2017年02月03日
貧乏で家がない→火事で家がない→大家倒産で店がない
ポチってくれると涙
【せどり】に、どう 【 詳しくは、コチラ 】
こんにちは。おっさんバーテンダーです
最初の方に書いたブログにも載せたけど
私、25歳でサラリーマンを辞めて27歳の時に”SHOT BAR”をしたんです。
で、
売上げボロボロだったから、家の家賃を払うの勿体無くて
賃貸のワンルームマンションを引き払い
店で寝泊りするようになって
これが、一回目の家なし生活。
まぁ、これは自業自得。
それに、若かったし独身だったし、別に今となっては、楽しい思い出です
その後、店を移転して
普通の生活が出来るぐらいになりはじめ、
結婚して・・・・・。
で、あと少しで31歳という時に
あの「阪神・淡路大震災」兵庫県南部地震が起こりました。
自己紹介ブログその2
画像提供:神戸市
今度は火事で家がなくなった
まだまだ公共の支援体制等も、この頃には確立しておらず
全壊・全焼の場合、国や自治体からの低金利の災害援護資金350万円の貸付、
ぐらいしかなかった。
(でも、沢山の方から義援金を送って頂きました。
罹災世帯も非常に多く一世帯で考えると30万位頂いたと思います。本当に感謝します)
350万じゃ家は建たない
で、ここからも色々あったんだけど
(なんか暗い話続きそうなのでヤメにして)
一応落ち着いて、
その後、ShotBarは 維持しながら
ある商業施設に「ラーメン屋」をオープンしました。
その5年後、同じ商業施設内に「居酒屋」をオープンしました。
この辺りが一番、貪欲だったなぁ
「丸亀製麺に負けるなぁ〜」なんて考えていたっけ。
丸亀製麺(トリドール)の社長さんと年は4つしか変わらず、創業時期も2~3年しか変わらなかった。
でも、
崩壊は 突然やってくる
2つの店の店長も略、固定し
「新たな戦略を練ろう」
なんて考えていたら、
商業施設 閉鎖
デベロッパーの本業の儲けが厳しくなり
その矛先が私が入っている商業施設になり
結局は、閉鎖という方針が決定。。。
商業施設内で営業をしていた私達は営業を続けることは出来ず、閉店するはめに
契約は、「長期消化テナント契約」
権利金も発生しません
スタッフも、解雇しないといけません。
その当時は、それが許せなくて
民事裁判に持ち込んで
お互いの妥協点で決着。
震災もダメージ大きかったけど、
この店がなくなったのが、人生計画の中では非常に痛かったなぁ
で、残ったのは、BARだけとなりました。
そこから10年。
私も、まぁ〜〜るくなりました
なんか、私の人生って
人生劇場
やと思いません
今度、本にしよ
今回も、最後までお付き合い頂きありがとうございました
サークルつくったので良かったら覗いてください
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