2014年01月14日
【感動をありがとう】第92回高校サッカー選手権大会閉幕!!
うつ向くなよ振り向くなよ〜♪
ハイサイ!夢を追い続けて20代・・・ですヽ(・∀・)ノ
あっと言う間に終わってしまった第92回高校サッカー選手権大会!
既に皆さんもご存知の通り、本田圭佑選手の母校である星稜高校を3-2で降した【富山第一高校】が見事に優勝を飾りました!
高校サッカー選手決勝動画!!
しかし、華やかなストーリーの裏舞台では多くの涙、そして感動のストーリーが同時並行しているのがこの世の中です・・・!本日はそんなアナザーストーリーの一つを紹介いたします!
高校サッカー心を揺さぶる物語。
【3年間、選手と共に戦った女子マネージャーは監督の娘】
フットボールチャンネル 1月12日(日)22時14分配信
編集:夢を追い続けて20代・・・
■お父さんの応援に。そこにいたお姉さん
毎年、正月になると、東京へ家族旅行に出かけていた。家族旅行なのに、行きも帰りもお父さんはいない。そりゃそうだよね、お父さんは名門高校サッカー部の監督。
行先は東京で開催されている全国高校サッカー選手権大会。お父さんが指揮を執る高校は毎年のように出場していて、幼いころから家族で応援に行くことが恒例となっていた。
私が小学生になると、土日は決まってお父さんのチームの練習や試合を観に行っていた。
必死でサッカーボールを追いかけるお兄さんたちの脇で、負けじと一生懸命働くお姉さんたちの姿があった。
「何をしているんだろう?」。私は幼心に思っていた。
「さっちゃん、私たちはね、選手のみんながサッカーに打ち込めるようにがんばっているんだよ」。お姉さんは、私にそう言ってくれた。
「私もやってみたい!」
その日から私もお姉さんたちの手伝いをし始めた。ボトルに水を入れたり、ボールを片付けたり……。それが楽しくて、楽しくて仕方がなかった。
「さっちゃん、ありがとう」
お兄さんたちが、お姉さんたちが、笑顔で言ってくれる。私はその笑顔が見たくて、夢中になって手伝っていた。
そして、家では見せないような、厳しくも真剣なお父さんの姿があった。試合に勝つと喜び、試合に負けると悔しがる。私はお父さんのことがますます好きになった。いつしか、私の夢はお父さんの高校サッカー部のマネージャーになることになっていた。
.
「3年間、お父さんのそばにいたい」
そして、中3の夏休み、初めてその思いをお父さんに打ち明けた。
「私、サッカー部のマネージャーをやりたい!」。すると、お父さんは少し驚いた表情をした後、笑い始めた。
「何がおかしいの!?」。でも、すぐにわかった。その笑みは照れ隠しだと。
「本当にいいのか?」。お父さんは真剣な表情になっていた。
「うん。決めたから」
私がこう決断したのは、実はもう一つ理由がある。昔から、お父さんは家にいなかった。私たちが眠るころに帰ってきて、起きたころには練習に行ってもう家にはいない。お父さんのいない朝食と夕食が日常だった。
長期遠征で家を空けることも多くて、特に夏休みや春休みはほとんど家にいなかった。授業参観や運動会、文化祭もほとんど来てくれなかった。
サッカー部の試合や練習では会えるけど、なんだか向こう岸にいる存在のように感じていた。だから、私は他の人よりお父さんとの思い出が少ない分、高校3年間はお父さんと濃い時間を過ごしたいと思った。中学3年になると、だんだんその気持ちが強くなって、自分の中で抑えきれなくなった。
「3年間、お父さんのそばにいたい」。恥ずかしいけれど、それが私の本心だった。
初戦敗退、止まらない涙
でも、そんな日々も終わりを告げるときがくる。最後の選手権。予選を突破して、本大会への出場を決めた私たちは、優勝候補と言われるほど注目されていた。だけど、結果は初戦敗退――。
試合終了間際、私はベンチで控えの仲間たちと肩を組んで、ピッチを見つめていた。
「みんな、大丈夫! 大丈夫! 絶対に勝てるよ!!」。必死で笑顔を作っていた。
試合終了を告げる笛が鳴った瞬間、私は泣いてしまった。すぐに涙を止めなきゃって思ったけど……、止まらなかった。「もっとみんなと一緒にいたかった」っていう気持ちが抑えきれなかった。
私には後悔していることがあった。夏のインターハイで敗退したときのことだ。私は負けたことがショックで、一生懸命戦ったみんなに、「次があるよ、みんながんばったよ」って言ってあげるまでに時間がかかった。選手を励ますのがマネージャーの務めなんだと、後悔していた。
だから、このときもすぐに言葉を掛けなきゃと思ったのに、涙が邪魔をして言葉が出ない。
「さっちゃん、3年間ありがとうね」
泣いている私に声をかけてくれたのは、キャプテンの貴博くんだった。私より選手のほうが悔しいはずなのに……。
試合後のロッカールーム。監督は、泣きじゃくる選手たちをじっと見つめ、静寂を破ってこう語りかけた。
「みんな、ここで終わりじゃない。人生の節目の一つなんだ。次のステージで精いっぱいがんばってくれ。これまでお前たちはいろんな人に支えられてきたんだから、感謝の気持ちは忘れずに生きていってほしい。ここでの経験は財産なんだから」
お父さんだってショックだし、本当は悔しいはず。マネージャーとして、娘として、ずっと一緒にいたから、お父さんの気持ちは手に取るようにわかった。やっぱりお父さんは素晴らしい監督だった。誰よりもみんなのことを愛し、懸命に指導してくれた。偉大なる存在なんだと、あらためて感じた。
大好きなお父さんのエール
「さちこ!」
私の名前だ。ハッとして顔を上げると、そこにはお父さんが立っていた。
「3年間、よくがんばったな」と、握手を求めてきた。
私は、「もう少し、一緒にいたかった……」と口にした。
「これが運命だよ……。まあ、俺はまたこれからもがんばるさ。だから、お前も明日からまたがんばれ」
大好きなお父さんのエールは、私の心の奥まで響いた。また、涙が止まらなくなっていた。
宿舎に戻ると、私は部員一人ひとりの部屋に、「ありがとう」と声を掛けに回った。試合の後に泣いてしまったことを後悔していたし、どうしても全員に一人ずつ感謝の気持ちを伝えたかった。
自分の部屋に戻ってきて、ベッドの上に座っていたら、「さっちゃん、本当にありがとうね!!」。大声と共に、みんなが部屋に入ってきた。
私がびっくりしていると、みんなの手にはコンビニのケーキが。一切れずつケーキを選んでくれたらしく、ショートケーキやチーズケーキにモンブラン、それにチョコレートケーキ……、いろんなケーキが目の前に並んだ。
「こんなに食べたら太っちゃうよ!」。笑いながら言ったけど、心の中ではまた泣いていたよ。
「ここまで連れて来てくれて、みんなありがとう! 私、幸せだった」
そう言うと、みんなは一斉に笑顔をくれた。
-----------------END------------------
〜今ここに青春を刻んだと〜グランドの土を手に取れば〜誰も涙を笑わないだろう〜誰も拍手を惜しまないだろう〜また逢おう〜いつの日か〜また逢おう〜いつの日か〜君のその顔を〜忘れない〜・゜・(ノД`)・゜・
青春時代を思い返して20代・・・は、親子愛を実現させた高校サッカーを絶賛しますヾ(@⌒ー⌒@)ノ
ハイサイ!夢を追い続けて20代・・・ですヽ(・∀・)ノ
あっと言う間に終わってしまった第92回高校サッカー選手権大会!
既に皆さんもご存知の通り、本田圭佑選手の母校である星稜高校を3-2で降した【富山第一高校】が見事に優勝を飾りました!
高校サッカー選手決勝動画!!
しかし、華やかなストーリーの裏舞台では多くの涙、そして感動のストーリーが同時並行しているのがこの世の中です・・・!本日はそんなアナザーストーリーの一つを紹介いたします!
高校サッカー心を揺さぶる物語。
【3年間、選手と共に戦った女子マネージャーは監督の娘】
フットボールチャンネル 1月12日(日)22時14分配信
編集:夢を追い続けて20代・・・
■お父さんの応援に。そこにいたお姉さん
毎年、正月になると、東京へ家族旅行に出かけていた。家族旅行なのに、行きも帰りもお父さんはいない。そりゃそうだよね、お父さんは名門高校サッカー部の監督。
行先は東京で開催されている全国高校サッカー選手権大会。お父さんが指揮を執る高校は毎年のように出場していて、幼いころから家族で応援に行くことが恒例となっていた。
私が小学生になると、土日は決まってお父さんのチームの練習や試合を観に行っていた。
必死でサッカーボールを追いかけるお兄さんたちの脇で、負けじと一生懸命働くお姉さんたちの姿があった。
「何をしているんだろう?」。私は幼心に思っていた。
「さっちゃん、私たちはね、選手のみんながサッカーに打ち込めるようにがんばっているんだよ」。お姉さんは、私にそう言ってくれた。
「私もやってみたい!」
その日から私もお姉さんたちの手伝いをし始めた。ボトルに水を入れたり、ボールを片付けたり……。それが楽しくて、楽しくて仕方がなかった。
「さっちゃん、ありがとう」
お兄さんたちが、お姉さんたちが、笑顔で言ってくれる。私はその笑顔が見たくて、夢中になって手伝っていた。
そして、家では見せないような、厳しくも真剣なお父さんの姿があった。試合に勝つと喜び、試合に負けると悔しがる。私はお父さんのことがますます好きになった。いつしか、私の夢はお父さんの高校サッカー部のマネージャーになることになっていた。
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「3年間、お父さんのそばにいたい」
そして、中3の夏休み、初めてその思いをお父さんに打ち明けた。
「私、サッカー部のマネージャーをやりたい!」。すると、お父さんは少し驚いた表情をした後、笑い始めた。
「何がおかしいの!?」。でも、すぐにわかった。その笑みは照れ隠しだと。
「本当にいいのか?」。お父さんは真剣な表情になっていた。
「うん。決めたから」
私がこう決断したのは、実はもう一つ理由がある。昔から、お父さんは家にいなかった。私たちが眠るころに帰ってきて、起きたころには練習に行ってもう家にはいない。お父さんのいない朝食と夕食が日常だった。
長期遠征で家を空けることも多くて、特に夏休みや春休みはほとんど家にいなかった。授業参観や運動会、文化祭もほとんど来てくれなかった。
サッカー部の試合や練習では会えるけど、なんだか向こう岸にいる存在のように感じていた。だから、私は他の人よりお父さんとの思い出が少ない分、高校3年間はお父さんと濃い時間を過ごしたいと思った。中学3年になると、だんだんその気持ちが強くなって、自分の中で抑えきれなくなった。
「3年間、お父さんのそばにいたい」。恥ずかしいけれど、それが私の本心だった。
初戦敗退、止まらない涙
でも、そんな日々も終わりを告げるときがくる。最後の選手権。予選を突破して、本大会への出場を決めた私たちは、優勝候補と言われるほど注目されていた。だけど、結果は初戦敗退――。
試合終了間際、私はベンチで控えの仲間たちと肩を組んで、ピッチを見つめていた。
「みんな、大丈夫! 大丈夫! 絶対に勝てるよ!!」。必死で笑顔を作っていた。
試合終了を告げる笛が鳴った瞬間、私は泣いてしまった。すぐに涙を止めなきゃって思ったけど……、止まらなかった。「もっとみんなと一緒にいたかった」っていう気持ちが抑えきれなかった。
私には後悔していることがあった。夏のインターハイで敗退したときのことだ。私は負けたことがショックで、一生懸命戦ったみんなに、「次があるよ、みんながんばったよ」って言ってあげるまでに時間がかかった。選手を励ますのがマネージャーの務めなんだと、後悔していた。
だから、このときもすぐに言葉を掛けなきゃと思ったのに、涙が邪魔をして言葉が出ない。
「さっちゃん、3年間ありがとうね」
泣いている私に声をかけてくれたのは、キャプテンの貴博くんだった。私より選手のほうが悔しいはずなのに……。
試合後のロッカールーム。監督は、泣きじゃくる選手たちをじっと見つめ、静寂を破ってこう語りかけた。
「みんな、ここで終わりじゃない。人生の節目の一つなんだ。次のステージで精いっぱいがんばってくれ。これまでお前たちはいろんな人に支えられてきたんだから、感謝の気持ちは忘れずに生きていってほしい。ここでの経験は財産なんだから」
お父さんだってショックだし、本当は悔しいはず。マネージャーとして、娘として、ずっと一緒にいたから、お父さんの気持ちは手に取るようにわかった。やっぱりお父さんは素晴らしい監督だった。誰よりもみんなのことを愛し、懸命に指導してくれた。偉大なる存在なんだと、あらためて感じた。
大好きなお父さんのエール
「さちこ!」
私の名前だ。ハッとして顔を上げると、そこにはお父さんが立っていた。
「3年間、よくがんばったな」と、握手を求めてきた。
私は、「もう少し、一緒にいたかった……」と口にした。
「これが運命だよ……。まあ、俺はまたこれからもがんばるさ。だから、お前も明日からまたがんばれ」
大好きなお父さんのエールは、私の心の奥まで響いた。また、涙が止まらなくなっていた。
宿舎に戻ると、私は部員一人ひとりの部屋に、「ありがとう」と声を掛けに回った。試合の後に泣いてしまったことを後悔していたし、どうしても全員に一人ずつ感謝の気持ちを伝えたかった。
自分の部屋に戻ってきて、ベッドの上に座っていたら、「さっちゃん、本当にありがとうね!!」。大声と共に、みんなが部屋に入ってきた。
私がびっくりしていると、みんなの手にはコンビニのケーキが。一切れずつケーキを選んでくれたらしく、ショートケーキやチーズケーキにモンブラン、それにチョコレートケーキ……、いろんなケーキが目の前に並んだ。
「こんなに食べたら太っちゃうよ!」。笑いながら言ったけど、心の中ではまた泣いていたよ。
「ここまで連れて来てくれて、みんなありがとう! 私、幸せだった」
そう言うと、みんなは一斉に笑顔をくれた。
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〜今ここに青春を刻んだと〜グランドの土を手に取れば〜誰も涙を笑わないだろう〜誰も拍手を惜しまないだろう〜また逢おう〜いつの日か〜また逢おう〜いつの日か〜君のその顔を〜忘れない〜・゜・(ノД`)・゜・
青春時代を思い返して20代・・・は、親子愛を実現させた高校サッカーを絶賛しますヾ(@⌒ー⌒@)ノ
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