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2014年10月18日

GON NAKAYAMA 〜 Jリーグに残した遺産 〜

 昨年の夏、試合に敗れた悔しさに打ちひしがれるロッカールームで、中山雅史は珍しく声を荒げた。

「気持ちを見せろ!」

 2013シーズンもキャプテンの腕章を巻くコンサドーレ札幌の河合竜二は、半年前の光景を今でもよく覚えている。

「中山さんが珍しく、気持ちを見せろってものすごく怒って。その言葉の重みはすごく感じましたね。やっぱり、全然違いましたよ。自分が言うのと中山さんが言うのとでは。もちろん自分の心にも響きましたし、チームにとって、あの言葉はものすごく大きかったと思います」

 それでも、若手中心のチームは容易には勝てなかった。目標とするJ1残留を果たすことはできなかった。しかし河合は、チームに芽生えた確かな変化を感じていた。それは紛れもなく、中山のあの日のひとことをきっかけとしていた。

「気持ち。それだけでそんなに変わるのかって思うくらいに変わりました。中山さんの『練習からやるしかない』という言葉で、それ以降の選手たちの取り組み方が全く違いましたから」

19歳から54歳まで……中山から影響を受けた多くのサッカー人たち。

 Number PLUS「中山雅史と日本サッカーの20年」の取材のため、計7人の“関係者”に話を聞く機会に恵まれた。

 中山雅史の全盛期、すなわち黄金時代のジュビロ磐田については、藤田俊哉と名波浩、福西崇史の3人。キャリアの終着点となったコンサドーレ札幌については昨季まで監督を務めた石崎信弘とキャプテンの河合竜二、トレーナーの中村祐ニ、それから、引退会見で「一番印象に残っているシーン」として名前を挙げられた榊翔太の4人である。

 中山との関わり方は、もちろんそれぞれに異なる。

 日本リーグ時代にDFとして中山との対戦経験がある最年長の石崎は、現在54歳。2012年にトップ昇格を果たしたばかりの最年少の榊は19歳であるから、中山がいかに多く、いかに幅広い年齢層の選手と同じピッチでボールを追い掛けてきたかが分かる。

 しかし彼らは、中山雅史というサッカー選手に対する認識として共通の言葉を並べた。そこから浮き彫りになるブレない実像は、大きく分けて2つ。1つは、抜群の得点能力が特にパスを引き出す動きの質の高さに起因すること。そしてもう1つは、チームという組織を形成する上で彼が果たした役割の大きさだった。

 中山は、技術的な達者ではないがゴールを量産できる。本質的にキャプテンシーを持ち合わせているわけではないが、なぜかいつもチームのリーダーとして先頭を走っている。それが、中山が45歳になってもチームの戦力として求められ続けた理由だ。
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