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2021年05月19日
認知・判断・操作
ついに在宅勤務の波が弊社にも来たよ、弊社にも。
家で仕事しつつ、息抜きに書くブログ。きょうはこんなこと思いついた。
「人生は、認知、判断、操作」
車の運転に、認知・判断・操作というものがある。
周りの状況を認知し、どうすべきか判断して、車を操作する、というプロセスだ。
ふと免許合宿での勉強会で聞いたのを思い出した。
しかしこれは、人生の大部分に当てはまると思う。
外が寒いという状況を認知、コートを着るか否か判断、着るor着ないの操作。
友達が公園で遊んでいるという状況を認知、輪に入るか否かの判断、入るor入らないの操作。
スーパーで買い物中に安売りの品を見つけるという認知、買うか否かの判断、買うor買わないの操作。
この場合操作は、自分の体を操作する、いわば行動。車を運転しようがしまいが、我々は日々これを繰り返して生きている。
「認知」による現実の確認、これに対して働きかけ方を決定する「判断」、実際に行動を起こす「操作」。
この三ステップを総称して、人は「選択」という呼び方をする。
では、人は皆、意識的ないし無意識的にでも、どんなことにおいても必ずこの三ステップを踏んでいるのだろうか。実を言うと、そうではないと思う。
例えばこんな時はどうか。
本屋で立ち読みした際に、宗教勧誘の人に声をかけられたり。
ちょっとした昔馴染みの知り合いから、マルチ商法の誘いを受けたり。
おそらくこうした時、人は件の三ステップをきちんと踏まない。と言うのも、「宗教勧誘はヤバいからやめろ」「マルチ商法は犯罪だ」などと日常から周りに言われていたら、即座に「判断」のステップに飛んでしまうのだ。
人から言われたことだけ鵜呑みにして、自分で現実を「認知」していないにもかかわらず、である。
これこそが、最大の問題点と考えられる。
もちろんそう言う勧誘には悪い奴らも大勢いる。これは事実。
しかし同時に、本心から人の助けになりたいと考えて行動している人もたまーにいる。これもまた事実。
大事なのは、自分でその善悪を見極められる目を持つことに他ならない。正しく「認知」すれば、もしかしたらそれが自分の幸福の一助になるかもしれない。
いざこう言う場面に出くわすと、大抵の人はオロオロするか、頑として断るかだろう。
なぜか?
それは「認知の欠如から来る、恐怖心」に心が支配されているからだ。
人は認知していないものに当然恐怖を抱く。だから実はチャンスであるはずのイベントも「未知の恐怖の対象」で片付けて終わり。
何も変化のない日々を継続する。
そしてそう言う人に限って、今の日々に不満や愚痴ばかり溢している。
どうすればその善悪を見極められるか。
100%正確な方法は、分からない。
ただその確率を上げる行動があるとすれば、「なぜ人は〜と言うのか?」常日頃から積極的に調べ聞いて探究することだろう。
日頃から「認知」を繰り返し、いざと言うときの「判断・操作」を適切に行う。このための準備に可能な限り時間を割くことだ。
「そんなに毎日調べたり興味持ったりできない」と嘆く人もいるだろう。老若男女問わず、そう言う人はいる。
しかし考えて見てほしい。
例えばベテランの会社員。なぜ仕事において突発的な事象に素早く対応できるのか。
例えばゲーム好きな人。なぜ突如現れた敵を迎え撃てるのか。
例えば優秀な成績の生徒。なぜ抜き打ちテストでもいい点が取れるのか。
それは、仕事・ゲーム・勉強などにおいて、「突発的な事象に対処する」という目的を持って日頃から認知のフェーズを繰り返しているからだ。
意識的にでも、無意識にでも、その積み重ねが突発的な事象でも「判断・操作」ができるようになる土台を作っている。
人は皆、知らず知らずのうちに認知をしているのだ。
ならばこそ、先程の例にもこれは当てはまる。
「なぜ宗教勧誘が悪なのか?」「なぜマルチ商法が違法なのか?」
「なぜ」を追求し続けることで、自然と認知は大きく広がり、何か起きてもすぐさま判断・操作ができる。
言い換えると、突発的な事象に対処するという「目的意識」を持って、日頃から当たり前のように「認知」を繰り返さなければ、適切な判断・操作ができないのだ。
これに気づかない限り、人は日々小さな幸福(積み重ねれば大きくなる)を逃し続ける。
日々、選択を迫られているという認識こそが、我々が持つべき最も重要な要素だ。
私はこの点において、認知を日々繰り返した。結論、宗教団体も悪い人ばかりではないし、マルチ商法にも厳密には違法でないものが存在する。
これは、事実だ。
さあ、これであなたも現実の一部を「認知」した。
何も、宗教団体に入れとか、マルチ商法に関われとか、そう言うことが言いたいのではない。
毎日が「新たな認知との出会い」、目的は「人生のいくつものイベントに正しく判断・操作」を行うこと。
面倒くさがる人は、このイベントがいつ起こるか分からないと認知を怠ろうとする。
たしかにいつ起こるか分からないが、死ぬまでにいつか起こることは、全人類とも確定している。
変わりたいと思うなら、この何もない日々に終止符を打ちたいと思うなら、いますぐスマホ片手に「認知」を始めよう。
イベントの足音が、もうすぐそこまで迫っているから。
なんかどっかの自己啓発本みたいな中身になった…笑
まずは自分は読書やセミナー参加による自己投資。
これで自分を高めるしかない。
…とはいえ、早くも以前掲げた『5足の草鞋』が軋んできた気がするけど……!
家で仕事しつつ、息抜きに書くブログ。きょうはこんなこと思いついた。
「人生は、認知、判断、操作」
車の運転に、認知・判断・操作というものがある。
周りの状況を認知し、どうすべきか判断して、車を操作する、というプロセスだ。
ふと免許合宿での勉強会で聞いたのを思い出した。
しかしこれは、人生の大部分に当てはまると思う。
外が寒いという状況を認知、コートを着るか否か判断、着るor着ないの操作。
友達が公園で遊んでいるという状況を認知、輪に入るか否かの判断、入るor入らないの操作。
スーパーで買い物中に安売りの品を見つけるという認知、買うか否かの判断、買うor買わないの操作。
この場合操作は、自分の体を操作する、いわば行動。車を運転しようがしまいが、我々は日々これを繰り返して生きている。
「認知」による現実の確認、これに対して働きかけ方を決定する「判断」、実際に行動を起こす「操作」。
この三ステップを総称して、人は「選択」という呼び方をする。
では、人は皆、意識的ないし無意識的にでも、どんなことにおいても必ずこの三ステップを踏んでいるのだろうか。実を言うと、そうではないと思う。
例えばこんな時はどうか。
本屋で立ち読みした際に、宗教勧誘の人に声をかけられたり。
ちょっとした昔馴染みの知り合いから、マルチ商法の誘いを受けたり。
おそらくこうした時、人は件の三ステップをきちんと踏まない。と言うのも、「宗教勧誘はヤバいからやめろ」「マルチ商法は犯罪だ」などと日常から周りに言われていたら、即座に「判断」のステップに飛んでしまうのだ。
人から言われたことだけ鵜呑みにして、自分で現実を「認知」していないにもかかわらず、である。
これこそが、最大の問題点と考えられる。
もちろんそう言う勧誘には悪い奴らも大勢いる。これは事実。
しかし同時に、本心から人の助けになりたいと考えて行動している人もたまーにいる。これもまた事実。
大事なのは、自分でその善悪を見極められる目を持つことに他ならない。正しく「認知」すれば、もしかしたらそれが自分の幸福の一助になるかもしれない。
いざこう言う場面に出くわすと、大抵の人はオロオロするか、頑として断るかだろう。
なぜか?
それは「認知の欠如から来る、恐怖心」に心が支配されているからだ。
人は認知していないものに当然恐怖を抱く。だから実はチャンスであるはずのイベントも「未知の恐怖の対象」で片付けて終わり。
何も変化のない日々を継続する。
そしてそう言う人に限って、今の日々に不満や愚痴ばかり溢している。
どうすればその善悪を見極められるか。
100%正確な方法は、分からない。
ただその確率を上げる行動があるとすれば、「なぜ人は〜と言うのか?」常日頃から積極的に調べ聞いて探究することだろう。
日頃から「認知」を繰り返し、いざと言うときの「判断・操作」を適切に行う。このための準備に可能な限り時間を割くことだ。
「そんなに毎日調べたり興味持ったりできない」と嘆く人もいるだろう。老若男女問わず、そう言う人はいる。
しかし考えて見てほしい。
例えばベテランの会社員。なぜ仕事において突発的な事象に素早く対応できるのか。
例えばゲーム好きな人。なぜ突如現れた敵を迎え撃てるのか。
例えば優秀な成績の生徒。なぜ抜き打ちテストでもいい点が取れるのか。
それは、仕事・ゲーム・勉強などにおいて、「突発的な事象に対処する」という目的を持って日頃から認知のフェーズを繰り返しているからだ。
意識的にでも、無意識にでも、その積み重ねが突発的な事象でも「判断・操作」ができるようになる土台を作っている。
人は皆、知らず知らずのうちに認知をしているのだ。
ならばこそ、先程の例にもこれは当てはまる。
「なぜ宗教勧誘が悪なのか?」「なぜマルチ商法が違法なのか?」
「なぜ」を追求し続けることで、自然と認知は大きく広がり、何か起きてもすぐさま判断・操作ができる。
言い換えると、突発的な事象に対処するという「目的意識」を持って、日頃から当たり前のように「認知」を繰り返さなければ、適切な判断・操作ができないのだ。
これに気づかない限り、人は日々小さな幸福(積み重ねれば大きくなる)を逃し続ける。
日々、選択を迫られているという認識こそが、我々が持つべき最も重要な要素だ。
私はこの点において、認知を日々繰り返した。結論、宗教団体も悪い人ばかりではないし、マルチ商法にも厳密には違法でないものが存在する。
これは、事実だ。
さあ、これであなたも現実の一部を「認知」した。
何も、宗教団体に入れとか、マルチ商法に関われとか、そう言うことが言いたいのではない。
毎日が「新たな認知との出会い」、目的は「人生のいくつものイベントに正しく判断・操作」を行うこと。
面倒くさがる人は、このイベントがいつ起こるか分からないと認知を怠ろうとする。
たしかにいつ起こるか分からないが、死ぬまでにいつか起こることは、全人類とも確定している。
変わりたいと思うなら、この何もない日々に終止符を打ちたいと思うなら、いますぐスマホ片手に「認知」を始めよう。
イベントの足音が、もうすぐそこまで迫っているから。
なんかどっかの自己啓発本みたいな中身になった…笑
まずは自分は読書やセミナー参加による自己投資。
これで自分を高めるしかない。
…とはいえ、早くも以前掲げた『5足の草鞋』が軋んできた気がするけど……!