2015年08月10日
去っていったバスと女は追いかけてはいけない
去っていったバスと女は追いかけてはいけない
映画「春の日は過ぎゆく」より
2001年韓国
ホ・ジノ監督作品
あれは何度目のデートだったろう?
初めて手をつないだときの温もりと心臓のドキドキは今でも忘れられません。
恋してるときは身も心も地上から5センチほど浮いてるようなふんわりとした浮遊感があって、それはまるで「非日常」の世界にいるような感覚でした。
すべてが新鮮で心の中のすべてが恋する喜びに満ちていたような気がします。
あれは何度目のデートだったろう?
何もかもが当たり前の「日常」のようになったとき、恋は終わりました。
いつしか言葉では言い表せない感情が芽生え、無意識のうちに心が離れていったのかもしれません。
映画「春の日は過ぎゆく」は恋してるときの喜怒哀楽のすべてが詰まった、とっても静かで繊細な恋愛映画です。
録音技師のサンウは恋愛経験が少なそうな純朴で優しすぎるほど優しい青年で、DJのウンスは年上で活発で明るいバツイチの女性。
そんな二人が出会って恋に落ちるんですが、恋愛初期はただ一緒にいられるだけで幸せだし、一分一秒でも長く一緒にいたい、少しでも離れていると寂しくて今すぐに逢いたくなるし、四六時中「好き」だと言ってほしいと思うもの。
毎日が二人でいる時の楽しみとひとりぼっちの淋しい孤独にあふれてます。
ところが、そんな恋する日常が当たり前になってきたとき、彼女の心に何かしら不安が生じるんですね。
その不安が彼女から彼を遠ざけてしまうんです。
そして、自由奔放(ある意味気ままで自分勝手)な行動で彼を困らせる…。
この彼女の心の動きはセリフなどで説明されないから、どう感じるかは人それぞれ違うと思いますが、僕はなんとなく共感しちゃいました。彼女の不安は「この幸せが永遠に続くとは思えない」という不安じゃないかなと僕は思うんです。
離婚経験のある彼女は愛が永遠でないことを経験し、愛が終わったときの悲しみを知ってるから、もう傷つきたくない。
だから、今目の前にある幸せもいつか終わりが訪れるという不安と恐怖が心の奥底にあって、彼を100%受け入れることが出来ない。
彼がキス以上を求めてきたときに彼女は「もっと親しくなってから」と拒みますが、愛に憶病になってる彼女の本音がこの言葉に現れてるんじゃないかな。
一方、サンウはひたむきにまっすぐに彼女を愛しますが、彼女に「自分の愛は永遠だ」と信じさせることはできなかった。
「会いたい」と彼女に言われたら遠距離でもすぐに会いに行くし、誰かを愛することの喜びを感じて幸せ感でいっぱい。
でも、心変わりした彼女の態度に戸惑い、苦しみ、嫉妬したりするようになってしまう…。
彼のツライ気持ちもすごくよく解るし、彼を振り回す彼女はヒドイとも思うんですが、恋愛はお互いの心を100%に近いくらい理解していないときっと「永遠」にはならないから、彼女の不安を理解してない彼と、彼の愛を信じない彼女は最初からうまくいくはずがなかったのかもしれない。
ツライけど、傷つくことを恐れる彼女は現実的で、彼は地に足がついてない、フワフワと浮いてるような空間にいる恋愛だからね。
ごく自然と惹かれ合う二人にはお互いを理解するのに十分な“言葉”は必要なかったかもしれないけど、気持ちだけではどうにもならないこともあるからね。
「春の日は過ぎゆく」というタイトルの「春」とは「恋」のことでしょう。
季節が移り変わるように、恋もまためぐる。
花が咲いては散るように、恋もまた芽生える。
ツライことだけど、時が過ぎれば恋心は変わってしまうのかもしれない…。
「去っていったバスと女は追いかけてはいけない」というサンウのおばあちゃんの言葉が印象的でした。
移ろいゆく心がなんとも切ない恋愛映画。
過去に傷ついた経験がある人とない人とでは感じることは違うかもしれませんが、それでも僕は「永遠の愛」はあると信じたい。
流石は「八月のクリスマス」のホ・ジノ監督作品だけあって繊細でした。
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今話題のココナッツオイル♪
映画「春の日は過ぎゆく」より
2001年韓国
ホ・ジノ監督作品
あれは何度目のデートだったろう?
初めて手をつないだときの温もりと心臓のドキドキは今でも忘れられません。
恋してるときは身も心も地上から5センチほど浮いてるようなふんわりとした浮遊感があって、それはまるで「非日常」の世界にいるような感覚でした。
すべてが新鮮で心の中のすべてが恋する喜びに満ちていたような気がします。
あれは何度目のデートだったろう?
何もかもが当たり前の「日常」のようになったとき、恋は終わりました。
いつしか言葉では言い表せない感情が芽生え、無意識のうちに心が離れていったのかもしれません。
映画「春の日は過ぎゆく」は恋してるときの喜怒哀楽のすべてが詰まった、とっても静かで繊細な恋愛映画です。
録音技師のサンウは恋愛経験が少なそうな純朴で優しすぎるほど優しい青年で、DJのウンスは年上で活発で明るいバツイチの女性。
そんな二人が出会って恋に落ちるんですが、恋愛初期はただ一緒にいられるだけで幸せだし、一分一秒でも長く一緒にいたい、少しでも離れていると寂しくて今すぐに逢いたくなるし、四六時中「好き」だと言ってほしいと思うもの。
毎日が二人でいる時の楽しみとひとりぼっちの淋しい孤独にあふれてます。
ところが、そんな恋する日常が当たり前になってきたとき、彼女の心に何かしら不安が生じるんですね。
その不安が彼女から彼を遠ざけてしまうんです。
そして、自由奔放(ある意味気ままで自分勝手)な行動で彼を困らせる…。
この彼女の心の動きはセリフなどで説明されないから、どう感じるかは人それぞれ違うと思いますが、僕はなんとなく共感しちゃいました。彼女の不安は「この幸せが永遠に続くとは思えない」という不安じゃないかなと僕は思うんです。
離婚経験のある彼女は愛が永遠でないことを経験し、愛が終わったときの悲しみを知ってるから、もう傷つきたくない。
だから、今目の前にある幸せもいつか終わりが訪れるという不安と恐怖が心の奥底にあって、彼を100%受け入れることが出来ない。
彼がキス以上を求めてきたときに彼女は「もっと親しくなってから」と拒みますが、愛に憶病になってる彼女の本音がこの言葉に現れてるんじゃないかな。
一方、サンウはひたむきにまっすぐに彼女を愛しますが、彼女に「自分の愛は永遠だ」と信じさせることはできなかった。
「会いたい」と彼女に言われたら遠距離でもすぐに会いに行くし、誰かを愛することの喜びを感じて幸せ感でいっぱい。
でも、心変わりした彼女の態度に戸惑い、苦しみ、嫉妬したりするようになってしまう…。
彼のツライ気持ちもすごくよく解るし、彼を振り回す彼女はヒドイとも思うんですが、恋愛はお互いの心を100%に近いくらい理解していないときっと「永遠」にはならないから、彼女の不安を理解してない彼と、彼の愛を信じない彼女は最初からうまくいくはずがなかったのかもしれない。
ツライけど、傷つくことを恐れる彼女は現実的で、彼は地に足がついてない、フワフワと浮いてるような空間にいる恋愛だからね。
ごく自然と惹かれ合う二人にはお互いを理解するのに十分な“言葉”は必要なかったかもしれないけど、気持ちだけではどうにもならないこともあるからね。
「春の日は過ぎゆく」というタイトルの「春」とは「恋」のことでしょう。
季節が移り変わるように、恋もまためぐる。
花が咲いては散るように、恋もまた芽生える。
ツライことだけど、時が過ぎれば恋心は変わってしまうのかもしれない…。
「去っていったバスと女は追いかけてはいけない」というサンウのおばあちゃんの言葉が印象的でした。
移ろいゆく心がなんとも切ない恋愛映画。
過去に傷ついた経験がある人とない人とでは感じることは違うかもしれませんが、それでも僕は「永遠の愛」はあると信じたい。
流石は「八月のクリスマス」のホ・ジノ監督作品だけあって繊細でした。
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