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2021年05月15日
転職について考えてみた
今自分が向き合っている壁、すなわち今後の身の振り方について。
仕事帰りの車の中で、ふと思いついたこと。
今の自分の会社は、業界内ではトップ、需要的にも安定してる。
そう、あくまで安定。
しかし、この会社がやってること(簡易に言うと、土木関係のメーカー事業)は、俺を「幸せ」にはしてくれない。
幸せって、自分がこれをやってて心から満たされる!透き通るような充足感!
そう言うものじゃなかろうか?
会社の仕事はおもしろいところはもちろんあるが、それは一時「自分が必要とされたことへの悦び」を感じるに過ぎない。
いい会議資料を作って上司に褒められる、仕事をテキパキこなしてお客さんに感謝される、社内の人との円滑なコミュニケーションを育んで職場を良くする。
自分なりにやれることを常にやっているけど、どれも「幸せ」にたるものじゃない。
なぜかって、多分俺が就活した時、社会人になることが怖くてたまらなかったから。
「先行き不透明、人口減少、若者と高齢者の溝、もらえない年金、上がらない給料」……
まだ社会というものについて良く知らないのに、不安要素ばかり先行する。
怖くてたまらなかった。
それでもなんの特徴もないサラリーマンになった。
安定した会社、十分な教育、ボーナスとか、目先の欲を優先したから。
それがないと怖くて働けなかったから。
結論、それらは全て叶った。
優しく仕事を指導してくれる良い上司というおまけもついて。
それでも、満たされなかった。
当然だね。
自分が「これさえ叶えば明日死んでも後悔しない!」て言えるくらいの目標、人生の目的を(仮でも)設定しなかったから。
今ならわかる。
目標設定がどれだけ大事か。
俺は今まさに、それを決めようと勉強に励み、いろんなものを見ている。
とりあえずでも「自分で決めた目標」に向かって歩けば、恐怖とか、周りの圧力とか、外的要因に縛られずに生きられる。転職はきっと、そのための一つの有効手段。
これ以上「幸せでも不幸でもないグレーゾーン」に、貴重な人生の時間を費やすわけにはいかない。
人によっては「そんなの贅沢だ!」という人もいるかもだけど、ぶっちゃけ自分の「幸せ」のために生きられないなら、それはもはや生き地獄。
その渦中にある人が、他人の足を引っ張る最悪の構図になりかねない。
「自分の人生の傍観者」になってはいけない。
そのために、幸せへのストイックさは必要かもね。
仕事帰りの車の中で、ふと思いついたこと。
今の自分の会社は、業界内ではトップ、需要的にも安定してる。
そう、あくまで安定。
しかし、この会社がやってること(簡易に言うと、土木関係のメーカー事業)は、俺を「幸せ」にはしてくれない。
幸せって、自分がこれをやってて心から満たされる!透き通るような充足感!
そう言うものじゃなかろうか?
会社の仕事はおもしろいところはもちろんあるが、それは一時「自分が必要とされたことへの悦び」を感じるに過ぎない。
いい会議資料を作って上司に褒められる、仕事をテキパキこなしてお客さんに感謝される、社内の人との円滑なコミュニケーションを育んで職場を良くする。
自分なりにやれることを常にやっているけど、どれも「幸せ」にたるものじゃない。
なぜかって、多分俺が就活した時、社会人になることが怖くてたまらなかったから。
「先行き不透明、人口減少、若者と高齢者の溝、もらえない年金、上がらない給料」……
まだ社会というものについて良く知らないのに、不安要素ばかり先行する。
怖くてたまらなかった。
それでもなんの特徴もないサラリーマンになった。
安定した会社、十分な教育、ボーナスとか、目先の欲を優先したから。
それがないと怖くて働けなかったから。
結論、それらは全て叶った。
優しく仕事を指導してくれる良い上司というおまけもついて。
それでも、満たされなかった。
当然だね。
自分が「これさえ叶えば明日死んでも後悔しない!」て言えるくらいの目標、人生の目的を(仮でも)設定しなかったから。
今ならわかる。
目標設定がどれだけ大事か。
俺は今まさに、それを決めようと勉強に励み、いろんなものを見ている。
とりあえずでも「自分で決めた目標」に向かって歩けば、恐怖とか、周りの圧力とか、外的要因に縛られずに生きられる。転職はきっと、そのための一つの有効手段。
これ以上「幸せでも不幸でもないグレーゾーン」に、貴重な人生の時間を費やすわけにはいかない。
人によっては「そんなの贅沢だ!」という人もいるかもだけど、ぶっちゃけ自分の「幸せ」のために生きられないなら、それはもはや生き地獄。
その渦中にある人が、他人の足を引っ張る最悪の構図になりかねない。
「自分の人生の傍観者」になってはいけない。
そのために、幸せへのストイックさは必要かもね。
転職について考えてみた
今自分が向き合っている壁、すなわち今後の身の振り方について。
仕事帰りの車の中で、ふと思いついたこと。
今の自分の会社は、業界内ではトップ、需要的にも安定してる。
そう、あくまで安定。
しかし、この会社がやってること(簡易に言うと、土木関係のメーカー事業)は、俺を「幸せ」にはしてくれない。
幸せって、自分がこれをやってて心から満たされる!透き通るような充足感!
そう言うものじゃなかろうか?
会社の仕事はおもしろいところはもちろんあるが、それは一時「自分が必要とされたことへの悦び」を感じるに過ぎない。
いい会議資料を作って上司に褒められる、仕事をテキパキこなしてお客さんに感謝される、社内の人との円滑なコミュニケーションを育んで職場を良くする。
自分なりにやれることを常にやっているけど、どれも「幸せ」にたるものじゃない。
なぜかって、多分俺が就活した時、社会人になることが怖くてたまらなかったから。
「先行き不透明、人口減少、若者と高齢者の溝、もらえない年金、上がらない給料」……
まだ社会というものについて良く知らないのに、不安要素ばかり先行する。
怖くてたまらなかった。
それでもなんの特徴もないサラリーマンになった。
安定した会社、十分な教育、ボーナスとか、目先の欲を優先したから。
それがないと怖くて働けなかったから。
結論、それらは全て叶った。
優しく仕事を指導してくれる良い上司というおまけもついて。
それでも、満たされなかった。
当然だね。
自分が「これさえ叶えば明日死んでも後悔しない!」て言えるくらいの目標、人生の目的を(仮でも)設定しなかったから。
今ならわかる。
目標設定がどれだけ大事か。
俺は今まさに、それを決めようと勉強に励み、いろんなものを見ている。
これ以上「幸せでも不幸でもないグレーゾーン」に、貴重な人生の時間を費やすわけにはいかない。
人によっては「そんなの贅沢だ!」という人もいるかもだけど、ぶっちゃけ自分の「幸せ」のために生きられないなら、それはもはや生き地獄。
その渦中にある人が、他人の足を引っ張る最悪の構図になりかねない。
「自分の人生の傍観者」になってはいけない。
そのために、幸せへのストイックさは必要かもね。
仕事帰りの車の中で、ふと思いついたこと。
今の自分の会社は、業界内ではトップ、需要的にも安定してる。
そう、あくまで安定。
しかし、この会社がやってること(簡易に言うと、土木関係のメーカー事業)は、俺を「幸せ」にはしてくれない。
幸せって、自分がこれをやってて心から満たされる!透き通るような充足感!
そう言うものじゃなかろうか?
会社の仕事はおもしろいところはもちろんあるが、それは一時「自分が必要とされたことへの悦び」を感じるに過ぎない。
いい会議資料を作って上司に褒められる、仕事をテキパキこなしてお客さんに感謝される、社内の人との円滑なコミュニケーションを育んで職場を良くする。
自分なりにやれることを常にやっているけど、どれも「幸せ」にたるものじゃない。
なぜかって、多分俺が就活した時、社会人になることが怖くてたまらなかったから。
「先行き不透明、人口減少、若者と高齢者の溝、もらえない年金、上がらない給料」……
まだ社会というものについて良く知らないのに、不安要素ばかり先行する。
怖くてたまらなかった。
それでもなんの特徴もないサラリーマンになった。
安定した会社、十分な教育、ボーナスとか、目先の欲を優先したから。
それがないと怖くて働けなかったから。
結論、それらは全て叶った。
優しく仕事を指導してくれる良い上司というおまけもついて。
それでも、満たされなかった。
当然だね。
自分が「これさえ叶えば明日死んでも後悔しない!」て言えるくらいの目標、人生の目的を(仮でも)設定しなかったから。
今ならわかる。
目標設定がどれだけ大事か。
俺は今まさに、それを決めようと勉強に励み、いろんなものを見ている。
これ以上「幸せでも不幸でもないグレーゾーン」に、貴重な人生の時間を費やすわけにはいかない。
人によっては「そんなの贅沢だ!」という人もいるかもだけど、ぶっちゃけ自分の「幸せ」のために生きられないなら、それはもはや生き地獄。
その渦中にある人が、他人の足を引っ張る最悪の構図になりかねない。
「自分の人生の傍観者」になってはいけない。
そのために、幸せへのストイックさは必要かもね。
林修さんと落合陽一さんの対談(『日曜日の初耳学』)
最近はあまりテレビを見ない俺も、久々に気になる番組があった。
先日の9日、22時から放送された『日曜日の初耳学』。
林先生と落合陽一さんの対談が放送された回を録画して観たけど、ここで言ってた話が個人的に刺さったなぁ〜
@ 入試は経歴モンスターに勝つことができる唯一の公平な手段
A 日本人は人口動態、平均年齢から考えると47歳でも若者
B ガッツはレッドオーシャン
@
まずは入試について。
たしかに個人的にも、AO入試て一見「勉強しなくていいじゃん!」て思っちゃう感じだけど、
「勉強をどれだけしたかの努力量が未来の成果に直結する」ていうのは、これまでの人間的バックグラウンドに一切関係しない、本人の意志でいくらでも伸ばせる領域。
そう思えば公平。
自由な選択権を手にするのに、もっとも「簡単な」やり方なんだね。
ドラゴン桜の桜木先生が言ってるのも核心をついてる。
「バカとブスこそ東大に行け!」
ちなみに私めは、東京都御茶ノ水駅近くの某私立大です…orz
A
47歳で若者!オドロキ。
しかしまあ、そう言われるとよくよく考えれば納得。
以前のある日こんなデータを見た↓
https://www.f-ism.net/ebi/mreport/r00000000047/
アニメについて気になったことを見てたら偶然見つけたページ。
40代が最多!?て思ったけど、昨年の鬼滅ブームを見たらあんまり気にならなくなった。
あの時は50代の上司すら「煉獄さんが熱い!映画を子供と観に行って泣いた!」とか熱弁してたし(笑)
子供と一緒にプリキュアを観て、ハマる40代の上司もいるし。
Twitterでいつか観た、セーラームーンにハマる40代男性もいるらしいし。
「相対的には若者」
この考え方は大事かもな。
LIFESHIFTにもあった。
「勉強、仕事、引退の3ステージが壊れ、年齢で判断ができなくなっていくだろう。より多様な世代が交流し、『彼らと我々』と言った別世界のように感じる垣根がなくなるだろう」
的な記述。
これはもうとっくに、身の周りで起こってたわけだ。ただ、主観で見られなかっただけの話。
B
今回はこれが何にもまして一番自分にヒット。
「最近の若者はガッツがない」なんてよく言われるし、言われる側も側で「そんな考え方古い」て言ってて、亀裂が入ってる。
けど、両方とも気持ちわかる。
年配の方々は「自分に与えられた場所で熱意を持って、見染められて上に上がるのが当然だ!なぜ頑張らない??」という考え。
言うまでもなく、これは高度成長期など、過去にしか通用しない考え。
けど、この人たちにとってはそれが「現実(過去確かに体験した出来事)」だったから、嘘も言ってない。
他方若者は「こんな頑張っても認められない、苦しいだけの時代で何をしろと!?いかに楽しく生きるか考えた方がマシ」という考え。
彼らはなんとなく、産業時代の働き方が無理ゲーだと分かってるけど、だからといってどうしたらいいのか、明確な答えを弾き出せないできる。
しかし、この拮抗がかなり長いこと続いた中でも、老若男女で成功者は多数出ている。
なぜだろうか?
多分、ガッツがあったから。
しかしそれは
「自分の考え方を見つめ直し、時代の求める方向を見極め、自分のリソースを最大限に活かせる道で、『信じて突き進む』ガッツ」
なんだろうな。
前述の対立は「従来型の働き方しか生きる術はない」と思い込んでいる人同士の対立。
そこから視点を上げて考えれば、
「自分に合ったガッツの出し方」
は見えてくるのだろう。
そうやって数多くの人が成功してきた。
他人のシステムや考えに左右され、ぶら下がっても、反発ばかりで楽な方に流れても、この正しいガッツは得られないのだと思う。
自分の目標さえ定めれば。
それに寄与するか?否か?
で、ガッツを入れるか否かを判断して、正しいと思われる道を歩める。
しかしあくまでも、それこそが真の「スタート地点」。そんなことはとっくの昔に多くの人が通った道。
それに何であれ、ガッツが枯渇してしまった人は最悪の選択肢、すなわち自分の命を投げ捨てることすら選びかねないのでは…
みんな生きてるだけで、もうすでに小さなガッツを手にしてる。
俺はそう思う。
だからガッツは「レッドオーシャン」。
と、個人的に解釈した!
なかなか深い回でした。
この前落合さんの著書「2030年の世界地図」を購入したので、ぜひそちらも読んでより理解を深めたいところ…!
先日の9日、22時から放送された『日曜日の初耳学』。
林先生と落合陽一さんの対談が放送された回を録画して観たけど、ここで言ってた話が個人的に刺さったなぁ〜
@ 入試は経歴モンスターに勝つことができる唯一の公平な手段
A 日本人は人口動態、平均年齢から考えると47歳でも若者
B ガッツはレッドオーシャン
@
まずは入試について。
たしかに個人的にも、AO入試て一見「勉強しなくていいじゃん!」て思っちゃう感じだけど、
「勉強をどれだけしたかの努力量が未来の成果に直結する」ていうのは、これまでの人間的バックグラウンドに一切関係しない、本人の意志でいくらでも伸ばせる領域。
そう思えば公平。
自由な選択権を手にするのに、もっとも「簡単な」やり方なんだね。
ドラゴン桜の桜木先生が言ってるのも核心をついてる。
「バカとブスこそ東大に行け!」
ちなみに私めは、東京都御茶ノ水駅近くの某私立大です…orz
A
47歳で若者!オドロキ。
しかしまあ、そう言われるとよくよく考えれば納得。
以前のある日こんなデータを見た↓
https://www.f-ism.net/ebi/mreport/r00000000047/
アニメについて気になったことを見てたら偶然見つけたページ。
40代が最多!?て思ったけど、昨年の鬼滅ブームを見たらあんまり気にならなくなった。
あの時は50代の上司すら「煉獄さんが熱い!映画を子供と観に行って泣いた!」とか熱弁してたし(笑)
子供と一緒にプリキュアを観て、ハマる40代の上司もいるし。
Twitterでいつか観た、セーラームーンにハマる40代男性もいるらしいし。
「相対的には若者」
この考え方は大事かもな。
LIFESHIFTにもあった。
「勉強、仕事、引退の3ステージが壊れ、年齢で判断ができなくなっていくだろう。より多様な世代が交流し、『彼らと我々』と言った別世界のように感じる垣根がなくなるだろう」
的な記述。
これはもうとっくに、身の周りで起こってたわけだ。ただ、主観で見られなかっただけの話。
B
今回はこれが何にもまして一番自分にヒット。
「最近の若者はガッツがない」なんてよく言われるし、言われる側も側で「そんな考え方古い」て言ってて、亀裂が入ってる。
けど、両方とも気持ちわかる。
年配の方々は「自分に与えられた場所で熱意を持って、見染められて上に上がるのが当然だ!なぜ頑張らない??」という考え。
言うまでもなく、これは高度成長期など、過去にしか通用しない考え。
けど、この人たちにとってはそれが「現実(過去確かに体験した出来事)」だったから、嘘も言ってない。
他方若者は「こんな頑張っても認められない、苦しいだけの時代で何をしろと!?いかに楽しく生きるか考えた方がマシ」という考え。
彼らはなんとなく、産業時代の働き方が無理ゲーだと分かってるけど、だからといってどうしたらいいのか、明確な答えを弾き出せないできる。
しかし、この拮抗がかなり長いこと続いた中でも、老若男女で成功者は多数出ている。
なぜだろうか?
多分、ガッツがあったから。
しかしそれは
「自分の考え方を見つめ直し、時代の求める方向を見極め、自分のリソースを最大限に活かせる道で、『信じて突き進む』ガッツ」
なんだろうな。
前述の対立は「従来型の働き方しか生きる術はない」と思い込んでいる人同士の対立。
そこから視点を上げて考えれば、
「自分に合ったガッツの出し方」
は見えてくるのだろう。
そうやって数多くの人が成功してきた。
他人のシステムや考えに左右され、ぶら下がっても、反発ばかりで楽な方に流れても、この正しいガッツは得られないのだと思う。
自分の目標さえ定めれば。
それに寄与するか?否か?
で、ガッツを入れるか否かを判断して、正しいと思われる道を歩める。
しかしあくまでも、それこそが真の「スタート地点」。そんなことはとっくの昔に多くの人が通った道。
それに何であれ、ガッツが枯渇してしまった人は最悪の選択肢、すなわち自分の命を投げ捨てることすら選びかねないのでは…
みんな生きてるだけで、もうすでに小さなガッツを手にしてる。
俺はそう思う。
だからガッツは「レッドオーシャン」。
と、個人的に解釈した!
なかなか深い回でした。
この前落合さんの著書「2030年の世界地図」を購入したので、ぜひそちらも読んでより理解を深めたいところ…!