2015年03月29日
違いすぎる今と昔
\(^o^)/こんばんは!。konyです。
幼い時から両親から天界の神々の存在を教えて頂きながら自分の人生を営んできた。
そんな折り、「琉球易学」の存在そして自分を取り巻いているエネルギーの変化を事前に両親は察知し教えてくれた。
高校を卒業し本土へ渡った時沖縄の神々と本土の神々がなぜか違った感覚と何かが違っていた。仕事柄京都へ撮影に出かけるとある場所へ行くと「お久しゅうございます」・・・(・・?) エッどなた。(^_^; アハハ…。
誰も居てへん・・・なんやろ・・・ちょっと不気味で(^_^; アハハ…。。
そんな事が何度も・・・しかし、余り悪い感じを受けない。それより懐かしい感触。
そのような事もあり、神々の存在が不可思議に思えた。後に神々とのコンタクトで事情が解りいずれは対処する事を課題として沖縄に帰って来た。
それ以来、日本の神々と琉球の天界の神々との違いは、存在感も違うが、琉球の神々と違って本土の神はお社も沖縄では観たことも無い建物になっている。その上、どっかの一族で世話しているそしてどのようなお役目を持っているのかさっぱりだ。
それに比べ琉球の天界の神々にはそれぞれお役目がある。そして、願う場所へ瞬間に移動して処理してくれる。
まだまだ違いはあるだろうが、天界の神々と違って地上の神は動けないのか動こうとしない。なので願う我々がわざわざ訪ねて行かなければならない。その結果が観光地化されて神の存在が感じられなくなっている。と言うか天界の神々と比べて何かが違う様だ。
沖縄の地上の神々もそうだ。しかし、本土と違うのは元になる親元の神々は殆ど天界に鎮座している。そして以前の様に世話する方々も居ないので、殆ど親元へと帰って行かれているようだ。
その点は本土の神々と似ている。
今では聖地と呼ばれて居た場所には本土と同じようにもう神々は鎮座していない様子。寂しい物がありますね。そう感じるのは自分だけなのか??(^_^; アハハ…。
幼い時から両親から天界の神々の存在を教えて頂きながら自分の人生を営んできた。
そんな折り、「琉球易学」の存在そして自分を取り巻いているエネルギーの変化を事前に両親は察知し教えてくれた。
高校を卒業し本土へ渡った時沖縄の神々と本土の神々がなぜか違った感覚と何かが違っていた。仕事柄京都へ撮影に出かけるとある場所へ行くと「お久しゅうございます」・・・(・・?) エッどなた。(^_^; アハハ…。
誰も居てへん・・・なんやろ・・・ちょっと不気味で(^_^; アハハ…。。
そんな事が何度も・・・しかし、余り悪い感じを受けない。それより懐かしい感触。
そのような事もあり、神々の存在が不可思議に思えた。後に神々とのコンタクトで事情が解りいずれは対処する事を課題として沖縄に帰って来た。
それ以来、日本の神々と琉球の天界の神々との違いは、存在感も違うが、琉球の神々と違って本土の神はお社も沖縄では観たことも無い建物になっている。その上、どっかの一族で世話しているそしてどのようなお役目を持っているのかさっぱりだ。
それに比べ琉球の天界の神々にはそれぞれお役目がある。そして、願う場所へ瞬間に移動して処理してくれる。
まだまだ違いはあるだろうが、天界の神々と違って地上の神は動けないのか動こうとしない。なので願う我々がわざわざ訪ねて行かなければならない。その結果が観光地化されて神の存在が感じられなくなっている。と言うか天界の神々と比べて何かが違う様だ。
沖縄の地上の神々もそうだ。しかし、本土と違うのは元になる親元の神々は殆ど天界に鎮座している。そして以前の様に世話する方々も居ないので、殆ど親元へと帰って行かれているようだ。
その点は本土の神々と似ている。
今では聖地と呼ばれて居た場所には本土と同じようにもう神々は鎮座していない様子。寂しい物がありますね。そう感じるのは自分だけなのか??(^_^; アハハ…。
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