2014年01月22日
【分析】BIG3が示す日本サッカーの指針とは・・・!?
ハイサイ!夢を追い続けて20代・・・ですヽ(・∀・)ノ
本日は、サッカーを人間学と心理学の面から分析し、こよなく愛するブロガーの方の記事が面白そうだったので掲載しておきます!
香川真司と本田圭佑と長友佑都から考える「日本らしさ」や「日本らしいサッカー」という事への否定というか疑念。
香川真司。本田圭佑。長友佑都。この3人は現在の日本サッカーの中で特別な3人になっていると言える。三浦知良やラモス瑠偉がそうであった時代もあったし、中田英寿や中村俊輔や小野伸二や稲本潤一がそうであった時代もあった。
注目したいのは、
香川真司、本田圭佑、長友佑都、という3人の選手のプレイスタイルや特徴が全て異なっている事で、なぜそこが重要なのかと言えば、それが、
日本人選手の幅を示しているからで、
それが日本人選手の可能性の広さを示しているからで、
本田圭佑と長友佑都を考えれば、日本人選手はフィジカルが弱い、日本人選手は身体能力で他の国の選手に勝てない、という事が、画一化された正しくない先入観であるという事を示唆しているのではないだろうか。
フィジカルに関しては、既に中田英寿が、日本人選手はフィジカルが弱い、という固定観念を払拭していたと思うが、本田圭佑が更にその事実(日本人選手が総じてフィジカルに弱いという事は無いという事実)を確固たるものにしたと言えると思う。また、長友佑都は、日本人選手でも身体能力で世界に通用できる選手は生まれてくる、という事を示してくれていると言える。
では、なぜそんな事を書くのかと言えば、それはやはり個人的に常に書き続けている、「日本らしさ」や「日本らしいサッカー」という事への否定というか疑念があるからで、フィジカルでは勝てない事を前提とするような、身体能力では勝てない事を前提とするような、とても偏った考え方が、特に日本の育成年代ではスタンダードとなり強い支持を得ている事に対して、個人的には強い一石を投じたいがためでもある。
香川真司は常にエリート街道を進んできたと言えると思うが、本田圭佑がガンバのジュニアユースからユースへと昇格できなかったのは有名な話であるし、長友佑都は学生時代には大きく注目されない選手だったと言える。もちろん、その当時は今ほど能力の高い選手ではなかった、という事は然りだとは思うが、それは香川にしても当然そうだったと思うし、やはりそこにセレクションの偏りがあったのではないかと感じる。
バルサのサッカーにしても、プラスしてテクニックもある、という事が条件になるとは言え、ブスケツやアビダルやピケやプジョルというのは必要不可欠なピースである(であった)し、ケイタのような選手がチームを救った事も少なくなかった。
また、2012年、当時のUー19日本代表はアジア選手権の準々決勝で敗退し、Uー20W杯への出場権をまた逃してしまったが、やはり選手にはテクニックとスピードには優れているがフィジカルやパワーという能力では不足している選手が多い印象だった。Uー17にしてもUー19にしても、育成年代だからフィジカルやパワーは後からでも良い、という事には一理あるが、しかし、その当時のその世代に本田圭佑や長友佑都のようなタイプの選手が存在していなかったのか、という事には疑問が残る。スピードやアジリティは無くてもフィジカルとテクニックでACミランまで到達した本田圭佑。テクニックは低くても身体能力の高さでインテルまで到達した長友佑都。彼らの存在が日本のサッカーに何を示しているのか? やはりそこは真摯に受け止めて考えるべきだと思う。多様性と幅の重要さを日本のサッカー(社会)に示しているのではないだろうか。
ふむふむ、あなたはどう考えますか?
今や日本サッカーを先導しているBIG3(本田、長友、香川)ですが、彼らの背中に日本サッカーは何を想うのでしょうか・・・。
世界と渡り合える日を目指して20代・・・は、人間学、心理学の面からもサッカーを分析することを面白く思いますヾ(@⌒ー⌒@)ノ
本日は、サッカーを人間学と心理学の面から分析し、こよなく愛するブロガーの方の記事が面白そうだったので掲載しておきます!
香川真司と本田圭佑と長友佑都から考える「日本らしさ」や「日本らしいサッカー」という事への否定というか疑念。
香川真司。本田圭佑。長友佑都。この3人は現在の日本サッカーの中で特別な3人になっていると言える。三浦知良やラモス瑠偉がそうであった時代もあったし、中田英寿や中村俊輔や小野伸二や稲本潤一がそうであった時代もあった。
注目したいのは、
香川真司、本田圭佑、長友佑都、という3人の選手のプレイスタイルや特徴が全て異なっている事で、なぜそこが重要なのかと言えば、それが、
日本人選手の幅を示しているからで、
それが日本人選手の可能性の広さを示しているからで、
本田圭佑と長友佑都を考えれば、日本人選手はフィジカルが弱い、日本人選手は身体能力で他の国の選手に勝てない、という事が、画一化された正しくない先入観であるという事を示唆しているのではないだろうか。
フィジカルに関しては、既に中田英寿が、日本人選手はフィジカルが弱い、という固定観念を払拭していたと思うが、本田圭佑が更にその事実(日本人選手が総じてフィジカルに弱いという事は無いという事実)を確固たるものにしたと言えると思う。また、長友佑都は、日本人選手でも身体能力で世界に通用できる選手は生まれてくる、という事を示してくれていると言える。
では、なぜそんな事を書くのかと言えば、それはやはり個人的に常に書き続けている、「日本らしさ」や「日本らしいサッカー」という事への否定というか疑念があるからで、フィジカルでは勝てない事を前提とするような、身体能力では勝てない事を前提とするような、とても偏った考え方が、特に日本の育成年代ではスタンダードとなり強い支持を得ている事に対して、個人的には強い一石を投じたいがためでもある。
香川真司は常にエリート街道を進んできたと言えると思うが、本田圭佑がガンバのジュニアユースからユースへと昇格できなかったのは有名な話であるし、長友佑都は学生時代には大きく注目されない選手だったと言える。もちろん、その当時は今ほど能力の高い選手ではなかった、という事は然りだとは思うが、それは香川にしても当然そうだったと思うし、やはりそこにセレクションの偏りがあったのではないかと感じる。
バルサのサッカーにしても、プラスしてテクニックもある、という事が条件になるとは言え、ブスケツやアビダルやピケやプジョルというのは必要不可欠なピースである(であった)し、ケイタのような選手がチームを救った事も少なくなかった。
また、2012年、当時のUー19日本代表はアジア選手権の準々決勝で敗退し、Uー20W杯への出場権をまた逃してしまったが、やはり選手にはテクニックとスピードには優れているがフィジカルやパワーという能力では不足している選手が多い印象だった。Uー17にしてもUー19にしても、育成年代だからフィジカルやパワーは後からでも良い、という事には一理あるが、しかし、その当時のその世代に本田圭佑や長友佑都のようなタイプの選手が存在していなかったのか、という事には疑問が残る。スピードやアジリティは無くてもフィジカルとテクニックでACミランまで到達した本田圭佑。テクニックは低くても身体能力の高さでインテルまで到達した長友佑都。彼らの存在が日本のサッカーに何を示しているのか? やはりそこは真摯に受け止めて考えるべきだと思う。多様性と幅の重要さを日本のサッカー(社会)に示しているのではないだろうか。
ふむふむ、あなたはどう考えますか?
今や日本サッカーを先導しているBIG3(本田、長友、香川)ですが、彼らの背中に日本サッカーは何を想うのでしょうか・・・。
世界と渡り合える日を目指して20代・・・は、人間学、心理学の面からもサッカーを分析することを面白く思いますヾ(@⌒ー⌒@)ノ
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