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2023年04月13日

市場が馴染むまで時間がかかると思う

久しぶりに歩きました
牧志第一公設市場の建て替えが終わり行ってきました
以前より広々としていました
通路が以前の1.5倍くらい広くなったと思います
二階も以前同様食事が出来る場所ですが広すぎてガラガラのイメージがあります
お店も以前より出店していない気がします
以前を知っている人にとっては味気ない場所と感じる人がいるかもしれません





牧志第一公設市場の起源は戦後の復興期にさかのぼります
沖縄は第二次世界大戦中の激戦地となり多くの建物やインフラが破壊されました
その後、沖縄はアメリカ合衆国の統治下に置かれました
1950年代になると経済発展が進み、復興が始まりました

1951年に牧志地区に市場を建設する計画が持ち上がり1954年に牧志第一公設市場が開場しました
当初は農産物を中心に取引が行われ
地元の農家や漁師が市場で自らの産物を直接販売する場所でした
市場は食糧の確保や消費者と生産者の結びつきを促進する役割を果たし地域経済の発展に寄与しました

その後、牧志第一公設市場は改築や拡張を繰り返しながら地元の食材や商品を扱う市場として発展してきました
現在では、新鮮な魚介類、野菜、果物、肉などの地元の特産品を取り扱うほか
飲食店や土産物店なども多くあります
地元の人々や観光客が集まり沖縄の食文化や文化交流の場として親しまれています

牧志第一公設市場は地元の人々の生活や文化を守り
伝承する重要な場でもあります
沖縄の伝統的な食材や料理が多く取り扱われ
地元の人々の日常生活や食文化を垣間見ることができます
さらに、沖縄の風土や人々の暮らしを伝えるイベントや催し物も行われ
観光客にも魅力的な体験を提供しています





平日の昼間だったので判断が難しいのですが…
観光客は2019年のピークから考えて3割位しかいないと思います
今後夏にかけて増えると思いますがその受け皿となるお店が追いついていない印象があります

国際通りも平和通りも観光客で成り立っています
もっと活気がある場所になってほしいです

国際通りはかつての米軍統治下の時代には米軍基地が周辺に所在し
多くの外国人が出入りする国際的なエリアでした
そのため、「国際通り」という名称が付けられました
沖縄返還後の1972年には沖縄観光の中心地として再開発され
現在は観光客や地元の人々で賑わっています
国際通りには沖縄の伝統的な工芸品やお土産を扱うショップや飲食店、バー等があります

平和通りは戦後の復興を象徴する通りとして知られています
平和通りは、その日本復帰を記念して建設されたもので
沖縄の平和と復興を願って「平和通り」と名付けられました

国際通りと平和通りは沖縄の歴史や文化を反映した通りとして
観光スポットとして多くの人々に愛されています
それぞれが異なる歴史と文化を持ちながらも沖縄の魅力を象徴しています

これからも魅力的な沖縄であり続ける為に常に新しい挑戦や変革が起き続けてほしいです









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