2016年12月31日
感謝をこめて・・・2016
誰もが平等に歳を食っていくわけだが、私もそろそろ次の正月を無事に迎えられるかどうかわからない年齢になってきた・・・というのはさすがに大げさではあるものの、ただ、今までのように、「次の正月」のことなどまったく考えない年末を、どういうわけか今年は迎えていない。
40代も半ばにさしかかろうかという年齢になると、今まで気が付かなかったいろいろなことに気が付くようになるし、きっとこれまで気づいてきたことに気づかなくなっているのだとも思う。私も歳を食ったのだ。あなたや、彼や彼女や、あの人と平等に。
ということで、もちろん偶然にもこのブログを見つけて読んでいただいた方に対する感謝もそうだが、今回は、今年亡くなった競走馬やホースマンの思い出を少しずつ振り返り、悼み、私たちにかけがえのない競馬の楽しみを与えてくれたことに感謝しながら、今年のブログおさめとする。
昨年は後藤浩輝騎手やステイゴールド、そして私にとっては現在の競馬をここまで楽しいものにしてくれるとは想像もしていなかったオリエンタルアート(ドリームジャーニー、オルフェーヴルの母)の相次ぐ死が多くのファンのこころを傷めたと思うが、今年も多くの競走馬と優れたホースマンが旅立っている。私の記憶に残っている範囲で振り返る。
※競走馬の享年はすべて現行表記、満年齢で記載。
・メジロライアン(父アンバーシャダイ、享年29歳)
私がはじめて好きになった競走馬である。その後メジロマックイーンと出会い、私のこころはそちらに移ってしまったが、競馬の楽しさ、難しさ、そして「好馬体」の意味を、このメジロライアンは教えてくれた。
メジロマックイーンの大ファンになっていた私が見た、唯一マックイーンを破った宝塚記念は、私にとって非常に不思議な印象のレースだった。とても悔しいけれど、とてもうれしい・・・後にも先にも、あんなに不思議な感覚を競馬で経験することはもうないだろう。
そのパートナーの横山典弘騎手が、ライアンのライバルだったメジロマックイーンの血をひくゴールドシップとコンビを結成し、GT2勝を挙げたのは不思議な縁を感じたし、今はもうすっかり大ベテランの域に達した典弘騎手に2回目の宝塚記念を勝たせたのは、メジロマックイーンの血だけではなく、「見えざる力」が働いていたような気がしないでもない。
今の若い人にも自信を持って言える。馬体の善し悪しの判断は、メジロライアンを参考にしなさい。
・ポイントフラッグ(父メジロマックイーン、享年18歳)
ゴールドシップのお母さんである。現役時代は重賞で2着の星があったものの、そこまで目立った活躍はなかったが、小柄な産駒が多いステイゴールドの子であるにもかかわらず、ゴールドシップのような雄大な馬格の牡馬を出したのは、ポイントフラッグの特徴だった。
おかげで、私が敬愛してやまないメジロマックイーンが再び甦ったかのように、長きにわたりゴールドシップを見ることができた。ほんとうに感謝している。
・カネヒキリ(父フジキセキ、享年14歳)
ポイントフラッグとこのカネヒキリの死については、このブログでも取り上げた記憶がある。とはいえ、まだまだ若く、種牡馬としてはこれからが旬だったことを考えると、数多くの名馬が旅立った今年の中でもほんとうに残念な死である。
あれだけ何度もケガを克服して甦ったのに、まさかカネヒキリがこんなに早く旅立つとは思わなかった。サンデーサイレンス系のダート種牡馬は希少なだけに、悲しいなぁ・・・
・ユキノビジン(父サクラユタカオー、享年26歳)
岩手県競馬出身の栗毛の牝馬で、お父さんゆずりの流星がチャームポイントの、ほんとうに「美人さん」という印象の、とてもかわいらしい牝馬だった。桜花賞、オークスではあのベガの2着、見た目の美しさだけでなく、まだ競馬の楽しい部分しか知らなかった私にとって、とても愛すべき名牝だった。
・ワコーチカコ(父リヴリア、享年26歳)
この世代には、ベガ、ホクトベガ、ユキノビジン、そしてノースフライトという強い牝馬がたくさんいて、ワコーチカコもそのうちの1頭だった。個人的に人間のファンであった宮嶋千佳子さん(競馬キャスター)がこの馬の大ファンだったこともあって、私もつられて応援していたのが懐かしい。
引退レースとなった京都記念では、驚くような好タイムでナイスネイチャ、ライスシャワーら並み居る強豪牡馬とオークス馬チョウカイキャロルを破り、私に馬券をプレゼントしてくれたことは未だ鮮明に覚えている。この世代もノースフライトを除いてみな逝ってしまったんんだなぁ・・・
・ウィナーズサークル(父シーホーク、享年30歳)
「芦毛はダービーを勝てない」のジンクスを唯一破った芦毛のダービー馬。しかしその後もジンクスは継続し、今年はレッドエルディストに期待したが、ウィナーズサークルは未だ「唯一の芦毛の日本ダービー馬」である。
それにしても、私は自分が競馬をはじめたメジロライアン、メジロマックイーンのあの世代より前はまったく競馬を知らないことを痛感する。ウィナーズサークルというと、ずいぶん大昔の馬というイメージだったが、今年30歳ということは、ライアンやマックイーンのひとつ上、ということは、実はこちらも芦毛のあのオグリキャップのひとつ年下ということになるのだ。
オグリよりもずっと年上のイメージがあったが、亡くなってはじめて知った。元気なうちに、もう1頭芦毛のダービー馬を見せてあげたかったな。
・メイケイペガスター(父フジキセキ、享年6歳)
先日リヤンドファミユ(オルフェーヴルの2歳下の弟)が少し変わった形で種牡馬入りすることが発表されたが、このリヤンドファミユと同期であり、ということは、まだ6歳の若さだったからほんとうに驚いたし、とても残念。
思えば私はこの世代のダービーで、メイケイペガスターを本命にしていた。リヤンドファミユが優勝した若駒Sで馬券をとらせてもらい、そのリヤンドファミユが骨折で長期休養を余儀なくされたこともあり、「リヤンドファミユの分までがんばってくれ!」の思いでメイケイペガスターに本命を打った。ずいぶん昔のことのように感じるが・・・
先行して勝った共同通信杯よりも、強烈な末脚で追い込む爆発力が魅力だった。
他にも、桜花賞、秋華賞の2冠を制し、後にエリザベス女王杯も制した良血牝馬ファレノプシス(父ブライアンズタイム、享年21歳)、サクラローレル、マヤノトップガンとともに「3強時代」を築き宝塚記念を勝ったマーベラスサンデー(父サンデーサイレンス、享年24)らGTホースも今年亡くなっており、私と同時期に競馬を知ったファンはだんだん寂しくなっていくのではないかと、察する思いである。
そして、武豊騎手、幸四郎騎手のお父さんである武邦彦元騎手・元調教師も亡くなっていた。こちらはたいへん大きいニュースとして取り上げられたので知っているファンも多いだろう。
武邦彦さんがジョッキーの時代のことはまったく知らないが、私が競馬をはじめてから調教師として管理した馬というと、やっぱりオースミタイクーンが思いだされる(豊騎手のバンブーメモリーは私が競馬をはじめる前)。
オースミタイクーンをご存知ないファンは多いと思うが、この馬、幸四郎騎手がデビューした週に幸四郎騎手を乗せ、まったくの人気薄で超大穴をあけたのである。あれは私も驚いたし、お兄さんの豊騎手も中山のターフビジョンを見て驚きながら拍手を送っていたことが懐かしく思いだされる。
幸四郎騎手も調教師試験に合格し、来年から調教師としての新たな人生がスタートすることになる。ジョッキーとしては苦労が多かったようだが、だから調教師になったのではなく、ジョッキーとして兄の背中を追い、今度は調教師として(残念ながら今は)亡きお父さんの背中を追おうと決意したのだと、私は解釈している。
幸四郎って、そういうヤツなんだと思う。ああ見えて。
ということで、今年は馬券では自慢できるレースはひとつもなく、年間でわずか4レースしか的中できないという、私の歴史の中でも2番目に悪い(3レースしか的中できなかった年もあるが、その年はプラス収支だった!)成績で1年を終えることになる。
ほんとうは、「競馬改革案」としていろいろ意見を述べようとも思っていたのだが、それは年明け早々にぶっ放そうと思っている。
ちょっと長くなってしまい申し訳ないが、1年のうち1度でもお読みいただいたみなさん、ほんとうにありがとうございました。あまり先のことは敢えて言いませんが、とりあえず金杯の予想に全力を注ぎます。
とにかく良いお年をお迎えください。
40代も半ばにさしかかろうかという年齢になると、今まで気が付かなかったいろいろなことに気が付くようになるし、きっとこれまで気づいてきたことに気づかなくなっているのだとも思う。私も歳を食ったのだ。あなたや、彼や彼女や、あの人と平等に。
ということで、もちろん偶然にもこのブログを見つけて読んでいただいた方に対する感謝もそうだが、今回は、今年亡くなった競走馬やホースマンの思い出を少しずつ振り返り、悼み、私たちにかけがえのない競馬の楽しみを与えてくれたことに感謝しながら、今年のブログおさめとする。
昨年は後藤浩輝騎手やステイゴールド、そして私にとっては現在の競馬をここまで楽しいものにしてくれるとは想像もしていなかったオリエンタルアート(ドリームジャーニー、オルフェーヴルの母)の相次ぐ死が多くのファンのこころを傷めたと思うが、今年も多くの競走馬と優れたホースマンが旅立っている。私の記憶に残っている範囲で振り返る。
※競走馬の享年はすべて現行表記、満年齢で記載。
・メジロライアン(父アンバーシャダイ、享年29歳)
私がはじめて好きになった競走馬である。その後メジロマックイーンと出会い、私のこころはそちらに移ってしまったが、競馬の楽しさ、難しさ、そして「好馬体」の意味を、このメジロライアンは教えてくれた。
メジロマックイーンの大ファンになっていた私が見た、唯一マックイーンを破った宝塚記念は、私にとって非常に不思議な印象のレースだった。とても悔しいけれど、とてもうれしい・・・後にも先にも、あんなに不思議な感覚を競馬で経験することはもうないだろう。
そのパートナーの横山典弘騎手が、ライアンのライバルだったメジロマックイーンの血をひくゴールドシップとコンビを結成し、GT2勝を挙げたのは不思議な縁を感じたし、今はもうすっかり大ベテランの域に達した典弘騎手に2回目の宝塚記念を勝たせたのは、メジロマックイーンの血だけではなく、「見えざる力」が働いていたような気がしないでもない。
今の若い人にも自信を持って言える。馬体の善し悪しの判断は、メジロライアンを参考にしなさい。
・ポイントフラッグ(父メジロマックイーン、享年18歳)
ゴールドシップのお母さんである。現役時代は重賞で2着の星があったものの、そこまで目立った活躍はなかったが、小柄な産駒が多いステイゴールドの子であるにもかかわらず、ゴールドシップのような雄大な馬格の牡馬を出したのは、ポイントフラッグの特徴だった。
おかげで、私が敬愛してやまないメジロマックイーンが再び甦ったかのように、長きにわたりゴールドシップを見ることができた。ほんとうに感謝している。
・カネヒキリ(父フジキセキ、享年14歳)
ポイントフラッグとこのカネヒキリの死については、このブログでも取り上げた記憶がある。とはいえ、まだまだ若く、種牡馬としてはこれからが旬だったことを考えると、数多くの名馬が旅立った今年の中でもほんとうに残念な死である。
あれだけ何度もケガを克服して甦ったのに、まさかカネヒキリがこんなに早く旅立つとは思わなかった。サンデーサイレンス系のダート種牡馬は希少なだけに、悲しいなぁ・・・
・ユキノビジン(父サクラユタカオー、享年26歳)
岩手県競馬出身の栗毛の牝馬で、お父さんゆずりの流星がチャームポイントの、ほんとうに「美人さん」という印象の、とてもかわいらしい牝馬だった。桜花賞、オークスではあのベガの2着、見た目の美しさだけでなく、まだ競馬の楽しい部分しか知らなかった私にとって、とても愛すべき名牝だった。
・ワコーチカコ(父リヴリア、享年26歳)
この世代には、ベガ、ホクトベガ、ユキノビジン、そしてノースフライトという強い牝馬がたくさんいて、ワコーチカコもそのうちの1頭だった。個人的に人間のファンであった宮嶋千佳子さん(競馬キャスター)がこの馬の大ファンだったこともあって、私もつられて応援していたのが懐かしい。
引退レースとなった京都記念では、驚くような好タイムでナイスネイチャ、ライスシャワーら並み居る強豪牡馬とオークス馬チョウカイキャロルを破り、私に馬券をプレゼントしてくれたことは未だ鮮明に覚えている。この世代もノースフライトを除いてみな逝ってしまったんんだなぁ・・・
・ウィナーズサークル(父シーホーク、享年30歳)
「芦毛はダービーを勝てない」のジンクスを唯一破った芦毛のダービー馬。しかしその後もジンクスは継続し、今年はレッドエルディストに期待したが、ウィナーズサークルは未だ「唯一の芦毛の日本ダービー馬」である。
それにしても、私は自分が競馬をはじめたメジロライアン、メジロマックイーンのあの世代より前はまったく競馬を知らないことを痛感する。ウィナーズサークルというと、ずいぶん大昔の馬というイメージだったが、今年30歳ということは、ライアンやマックイーンのひとつ上、ということは、実はこちらも芦毛のあのオグリキャップのひとつ年下ということになるのだ。
オグリよりもずっと年上のイメージがあったが、亡くなってはじめて知った。元気なうちに、もう1頭芦毛のダービー馬を見せてあげたかったな。
・メイケイペガスター(父フジキセキ、享年6歳)
先日リヤンドファミユ(オルフェーヴルの2歳下の弟)が少し変わった形で種牡馬入りすることが発表されたが、このリヤンドファミユと同期であり、ということは、まだ6歳の若さだったからほんとうに驚いたし、とても残念。
思えば私はこの世代のダービーで、メイケイペガスターを本命にしていた。リヤンドファミユが優勝した若駒Sで馬券をとらせてもらい、そのリヤンドファミユが骨折で長期休養を余儀なくされたこともあり、「リヤンドファミユの分までがんばってくれ!」の思いでメイケイペガスターに本命を打った。ずいぶん昔のことのように感じるが・・・
先行して勝った共同通信杯よりも、強烈な末脚で追い込む爆発力が魅力だった。
他にも、桜花賞、秋華賞の2冠を制し、後にエリザベス女王杯も制した良血牝馬ファレノプシス(父ブライアンズタイム、享年21歳)、サクラローレル、マヤノトップガンとともに「3強時代」を築き宝塚記念を勝ったマーベラスサンデー(父サンデーサイレンス、享年24)らGTホースも今年亡くなっており、私と同時期に競馬を知ったファンはだんだん寂しくなっていくのではないかと、察する思いである。
そして、武豊騎手、幸四郎騎手のお父さんである武邦彦元騎手・元調教師も亡くなっていた。こちらはたいへん大きいニュースとして取り上げられたので知っているファンも多いだろう。
武邦彦さんがジョッキーの時代のことはまったく知らないが、私が競馬をはじめてから調教師として管理した馬というと、やっぱりオースミタイクーンが思いだされる(豊騎手のバンブーメモリーは私が競馬をはじめる前)。
オースミタイクーンをご存知ないファンは多いと思うが、この馬、幸四郎騎手がデビューした週に幸四郎騎手を乗せ、まったくの人気薄で超大穴をあけたのである。あれは私も驚いたし、お兄さんの豊騎手も中山のターフビジョンを見て驚きながら拍手を送っていたことが懐かしく思いだされる。
幸四郎騎手も調教師試験に合格し、来年から調教師としての新たな人生がスタートすることになる。ジョッキーとしては苦労が多かったようだが、だから調教師になったのではなく、ジョッキーとして兄の背中を追い、今度は調教師として(残念ながら今は)亡きお父さんの背中を追おうと決意したのだと、私は解釈している。
幸四郎って、そういうヤツなんだと思う。ああ見えて。
ということで、今年は馬券では自慢できるレースはひとつもなく、年間でわずか4レースしか的中できないという、私の歴史の中でも2番目に悪い(3レースしか的中できなかった年もあるが、その年はプラス収支だった!)成績で1年を終えることになる。
ほんとうは、「競馬改革案」としていろいろ意見を述べようとも思っていたのだが、それは年明け早々にぶっ放そうと思っている。
ちょっと長くなってしまい申し訳ないが、1年のうち1度でもお読みいただいたみなさん、ほんとうにありがとうございました。あまり先のことは敢えて言いませんが、とりあえず金杯の予想に全力を注ぎます。
とにかく良いお年をお迎えください。
投稿者:ASHIGE2|16:55