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2023年12月12日

サッカーの歴史について

サッカーの歴史は、情熱と革新の物語で満ち溢れています。その起源は遠く、古代の文明にまで遡ります。古代中国では、『蹴鞠(けききゅう)』と呼ばれるボールを足で蹴り合うゲームが楽しまれていました。それが後のサッカーの原型となったといわれています。中世ヨーロッパでも、村々や町々で似たようなゲームが行われていましたが、そのルールは地域によって異なり、時には激しくもなったとされています。

しかし、サッカーが近代的な形になったのは19世紀後半のイギリスでした。そこで様々な学校でプレイされていた蹴鞠を統一し、ルールを整備する動きが始まりました。1863年、イングランドのロンドンでサッカーの最初の公式ルールである「ロンドン・フットボール協会」が結成され、これが後の国際サッカー連盟(FIFA)の礎となりました。

その後、サッカーは急速に世界中に広がり、人々の心を掴みました。世界初の国際試合は1872年にイングランドとスコットランドの間で行われ、その後も国境を越えた試合が増えていきました。FIFAも1904年に設立され、国際サッカーの発展を牽引しています。

20世紀に入ると、サッカーはますます人気を獲得し、ワールドカップが誕生します。1930年にウルグアイで初めて開催されたワールドカップは、世界中の注目を集め、サッカーを国境や言語を超えた結びつける重要なイベントとなりました。

そして現代、サッカーは文化、言語、国境を超えて世界中で愛されています。数々の伝説的な選手たちや、激動の試合、そして驚異的なゴールが、サッカー史上の章を彩ってきました。新たな戦術の革新や技術の進歩もあり、常に進化し続けるこのスポーツは、未来に向けても新たな夢と興奮を約束しています。

2023年12月10日

FA移籍に伴う選手のリスクとは?山川ら「チームメートの信頼を得られるか」指導経験豊富な評論家が指摘「あれっ?となると」

プロ野球のFA申請期間が終了し、西武・山川穂高内野手、広島・西川龍馬外野手らが権利行使の考えを表明した。阪神、広島、オリックスで指導者を歴任したデイリースポーツ評論家・岡義朗氏はFA移籍に伴う選手のリスクについて解説。成功か失敗かの分岐点として「チームに受け入れられるか」をポイントとして挙げた。


 「過去にもFAで移籍した選手を見てきたけど、まずは環境だと思う。選手との関係、チームに溶け込めるかどうか。そのためには結果も必要になる」と指摘した岡氏。過去にFA移籍して成績が伸びなかった選手について「周りはFAで来たんだから結果が出て当たり前というふうに見る。ファンやマスコミの注目度が高い球団へ移って、そこで結果が出ないと本人がプレッシャーに感じてしまう。あれっ?あれっ?となると自分を見失って、投手であればフォームを崩してボールが低く行かなくなったり、打者なら狙い球がぐちゃぐちゃになったりね」と経験談を明かす。

 特に異なるリーグへ移籍する場合は、「セ・リーグとパ・リーグではまだ違いも残るからね。パ・リーグから来た選手が『カウント2ボールからセ・リーグはフォークを投げてくる。それで苦労しました』と言っていた」と回顧し「リーグが同じでもチームによってやる野球も違うし、環境も違う。首脳陣は成績が出るまで我慢して起用してくれると思うけど、選手同士ではやっぱりそういう目で見る部分もある。だから移籍する場合はチームメートの信頼を得られるか。そこが一番、重要になる」と指摘する。

 近年はWBCなど国際大会で日本代表として接する機会が多くなった。移籍する際にはその時のチームメートがサポートしてくれるケースもある。昨年は近藤や森がFA移籍し、新天地でも結果を残した。それも「最初の3カ月でしっかりと結果を残して、周りも認めてくれたからこそだと思う。だから移籍するには本当に最初が肝心。開幕から結果を残して信頼を得られるか。成功するカギはそこにあると思う」と岡氏は分析する。

 西武・山川については「実戦感覚という部分では問題はないと思う。1年間、色んな思いを抱えてきただろうしね」と評し、広島・西川がパ・リーグへの移籍を宣言したことには「指名打者がある分、西川にとってはプラスになると思う。打撃技術はやはり高い。それを生かすことができるし、スピードもまだまだある」と語った。オリックスからFA宣言した山崎福も「セ・リーグであれば、投手としてだけでなく打撃も生かせると思う」と分析した。

2023年11月26日

リバプールのクリスマスムービー

リバプールが、クリスマスに向けた特別ムービーを公開した。

今夏、シュツットガルトから日本代表MF遠藤航を獲得したリバプール。より一層日本からの注目度は上がった。


その遠藤はここまでプレミアリーグ7試合とヨーロッパリーグ4試合、カラバオ・カップ(EFLカップ)2試合に出場。プレミアへの適応段階だが、12日のプレミアリーグ第12節ブレントフォード戦では初のフル出場も果たしていた。

そのリバプールが、クリスマスに向けた特別ムービーを発表。俳優のリッキー・トムリンソンや女優のスー・ジョンストンさんらが出演したムービーに遠藤も出演している。

遠藤はMFカーティス・ジョーンズとともにプレゼントを運ぶ役として登場。両手いっぱいにたくさんのプレゼントを持ってファンのお家にやってくると、満面の笑みと一緒にプレゼントを届けている。

遠藤の笑顔やクリスマスムービーには、ファンも「遠藤の笑顔はとってもピュアで見ていて飽きない」、「遠藤の笑顔」、「遠藤もニコニコでよかった」、「最高の広告だ」とコメントを寄せている。

クリスマスまでは残り1カ月ちょっと。リバプールのムービーで一足先にクリスマス気分を味わってはいかがだろうか。

2023年11月15日

三笘薫さ〜〜〜〜〜ん!!(´;ω;`)

日本サッカー協会(JFA)は15日、26年北中米W杯アジア2次予選に挑む日本代表から三笘薫(ブライトン)が、けがのため離脱すると発表した。FIFAランク18位の日本は、16日の同予選初戦で同158位のミャンマー戦(パナソニックスタジアム吹田)、21日の第2戦で同92位のシリア戦(サウジアラビア・ジッダ)に臨む。

 14日に帰国した三笘は、同日行われた練習には姿を見せず、ホテルで静養していた。三笘は15日、JFAを通じて「自分としてはワールドカップ予選ということもあり、チームの力になれると信じて合流しましたが、残念ながら100%の状態でプレーできないということもあり、悔しいですが、残ったチームメイトに想いを託したいと思います。一日でも早く回復してまずは所属チームで再び良いパフォーマンスを見せて、また日本代表でプレーできるよう頑張ります」とコメントを発表した。

 日本代表は負傷者が続出しており、8日のメンバー発表後に前田大然、古橋亨梧(ともにセルティック)、川辺駿(スタンダール)、伊藤敦樹(浦和)が負傷で代表活動不参加となった。

森保ジャパン 中2日の強行日程も4得点でトルコに勝利!伊藤敦樹の代表初ゴール、中村敬斗の2ゴール、伊東2試合連発

■キリンチャレンジカップ2023 日本代表ートルコ代表(日本時間12日、ベルギー、セゲカ・アレーナ)

日本代表(FIFAランク20位)はベルギーに移動して、2002年日韓W杯以来、21年ぶりにトルコ代表(同41位)と対戦。伊藤敦樹の代表初ゴール、中村敬斗の2ゴール、伊東純也の2試合連続弾で4ー2と勝利した。

強豪・ドイツ代表(同15位)を4対1で下した日本代表は中2日、さらにドイツからベルギーへの移動など強行スケジュールとなったため、スタメンを10人変更。1トップに古橋亨悟(28)、MFは中村敬斗(23)、堂安律(25)、久保建英(22)、田中碧(24)、伊藤敦樹(25)、DFは伊藤洋輝(24)、町田浩樹(26)、谷口彰悟(32)、毎熊晟矢(25)、GKは中村航輔(28)。町田と毎熊がA代表デビュー戦となった。

前半15分、なかなかリズムがつかめなかった日本は右サイドで伊藤敦樹がボールを持つと堂安とのワンツーで中に切り込み豪快な左足でミドルシュート。ゴール右隅に叩き込み、伊藤敦樹の代表初ゴールで日本が先制した。

これで流れに乗ると久保が躍動、前半19分には中央で古橋に絶妙なスルーも古橋のトラップが上手くいかず、前半25分には右サイドから切り込み中央の堂安へのスルーパス、これはわずかに合わなかった。

それでも前半28分、久保は中央でボールを持つと今度は強烈な左足のミドルシュート。無回転のボールでキーパーが弾くと中村敬斗が押し込み、日本が2対0とリード。

前半36分には代表デビュー戦の毎熊が右サイドの高い位置でボールを奪うとそのまま持ち込み、ゴール前の中村敬斗にラストパス。これを落ち着いて決めて中村敬斗が2得点目、毎熊はA代表デビュー戦でアシストをマークした。

前半43分にはトルコのセットプレーでキーパー・中村航輔が弾くとそれを押し込まれ失点した。このプレーで中村航輔がトルコ選手と接触し、右腕を痛め交代。シュミット・ダニエル(31)がピッチに入った。

後半開始から日本は橋岡大樹(24)、前田大然(25)、伊東純也(30)を投入した。後半立ち上がりはミスのあった日本だが後半13分、町田のパスカットから中央の伊東純也、最後はゴール前の古橋へ、完璧なパスワークも古橋のシュートがわずかにゴール左に外れてしまった。

すると後半16分、日本は右サイドを破られるとディフェンス陣の足が止まってしまい、中央の選手がフリーとなり失点。3対2と1点差に詰め寄られた。

日本は後半18分、中央で久保がボールを持つと左サイドの前田へ、そして最後は中央の古橋、ここも古橋のシュートが右ポストに当たりゴールが決まらなかった。

トルコがリズムをつかむと途中出場のシュミット・ダニエルが好セーブでゴールを守った。すると後半30分、後半から出場した伊東純也が自陣でボールを奪うとスピードを生かして一気に敵陣ゴール前へ、相手ディフェンスのファウルを誘い、ペナルティーキックを獲得。これを落ち着いてゴール右隅に決め、伊東純也は2試合連続ゴール。4対2と突き放した。

日本代表は中2日の強行日程ながらトルコに勝利、6月15日のエルサルバドル戦から4連勝となった。

2023年10月15日

ドイツ代表FWミュラー、完敗宣言。日本代表を称賛、実力差を認める「今の日本は世界トップ10に入るほど。僕たちはそこにいない」

【サッカー日本代表 最新ニュース】国際親善試合で日本がドイツに4-1で快勝。

ドイツ代表のFWトーマス・ミュラーが、日本代表戦後にコメントを残した。ドイツ『ディー・ツァイト』が伝えた。

ドイツと日本は、9日に開催された国際親善試合でカタール・ワールドカップ以来となる再戦。W杯グループステージ敗退に追い込まれたドイツにとっては、最近の不調もあり、必勝態勢で臨んだ一戦となった。しかし、先制を許したドイツは一時追いついたものの、その後に3失点。日本に1-4の惨敗を喫した。

ドイツ代表歴代4位の出場数を誇るベテランのミュラーは今回、ニクラス・フュルクルクの負傷を受けて、W杯以来となる代表招集に。日本戦では1点ビハインドの後半、71分から途中出場したが、さらに2失点した中で試合終了のホイッスルを聞いた。


試合後、ミュラーは「日本のプレーぶりは素晴らしかった。彼らは世界のトップ15、トップ10に入るチームであることは間違いない」と森保一監督のチームを称賛し、「そして、現時点で僕たちはそこにいない」と、今回の結果が実力を反映しているものだと認めた。また、FIFAランキングでは15位のドイツだが、「実際は異なる」と、現在のドイツ代表が世界TOP15に入るレベルではないことを強調していた。

指揮官ハンジ・フリック監督の去就も取りざたされるドイツはこの後、12日にフランス代表との国際親善試合を迎える。(フランスには底力を見せ勝利)

2023年09月15日

日本代表に惨敗のドイツ代表、フリック監督の解任を発表。直近5試合で1分け4敗と大不振

ドイツサッカー連盟(DFB)は10日、ハンジ・フリック監督の解任を発表した。

9日に国際親善試合のドイツ対日本が開催。ドイツにとってはカタール・ワールドカップ(W杯)のリベンジを果たす機会になったが、日本に先制された中で一度追いつくも、その後に3失点。ホームで1-4の惨敗を喫した。



2大会連続のグループステージ敗退となったW杯後、これで直近の5試合で1分け4敗と低調なパフォーマンスを続けるドイツは、日本戦後も大きな批判にさらされた。そして、DFBは10日にフリック監督の即時解任を決定。また、アシスタントコーチのマルクス・ゾルグ氏とダニー・ロール氏の解任も発表している。『BBC』によれば、1926年にドイツ代表監督の役職が設置されて以降、任期中の解任は初の事態とのことだ。

DFB会長のベルント・ノイエンドルフ氏はこの決定について、「最近の残念な結果を受けて、男子A代表チームには新たな推進力が必要ということで合意した。自国での欧州選手権に向けて、自信と前向きなメンタリティが必要だ。私は、フリックと彼のコーチをサッカーの専門家としても、人としても評価しているので、これまでの決断で最も難しいものだった。だが、スポーツ面での成功がDFBにとって最優先事項で、この決断は避けられなかった」と説明した。

なお、ドイツは来年開催されるEURO2024のホスト国となっている。後任については「できるだけ早く指名」と検討中であることを発表。12日に行われる国際親善試合のフランス代表戦はスポーツディレクターのルディ・フェラー氏のほか、ハネス・ヴォルフ氏、サンドロ・ヴァーグナー氏が共同で暫定的に指揮を執るとのことだ。

2023年08月21日

カズの偉業、オシムの革命、フリューゲルスの消滅……Jリーグ30年史に刻まれた「重大ニュース・ベスト15」

 Jリーグの誕生から30年。その歴史の中では、リーグの発展に深くかかわる様々な事件や、エポックメーキングな出来事が起こってきた。ここでは長年Jリーグを見守り続けてきたスポーツライターの加部究氏に、なかでも衝撃的で印象深い15のニュースをピックアップしていただく。決してポジティブなトピックばかりがランキング入りしたわけではないが、Jリーグのさらなる発展を願う、筆者の厳しい提言にも耳を傾けたい。


15位:2ステージ制を復活も短命に終わる
 2015年、一般的な関心が薄れ、運営も厳しくなったJ1リーグは、多くのサポーターの反対を押し切る形で、11年ぶりとなる2ステージ制の復活を決断する。

 だが、特に16年シーズンは年間勝ち点でトップの浦和レッズに「15ポイント」も及ばない鹿島アントラーズが、短期決戦の仕組みを活かして年間優勝を果たすという皮肉な結末となった。結局、復活させた2ステージ制は、わずか2年という短命に終わっている。
14位:神戸がイニエスタらの大型補強を敢行

20世紀末にEU内の移籍の自由を保証するボスマン判決が下ってから、欧州とJリーグの予算規模は格差が広がる一方で、トップレベルの外国籍選手にはしばらく手が出ない状況が続いていた。

 だが、2004年から楽天がヴィッセル神戸の運営に乗り出し、17年に元ドイツ代表のルーカス・ポドルスキを獲得したのに続き、18年にはバルセロナとスペイン代表の黄金期に中核を成したアンドレス・イニエスタも手に入れる。その後もJリーグ内では傑出した投資を続け、ダビド・ビジャ(スペイン)、トーマス・フェルマーレン(ベルギー)、さらには大迫勇也など、国内外のトッププレイヤーを次々と獲得した。

 34歳で来日したイニエスタは、ピッチ上でも群を抜くファンタジー溢れるプレーで観客を魅了。19年にはクラブ史上初タイトルとなる天皇杯制覇に貢献すると、翌20年のACLでは故障を押してプレーし、チームをベスト4に導いた。
13位:ヴェンゲル効果で名古屋が大変貌


Jリーグ開幕当初から不振が続いた名古屋グランパスは、1994年の第2ステージも最下位に終わり、目玉助っ人のピクシーことドラガン・ストイコビッチも出番が限定的で腐っていたという。

 しかし、翌95年にフランス屈指の名将と謳われるアーセン・ヴェンゲルが監督に就任すると、チームもピクシーも一変した。コンパクトで組織的な戦術の中で、なによりピッチ上の選手たちの個性が最大限に引き出され、第2ステージでリーグ2位に食い込むと、天皇杯を制してクラブ初タイトルを勝ち取る。残念ながらヴェンゲル体制は1年半で終焉を迎えるが、その監督としての力量は、新天地のアーセナルでも十分に証明された。
12位:次々に発覚したパワハラ行為
 1980年代にスポーツ紙で巨人を担当していた時期がある。当時の巨人はプロ野球界の中でも群を抜いて人々の関心が高かったので、連日大勢の報道陣が見守る前で練習が行われ、指導者が選手を殴れば「鉄拳制裁」とすぐに一面を飾った。衆人環視下でも蛮行が「厳しい指導」として正当化されていたわけで、同時代での似たような体験を経て、はるかに「見られている意識」が薄いサッカー界でパワハラが相次ぎ発覚するのは必然だった。

 2019年に明らかとなった湘南ベルマーレの゙貴裁監督(当時)によるパワハラ行為を皮切りに、東京ヴェルディ、サガン鳥栖、ガンバ大阪などでも同様の問題が露呈していくのだが、実際Jリーグに限らずサッカー界全体におけるハラスメントの意識は呆れるほど希薄だ。せっかく指導者養成制度を他競技に先駆けて確立したのだから、今後は範となるべく、良質な指導を受けた選手たちが伸びていく流れを築いていく責務がある。
11位:挑戦し続ける先駆者カズ
 Jリーグの開幕を控えた当時25歳の三浦知良は語っていた。

「今がピークだなんて思わない。一応、2002年までは頭にありますよ。常にワールドカップは目標だけど、ワールドカップに行ったらまた次の目標ができるだろうし、ずっと目標は上にあって、到達することもなくサッカーも終わるんじゃないかな。人生と同じですよ」

 35歳で迎える自国開催の日韓W杯を視野に入れているというのは、半ばジョークだったはずだ。日本代表をW杯に導くためにブラジルから帰国し、“ドーハの悲劇”で94年アメリカW杯出場を逃した後には、セリエAのジェノアに挑戦。ブームの牽引車にはファンと同じくらいのアンチも存在していたが、「それが本当のスター」だと本人は自覚していた。

 しかし、いつしかベテランの域を超えていく頃からは、アンチが消え、すべてのファンの尊敬の対象となる。若い頃は「ボクのようなタイプはキレがなくなったら終わり」と話していたカズだが、J2では50歳14日で得点し(Jリーグ最年長得点記録)、54歳12日でJ1のピッチに立った(J1最年長出場記録)。そして56歳となった現在は、ポルトガル2部リーグのUDオリヴェイレンセでプレー。Jリーグ初代MVPの現状を誰よりも驚いているのは、昔日のカズ自身かもしれない。
10位:G大阪が昇格→即3冠の快挙


ジュビロ磐田と鹿島アントラーズの二強時代を経た21世紀初頭のJリーグは、優勝争いから残留争いまでが紙一重で大混戦の様相を呈していた。それを象徴するように、2011年にはJ2から復帰したばかりの柏レイソルがJ1を制覇。同年にはJ2優勝を果たしたFC東京が、天皇杯を制している。

 こうした流れの中で、14年シーズンにガンバ大阪が快挙を成し遂げる。前年に長谷川健太監督を迎えてJ2を制すと、昇格1年目にいきなり3冠という世界でも未曾有の大偉業を達成したのだ。
9位:若手の育成環境が依然として暗中模索
 開幕当初、トップチームでの出場機会が限られる選手たちによるサテライトリーグを開催してきたJリーグだが、やがて形骸化して消滅。次に2016年からは、J1の3つのクラブ(FC東京、ガンバ大阪、セレッソ大阪)がU-23チームをJ3に参加させたが、この試みも長続きはしなかった(20年度で終了)。

 欧州では各クラブがU-23やU-20などのチームを持ち、もっとも実戦を経て伸びていく年代の選手たちを強化する仕組みが確立されているが、Jリーグの場合は下位リーグへのレンタル移籍や特別強化指定制度を利用して若手の強化を図るしかなく、ユースや高校を経てプロ入りした選手たちの有意義な公式戦の場が確保されていない。結果、大卒選手がリーグの約半数を占めていく要因にもなっている。

 アカデミーの逸材をトップレベルにまで育て上げる仕組みがなければ、今後世界との差を縮めていくのは難しくなる。またこの状況が続けば、リスク覚悟で早いタイミングで欧州挑戦を選択する選手が増えてくるかもしれない。
8位:草創期の雄ヴェルディの栄光と凋落
 野球との差別化を際立たせて颯爽とプロの時代を牽引したのは、風貌もプレーも個性派だらけのヴェルディ川崎(現東京ヴェルディ)だった。技術と勝負強さを併せ持つ三浦知良、ラモス瑠偉らは、世界的な高額年俸も含めてオン・オフを問わず話題を提供し続けた。

 だが、主力が高齢化し、観客動員が減少して経営が逼迫すると、読売新聞や日本テレビが相次ぎ撤退。読売グループはヴェルディを野球の巨人のようなナショナルブランドにしようと目論見、2001年にはホームタウンを当初の川崎から東京に移転したが、リーグが掲げる地域密着活動を疎かにしたツケは大きかった。その後、ヴェルディが去った等々力で人気を確立していく川崎フロンターレとは、くっきりと明暗を分けることになる。
7位:冤罪で潰された我那覇和樹という才能


Jリーグの最大の財産は選手であり、それは機構が何を差し置いても守るべきものだ。才能ある選手たちが、努力に即して活躍できる環境を担保できなければ、子どもたちも憧れを抱くことができない。

 ところがJリーグは、明白な非を認める潔さを持たず、我那覇和樹という才能を潰した。2007年4月、川崎フロンターレに所属していた日本代表FWの我那覇は、感冒の症状が出たため点滴治療を受けた。それをスポーツ紙が「にんにく注射」だと誤報を流し、Jリーグはドーピング違反として、反論の機会さえ与えず拙速に当事者とクラブに処分を下してしまう。

 我那覇は身の潔白を証明すべく、「誰もが自分と同じ思いをしてはならない」という強い責任感から、3440万円を払ってCAS(スポーツ仲裁裁判所)に訴え出て、全面的に申し立てを認められた。ところが、それでもJリーグは鬼武健二チェアマン(当時)が自らをけん責処分としただけで、我那覇への謝罪も経済的な補償もしていないという。

 我那覇は42歳の今も現役でプレーを続けている(九州サッカーリーグのジェイリースFC所属)。しかし損なわれた時間は戻ってこない。もちろん、すでに当時とは機構側の責任者の顔ぶれも変わっている。だが、我那覇自身の名誉の回復を図るのに遅すぎることはない。

6位:数々の語録も生んだオシムの革命


洞察力と語彙に富む一見無骨でシニカルな指揮官は、瞬く間に人心を掴んでいった。

「サッカーが人生そのもの」だと言い切るイビチャ・オシムは、リスクを冒して勇敢に攻めに出ていくサッカーを、中位以下の順位が染みついていたジェフユナイテッド市原(現ジェフユナイテッド千葉)に浸透させ、ファンを魅了していく。

 2003年のオシム監督就任以降、クラブは一転リーグの優勝争いに加わり、05年、06年とリーグカップを連覇。オシムは日本代表に引き抜かれる運命を辿る。指導者、選手を問わずサッカーファミリーの指針として、彼は今も多くの人の心の中で生き続けている。
5位:磐田全盛を象徴する中山の4戦連続ハットトリック
 1人のストライカーが4試合も連続してハットトリックを達成する──。それは、とりわけプロの世界ではありえないし、あってはいけない出来事だと思ったので、対戦相手に事情を聞いてみた。

 すると、結局中山雅史を止め切れないのは、ジュビロ磐田の中盤の構成力が突出していたからだった。ドゥンガ、名波浩、藤田俊哉、福西崇史、奥大介……。卓越したポゼッションが対戦相手の集中力と体力を削ぎ、動き直しを厭わない中山へ必殺のパスが面白いように通る。だから中山は「エリア内でどう動き、どこにボールを置くかで、ほぼ決まる」と、反復練習を繰り返した。

 この偉業もあって、中山は1998年シーズンに36ゴールを量産して得点王に輝くのだが、チームの黄金期は完全優勝を果たす2002年まで途切れることなく続いた。
4位:DAZNマネー到来の功罪
 2017年、Jリーグは『DAZN』と10年間で約2100億円と破格の放映権契約を結び、さらに23年からは11年間で約2395億円にのぼる新契約を締結することで合意に至った。

『DAZN』との契約で、Jクラブの財政事情は劇的に好転し、ファンもJ3まですべての試合を楽しめるようになった。だが反面、今後Jリーグは従来の均等配分から、成績やファンの増減といった結果配分中心へシフトしていくという。ところが結果配分を先行した欧州側の視線は、Jリーグの放映権配分の転換に懐疑的だ。

 なぜなら、以来欧州各国リーグでは優勝を狙えるチームが絞られ、コンペティションとしての魅力が激減しているからだ。ドイツではバイエルンが10連覇、イタリアではユベントスが9連覇を達成するなど一強支配が目立ち、欧州リーグ協会の前事務局長などは「Jリーグは絶対に真似をしてはいけない」と忠告しているそうである。

 Jリーグは創設以来、毎年のように世界でも稀な混戦が続き、むしろ欧州側はそれを羨んでいる。しかしJリーグは、アジアをリードしていくようなビッグクラブの誕生を望んでいる。結果配分がどんな変化を導くのか。その成り行きを注視していく必要がある。
3位:風間で上手くなり、鬼木で強くなった川崎

2005年からJ1に定着してきた川崎フロンターレは、関塚隆体制で3度もリーグ準優勝を果たすが、どうしてもタイトルに届かず、12年に満を持して風間八宏監督を迎えた。

 その指導に即効性があったわけではないが、やがて「止めて、蹴る」という繊細な技術で優位性を示し始め、圧倒的なボール支配でファンを魅了。残念ながら風間時代も肉薄しながら頂点には立てなかったが、川崎で上手くなる流れは中村憲剛や大久保嘉人らベテランも例外ではなく、17年に鬼木達監督が就任すると一気に実力が開花する。

 以降の6年間で4度のリーグ優勝を含む8つのタイトル(リーグカップ1回、天皇杯1回、スーパーカップ2回)を獲得。22年のカタールW杯でも、新旧の在籍者が日本代表の中核を成した。
2位:横浜フリューゲルスの消滅


1998年、オリジナル10のメンバーだった横浜フリューゲルスが消滅した。佐藤工業と全日空の共同出資でスタートしたクラブは、親会社が経営難に直面し、横浜マリノスに吸収合併される形で終焉を迎える。

 衝撃の事実は選手たちにとっても寝耳に水で、クラブ側から報告を受けるのは朝刊に目を通した後だった。フリューゲルスに残された最後のタイトルは天皇杯。チーム内では、若い選手のアピールの場に使おうという意見も出た。しかし最後はゲルト・エンゲルス監督の「ベストで戦いたい」との声に若手選手たちも同意。結束したチームは、近隣の駅周辺で存続を訴えるビラ配りなども行いながら、ジュビロ磐田、鹿島アントラーズ、清水エスパルスという強豪を倒して日本一に到達する。

 指揮官以下選手たちは、存続への可能性を信じて勝ち続けた。しかし「誰か助けてくれないか!」というエンゲルス監督の呼びかけに応えるスポンサーは現れなかった。親会社に依存せず地域密着での活動を旗印に掲げたリーグとしては、痛恨の出来事だった。
1位:“無名”の鹿島が20冠、そしてR・マドリーに肉薄


Jリーグの開幕を控え、川淵三郎チェアマン(当時)に「99.9パーセント(参加は)不可能」と断じられた鹿島アントラーズが、専用スタジアムとプロを熟知するジーコという最適の伝道師を得て、奇跡的な発展を遂げた。

 2000年に史上初の3冠を達成、09年にはJリーグ史上初の3連覇を飾るなど黄金時代を築くと、18年にはACLで初優勝。悲願のアジア制覇で国内最速の20冠という快挙を成し遂げる。こうしてリーグ屈指の強豪に成長した鹿島は、16年のクラブワールドカップでは世界を驚愕させた。

 アジア勢として初めて決勝に勝ち上がった鹿島の相手は、“白い巨人”レアル・マドリー。開始9分に先制を許した鹿島だが、その後は怯むことなく柴崎岳の2ゴールで逆転。その後に追いつかれるが、終了間際に金崎夢生が受けたファウルで、仮にセルヒオ・ラモスにこの日2枚目のイエローカードが提示されていれば、鹿島が大きく勝利に近づいた可能性があった。しかし、主審はカードに手をかけながらも躊躇し、試合を続行。結局、鹿島は延長戦で2点を奪われて力尽きた。

 思えば鹿島には、Jリーグ開幕前の欧州合宿でクロアチア代表に大敗し、ジーコを激怒させた過去がある。筋金入りの負けず嫌いな伝道師の魂は、脈々と引き継がれクラブの伝統となっていた。

2023年07月21日

Jリーガー部門別“スペシャリスト”ランキング ドリブル、スルーパス、FK……歴代最高の使い手は誰だ?

一般的な「ベストプレーヤー企画」とは少し趣向を変えてみる。ここで選出するのは、ドリブルやスルーパス、スピード、空中戦の強さなど、サッカーに求められるスキル・能力に特化した歴代ベストだ。前後編の2回にわたってお届けするJリーガーの“スペシャリスト”ランキング。前編では、『週刊サッカーマガジン』の編集長などを歴任したライターの北條聡氏に、「ドリブラー部門」「スルーパス部門」「クロッサー部門」「プレースキッカー部門」のベスト5を選出してもらった。


(カッコ内はJリーグの所属クラブ/※現役)
1位:三笘薫(川崎F)※
2位:本山雅志(鹿島、北九州)
3位:乾貴士(横浜FM、C大阪、清水)※
4位:伊東純也(甲府、柏)※
5位:前園真聖(横浜F、V川崎、湘南)

 特大のインパクトを放った三笘薫こそ歴代最高のドリブラーじゃなかろうか。鋭い方向転換と急加速で防御の網をやすやすと切り裂く様は痛快至極。その活躍はまだ記憶に新しいが、止める手立てのない空前の破壊力はもはや伝説と言ってもいい。

 三笘以前の最高峰は本山雅志か。ボールが足に吸いつく“人球一体”の仕掛けは速く、巧みで、外から中央まで場所を選ばなかった。残る3人は多士済々の顔ぶれ。密集地帯で際立つ乾貴士のすり抜けは鋭い短刀、韋駄天でもある伊東純也の一気通貫は力強い長槍だった。そして、忘れがたいのが前園真聖だ。大胆にもドン・キホーテと紙一重の正面突破を試み、しばしばネットを揺らした勇者を長く記憶に留めたい。
【SIESTA読谷】
シエスタ読谷さんの画像
シエスタ読谷
ハイサイ!(*゚▽゚*) 南国の地、沖縄県の社会人サッカー1部リーグに所属しております、シエスタ読谷と申します! 当ブログでは様々なサッカー関連情報や動画等を紹介したりしていきたいと思います♪
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