2016年12月30日
★自己紹介★家がない〜殺人事件まで
こんにちは。おっさんバーテンダーです
今日は、「おっさんバーテンダー」ってどんなヤツやねん
ってお思いの方に、ちょっと自己紹介などを書かせて頂きます
私は、現在51歳、関西在住。
で、バーテンダー暦25年。
自分で店をして23年。
大きく分けて、4部構成
私が就職活動していた30年前は究極の売り手市場
学生時代、『バイトと遊び』を両立していたおっさんバーテンダーも、
な・ん・と、ちゃんとした企業に就職
なのに、二年後→何を血迷ったか。おっさんバーテンダー、夜の商売へ
そう今考えると、なんと無謀な選択肢
「いやぁ、30歳までならやり直し出来るでしょ」などと勝手に信じ込み(言い聞かせ)
自分の店を持ちたい客商売をしたい
喫茶店をしたいなどと考えていたんだよねぇ・・・浅はかにも
でも、現実には喫茶店の開業資金は全くもって足りず、ちっちゃなスペースでも商売が成り立つと思ったアルコール商売へと考えがシフトしていったんだよなぁ、、、当時は。
で、そこから2年間 バーテンダーの修行をさせてもらって
(当時の業界では、厳しいことで有名な●●バーテンダーさんに運良く関わることが出来た二年間でした)グランドピアノの弾き語りがある高級バーだったよなぁ
そ・し・て・
この時のイスの数は、わずかカウンター席8席、テーブル席10席でした
でも、自分が主の城すっごく嬉しかったのを覚えてまーす
その後、始まる「人生劇場」が結構キツイ事など、まったく分からずに。
「一国一城」の夢と希望に溢れ…
(可愛い女の子がいっぱい来るんじゃないか)と希望に溢れ
いざ蓋を開けたら
一週間ぐらいはまだマシだった。
知り合いが無理してでもやって来る
問題は、その後だった。
全く来ない。。
「あれ、もしかしたらガギ閉めたまま」
って思った日が月の内、何日あったか
店入った時と帰る時とグラスの置いている場所が全く変わらないっていう日が何日あったか
で、お客さんがドアを開けても、すぐ閉める事も沢山あったなぁ
ビル自体が6階建てのスナックビルだったから、
入ってくるお客さん達は店の中は女の子が居るもんだ、と思ってドアを開ける
→でも中には、調子こいた男が二人だけ→ドアを閉める
こんな状況が多かった
又、飲みに来たお客さん同士の喧嘩も多々あった
グラスが割れるのは日常茶飯事。
一度、イスを投げられ頭から血を流す場面があった。
「われぇ、ええ度胸しとるやんけ。」と叫ぶお兄さんの頭から血が飛んでいた
こちらに絡むお客さんも、もちろん多かった
「われぇ、空手やっとるからゆうて、ええ気になるなや」
いえいえ、喧嘩はやっても空手は習ってません
何故か空手をしてるってよく言われてたんやなぁ。
「こらぁ、こっちは怒ってるのに何ヘラヘラ笑ってるんや」
これもよく言われた言葉。
だって、「どのお客さんにも、どんな時でも笑顔で接客しましょう」ってHowTo本に書いてあるし
や●ざさんがやってきて「額と花どっちが良い」と守料請求もあった。
額(絵画)は、一ヶ月に一回の集金、花は毎週持って来るって説明された。
「じゃ、額の方ね。」
や●ざさんに守料のことで事務所に話に行ったら軟禁?された事もあった。
あぁお洒落な女の人がいっぱい来るShotBarは何処へ
今、こうして思い出して書いていくと…
結構、内容ハードだったなぁ
で、そんなこんなで賃貸のワンルームマンションも解約することになり…
店で寝泊りするようになり…
夜、店を閉めた後、ソファを並べ替えてベット代わりにして寝てたなぁ〜
安モンのソファだから、軽い、軽い、(笑)
空調は完備されてるし、BGMは440種類から毎晩選べるし(笑)
なんといっても、移動時間の短縮に(笑)
今思い返すと、私もいろんな意味で若かった・・・
そして、
ついに、
店から外に出ようと思い
エレベーターを使わず、階段をトコトコ…
ちっちゃな看板が階段の処に5〜6個置いてあった。
(幅15cm位で高さも15cm位だったかなぁ。)
確実に覚えているのは
その看板部分に
ひらがなで
「か・ん・し・き」
って書いてあったこと
「うんかんしき」
な・なんだ
よくよく見ると、その看板の下に
・
・
・
赤黒い点が何個か…
「えっ鑑識」
外に出ると、お巡りさんが沢山いました。。。。
どうやら、私の店と同じフロアの店でお客同士のトラブルがあり
殺人事件が発生したらしい。
犯人は逃走中らしい。
えっおっ
殺・人・事・件・の・犯・人・が・逃・走・中
その日の夜の6時のニュースでこの事件が流れ
映像にスナックビルの集合看板が映った時に
当店の屋号も映りました。
おっ全国区だ
結局、その日の内に犯人は捕まったので店は開店することが出来ました。
その日は、店が開店以来、最高に電話が鳴りました
でも、やっぱり、お客がゼロ〜〜
冷静に考えたら、殺人のあったビルに来ないよね。
ちゃん、ちゃん。
こんな、そんなで・・・・
この物件とは2年で「オサラバ」しました。
ちょうど、その頃
ある不動産会社の社長さんと親しくなっていて
格安で、もうちょっと大きい店に移ることが出来ました。
この店で、現在まで続く「「Bar Knight」の仲間たち」が誕生しました
環境は、前の店よりよっぽど良く
{今度こそ、可愛い女の子が一杯やって来る}
とワクワクしてたら…
むちゃむちゃ濃い男達が…
わんさかと…
オープンから閉店まで居座るんですよぉ
こいつらが濃い過ぎるから
せっかくやってきた女の子たちは
二度目の来店がない。。。
でもって、その濃い男達は
当時夜中の1時までの店だったのに
なんと朝日が出るまで店に居座って恋愛談議から将来の夢まで永遠と話し合う
しかも、月に25日やって来る。
もう店のスタッフみたいなもんでした。
でも、
でも、
当時、25歳前後の約20人程の常連さんたちは
ホントにホントに友だち想いで
良いやつの集まりでした
だから、いろんな話に当時の若かった私もずっと一緒に飲んで喋り合いました
(まぁ、結婚してなかったのもあるんだけどね)
続きは、又今度
今回も最後までお付き合い頂きありがとうございました
今日は、「おっさんバーテンダー」ってどんなヤツやねん
ってお思いの方に、ちょっと自己紹介などを書かせて頂きます
実は、一個のブログ書くのに結構時間掛かっていまして。。
内容間違ったらアカンので、自分なりにいろんなモノ調べ返したりしてて。そんなんするのが当り前の話やけど…ブログの作成作業に慣れてないのもあって…などと言い訳をタラタラ(汗)
で、年末年始は店がやっぱり忙しいのでちょっとブログ更新が出来ないなぁ、っと思ってたんだけど「あっそうや、自分の事やったらサッサッと書ける」などと思いつきちょっとペンをとりました(笑)
私は、現在51歳、関西在住。
で、バーテンダー暦25年。
自分で店をして23年。
大きく分けて、4部構成
第1部; 無謀な開店〜家がない〜殺人事件まで
私が就職活動していた30年前は究極の売り手市場
学生時代、『バイトと遊び』を両立していたおっさんバーテンダーも、
な・ん・と、ちゃんとした企業に就職
なのに、二年後→何を血迷ったか。おっさんバーテンダー、夜の商売へ
そう今考えると、なんと無謀な選択肢
「いやぁ、30歳までならやり直し出来るでしょ」などと勝手に信じ込み(言い聞かせ)
自分の店を持ちたい客商売をしたい
喫茶店をしたいなどと考えていたんだよねぇ・・・浅はかにも
でも、現実には喫茶店の開業資金は全くもって足りず、ちっちゃなスペースでも商売が成り立つと思ったアルコール商売へと考えがシフトしていったんだよなぁ、、、当時は。
で、そこから2年間 バーテンダーの修行をさせてもらって
(当時の業界では、厳しいことで有名な●●バーテンダーさんに運良く関わることが出来た二年間でした)グランドピアノの弾き語りがある高級バーだったよなぁ
そ・し・て・
はれて27歳の時に初期投資の殆ど掛からないスナックビルでショットバーをオープン
この時のイスの数は、わずかカウンター席8席、テーブル席10席でした
でも、自分が主の城すっごく嬉しかったのを覚えてまーす
その後、始まる「人生劇場」が結構キツイ事など、まったく分からずに。
「一国一城」の夢と希望に溢れ…
(可愛い女の子がいっぱい来るんじゃないか)と希望に溢れ
いざ蓋を開けたら
一週間ぐらいはまだマシだった。
知り合いが無理してでもやって来る
問題は、その後だった。
全く来ない。。
「あれ、もしかしたらガギ閉めたまま」
って思った日が月の内、何日あったか
店入った時と帰る時とグラスの置いている場所が全く変わらないっていう日が何日あったか
で、お客さんがドアを開けても、すぐ閉める事も沢山あったなぁ
ビル自体が6階建てのスナックビルだったから、
入ってくるお客さん達は店の中は女の子が居るもんだ、と思ってドアを開ける
→でも中には、調子こいた男が二人だけ→ドアを閉める
こんな状況が多かった
又、飲みに来たお客さん同士の喧嘩も多々あった
グラスが割れるのは日常茶飯事。
一度、イスを投げられ頭から血を流す場面があった。
「われぇ、ええ度胸しとるやんけ。」と叫ぶお兄さんの頭から血が飛んでいた
こちらに絡むお客さんも、もちろん多かった
「われぇ、空手やっとるからゆうて、ええ気になるなや」
いえいえ、喧嘩はやっても空手は習ってません
何故か空手をしてるってよく言われてたんやなぁ。
「こらぁ、こっちは怒ってるのに何ヘラヘラ笑ってるんや」
これもよく言われた言葉。
だって、「どのお客さんにも、どんな時でも笑顔で接客しましょう」ってHowTo本に書いてあるし
や●ざさんがやってきて「額と花どっちが良い」と守料請求もあった。
額(絵画)は、一ヶ月に一回の集金、花は毎週持って来るって説明された。
「じゃ、額の方ね。」
や●ざさんに守料のことで事務所に話に行ったら軟禁?された事もあった。
あぁお洒落な女の人がいっぱい来るShotBarは何処へ
今、こうして思い出して書いていくと…
結構、内容ハードだったなぁ
で、そんなこんなで賃貸のワンルームマンションも解約することになり…
店で寝泊りするようになり…
夜、店を閉めた後、ソファを並べ替えてベット代わりにして寝てたなぁ〜
安モンのソファだから、軽い、軽い、(笑)
空調は完備されてるし、BGMは440種類から毎晩選べるし(笑)
なんといっても、移動時間の短縮に(笑)
今思い返すと、私もいろんな意味で若かった・・・
そして、
ついに、
あの日がやって来た
店から外に出ようと思い
エレベーターを使わず、階段をトコトコ…
ちっちゃな看板が階段の処に5〜6個置いてあった。
(幅15cm位で高さも15cm位だったかなぁ。)
確実に覚えているのは
その看板部分に
ひらがなで
「か・ん・し・き」
って書いてあったこと
「うんかんしき」
な・なんだ
よくよく見ると、その看板の下に
・
・
・
赤黒い点が何個か…
「えっ鑑識」
外に出ると、お巡りさんが沢山いました。。。。
どうやら、私の店と同じフロアの店でお客同士のトラブルがあり
殺人事件が発生したらしい。
犯人は逃走中らしい。
えっおっ
殺・人・事・件・の・犯・人・が・逃・走・中
その日の夜の6時のニュースでこの事件が流れ
映像にスナックビルの集合看板が映った時に
当店の屋号も映りました。
おっ全国区だ
結局、その日の内に犯人は捕まったので店は開店することが出来ました。
その日は、店が開店以来、最高に電話が鳴りました
でも、やっぱり、お客がゼロ〜〜
冷静に考えたら、殺人のあったビルに来ないよね。
ちゃん、ちゃん。
こんな、そんなで・・・・
この物件とは2年で「オサラバ」しました。
ちょうど、その頃
ある不動産会社の社長さんと親しくなっていて
格安で、もうちょっと大きい店に移ることが出来ました。
第2部;「Bar Knight」の仲間たち誕生
この店で、現在まで続く「「Bar Knight」の仲間たち」が誕生しました
環境は、前の店よりよっぽど良く
{今度こそ、可愛い女の子が一杯やって来る}
とワクワクしてたら…
むちゃむちゃ濃い男達が…
わんさかと…
オープンから閉店まで居座るんですよぉ
こいつらが濃い過ぎるから
せっかくやってきた女の子たちは
二度目の来店がない。。。
でもって、その濃い男達は
当時夜中の1時までの店だったのに
なんと朝日が出るまで店に居座って恋愛談議から将来の夢まで永遠と話し合う
しかも、月に25日やって来る。
もう店のスタッフみたいなもんでした。
でも、
でも、
当時、25歳前後の約20人程の常連さんたちは
ホントにホントに友だち想いで
良いやつの集まりでした
だから、いろんな話に当時の若かった私もずっと一緒に飲んで喋り合いました
(まぁ、結婚してなかったのもあるんだけどね)
続きは、又今度
今回も最後までお付き合い頂きありがとうございました
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