仕えていたが、後に北条氏に転仕した。
大豆戸城の麓の本乗寺は、天文二十三年に泰久が開基したと伝えられる。
伊豆戸倉での合戦で戦死したとされるが、死亡年には永禄元年や同九年
政勝は泰久の子で、江戸衆の1人であったとされる。
北条氏が滅亡したのちは徳川氏に仕え、小幡氏は旗本として存続した。
本乗寺の裏山一帯が城跡とされ、神社の西続きには小幡氏の居館が
八王子神社は戦後に字大西にあった杉山神社と合祀され、現在は
神社本殿のあたりは丘陵の窪地の館地形にあり、神社脇から丘へ登る階段があります。
その脇には住宅が並び、一部削平地のように見える個所もあるのですが、おそらく遺構は
宅地化によって消滅したと考えた方が良いでしょう。
丘の上からは、鶴見川流域を見渡す
ところで小幡氏は江戸衆とされていますが、すぐ近くに小机城があるため、小机衆だった
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