長友佑都。「20歳で公式戦に出てミスをしたら普通はナーバスになって仕掛けられなくなる選手がほとんど。律はそれでも仕掛けていた。点が取れてよかった」と安堵(あんど)感を吐露していた。
決勝T以降は警戒され、思うような動きができず
これで自信を得た堂安は、続く13日のオマーン戦で、より意欲的な局面打開を試みるようになった。開始早々の2分には、自らのドリブル突破から原口元気にマイナスのボールを入れた。これを原口が決めていたら、もっと楽に勝てていた可能性もあるが、シュートは惜しくもクロスバー。そこから日本は度重なる決定機を逃し、原口のPK1本で逃げ切る苦戦を強いられてしまった。
堂安はPK奪取につながる起点のパス出しを見せたものの、日本通の敵将、ピム・ファーベーク監督に分析され、警戒される部分も少なくなかった。「もう少しアイデアが必要だなと感じた」と本人も述懐するように、相手のマークが厳しくなる中、いかにして解決策を見いだすかという新たな課題も突きつけられた。その難易度は決勝トーナメント以降、試合ごとに上がっていった印象だ。
顕著だったのが、日本のボール支配率が23.7%と攻め込まれた21日のラウンド16・サウジアラビア戦。開始7分に原口のクロスを南野がそらしたボールに反応するシュートシーンをいきなり作ったものの、その後はボールキープできない状況が続いた。レフティーの若武者が左足でファーストタッチをするという癖を相手も分析していて、一歩目の出足を狙われるシーンも目についた。それは28日の準決勝・イラン戦やカタール戦でも何度か見受けられた。
思うようにドリブルを仕掛けられず、前へ出られなくなった堂安は守備に忙殺される。時折、繰り出すカウンターも不発に終わり、いら立ちを募らせた。堂安がドリブル突破という絶対的武器を備えていることは特筆すべき点であり、これからも研ぎ澄ませていくべき部分だ。ただ、日本対策を講じてくるアジアでは、常にその強みを発揮できるわけではない。
ドリブルで確実にタメを作れる中島がいたらよりフリーになって前へ行けたかもしれないが、原口とのコンビでは微妙にリズムが違っていた。南野も徹底マークで苦しむ中、堂安には攻撃陣をどう機能させていくのかという命題が課された。中島不在が影を落としたのは事実かもしれないが、代表攻撃陣の軸を担う堂安には、自らイニシアチブを取って、多彩なバリエーションを示す必要があった。苦しんだサウジ戦などはその重要性を再認識するいい機会になったのではないか。
長友も太鼓判を押す、堂安のメンタルの強さ
主導権を握ったベトナム戦では、酒井宏樹とのタテ関係でサイドを攻略したり、自らのスルーパスから南野が決定機を迎えるようなチャンスを数多く作れていた。自身もPKながら、得点を取れたことでポジティブになれた。「(遠藤航→原口→堂安という流れから)PKを取ったシーンは、あれこそ森保さんが求めているサッカーだと思います。タテパスが入って3人目が絡んで飛び出すという動きがやっと連動できた。今大会初めてじゃないかというくらいの動き出しができた」と堂安自身もうれしそうに語ったほど、手ごたえをつかんだようだ。
準決勝のイランでもその流れを持続させた。前半こそ屈強なフィジカルと当たりを備えた相手に凌駕(りょうが)されたものの、後半に入ってからは運動量と集中力で上回り、大迫の2ゴールと原口のダメ押し点で3−0と圧勝した。ただ、堂安には南野とのワンツーで右サイドを駆け上がり、敵をかわして打った左足シュートを防がれた決定機に象徴される通り、フィニッシュの課題が残された。
「自分は一発を持っていると思っていたけれど、なかなか振り切れず、大会を通してその一発を出せなかった」と決勝後に述懐した通り、A代表デビューしたばかりのアタッカーが大舞台でゴールを奪う難しさを再認識したのは間違いない。「どこで一発を出すのか、自分の特徴をどうやって出すのか。それを逆算してプレーしていきたい」と堂安も自戒を込めて口にしていた。
今大会の日本は、4試合出場の大迫が4得点で、全7試合出場の原口が2得点、6試合出場の堂安と南野がそれぞれ2点と1点。9ゴールを挙げ、得点王とMVPをダブル受賞したカタールのアルモエズ・アリのような傑出した点取り屋は不在だった。総得点も優勝したカタールの19に対して日本は12。これも含めて数字的にも物足りなく映った。
堂安自身もアルモエズ・アリという2つ年上の新星には刺激を受けたことだろう。もともとワールドカップ・ロシア大会に参戦したキリアン・ムバッペ(フランス)やイ・スンウ(韓国)を見て「自分は何をやってるんや」と焦りを覚えていた男だ。さらなるレベルアップへの渇望を強めたに違いない。
「律の向上心は本当にすごいし、ずば抜けている。あの信念の強さがあれば上にいけますよ」と長友も太鼓判を押すメンタルの強さがあれば、優勝を逃した屈辱感をバネにできるはず。堂安のここからの巻き返しに大きな期待を寄せたい。
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