2015年07月22日
ありがとう、パコちゃん
7/19の夜、セキセイインコのパコがこの世を去りました。
3歳と11カ月でした。
このブログの前身である「パコと愉快な仲間たち」の主人公であり、私が鳥ブログを始めるきっかけとなった鳥さんでした。
パコはお迎えした当時にメガバクテリアを持っていて治療に数ヶ月かかったり、ケガや病気の多い子でありました。
しかし4羽の中では一番活発で行動的な子で、いつも飛び回ってはいたずらばかりしていました。
上の写真はオカメの水入れで水浴びして出てきたところです。
壁をかじってしまったり、新聞紙など紙類をボロボロにしてしまったりと、とにかく何かしていないと気が済まない子でした。
今ではかじられた壁が思い出となってしまいました。
最期の朝もカゴの掃除中は元気に飛び回り、いつも通りカーテンレールに止まって壁をガジガジ。
「コラっ」と怒ってしまいましたが、それが最期のコミュニケーションとなってしまうとは・・・
仕事を終え夜様子を伺うと、エサ箱に頭から入ったまま息絶えていました。
いくら精巣腫瘍を患っていたとはいえ、こんなに早く逝ってしまうとは思ってもいませんでした。
たったの4年弱の命でしたが、たくさん思い出がありとてもここでは書ききれません。
今はただありがとうという気持ちと、安らかに休んでねという気持ちだけです。
悲しく辛いのは承知なのですが、他のインコのためにもいつまでもそうは言ってられません。
いつか私が死んだらまた遊ぼうね、パコちゃん。
珍しい4羽でのショットです。
3羽となってしまいましたが、まだどこかにパコがいるように感じます・・・
火葬を終え骨壷に入ったパコです。
頭蓋骨を始め小さなお骨でしたが、しっかりとした形で残っていました。
落ち着いたら庭へ埋葬します。
3歳と11カ月でした。
このブログの前身である「パコと愉快な仲間たち」の主人公であり、私が鳥ブログを始めるきっかけとなった鳥さんでした。
パコはお迎えした当時にメガバクテリアを持っていて治療に数ヶ月かかったり、ケガや病気の多い子でありました。
しかし4羽の中では一番活発で行動的な子で、いつも飛び回ってはいたずらばかりしていました。
上の写真はオカメの水入れで水浴びして出てきたところです。
壁をかじってしまったり、新聞紙など紙類をボロボロにしてしまったりと、とにかく何かしていないと気が済まない子でした。
今ではかじられた壁が思い出となってしまいました。
最期の朝もカゴの掃除中は元気に飛び回り、いつも通りカーテンレールに止まって壁をガジガジ。
「コラっ」と怒ってしまいましたが、それが最期のコミュニケーションとなってしまうとは・・・
仕事を終え夜様子を伺うと、エサ箱に頭から入ったまま息絶えていました。
いくら精巣腫瘍を患っていたとはいえ、こんなに早く逝ってしまうとは思ってもいませんでした。
たったの4年弱の命でしたが、たくさん思い出がありとてもここでは書ききれません。
今はただありがとうという気持ちと、安らかに休んでねという気持ちだけです。
悲しく辛いのは承知なのですが、他のインコのためにもいつまでもそうは言ってられません。
いつか私が死んだらまた遊ぼうね、パコちゃん。
珍しい4羽でのショットです。
3羽となってしまいましたが、まだどこかにパコがいるように感じます・・・
火葬を終え骨壷に入ったパコです。
頭蓋骨を始め小さなお骨でしたが、しっかりとした形で残っていました。
落ち着いたら庭へ埋葬します。
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ご丁寧にコメントをありがとうございます。
パコは本当に落ち着きがなく、いつも元気に飛び回りいたずらしている子でしたが、いなくなった今ではインコ部屋が少し静かになっていしまい、モモも寂しそうです。
でも短い期間でしたがたくさんの思い出ができました。
パコが幸せだったと思ってくれていたら、それが私の幸せとなります。
パコちゃん、可愛い綺麗な子でした。
こんなに時間が経ってしまってのコメントをすみません、、(>_<)
可愛い子との別れは辛く悲しくなんとも言えないほど寂しいものです、、
お茶目で素敵な小鳥さんでしたね。
きっとパコちゃんは、バチョーさんとの時間を最期まで少しでも長く側にいて幸せだったのでしょうね。
ご冥福をお祈り致します。