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2023年01月04日

【古代の横浜の海】遺跡が高台にある理由とは?

現代と比べて縄文時代の海岸線はもっと陸地側にあったのです。
西区には「みなとみらい地区」、中区には「赤レンガ倉庫」や「山下公園」などの横浜のイメージが強い観光地があります。
鶴見川は、鶴見区に河口があり、横浜北部の各区やお隣の川崎市の支流と合流しています。
黄緑の線が、縄文時代の海岸線の予想ですが、かなり衝撃的ではないでしょうか?
縄文時代には、海岸沿いの地区はかなりの範囲が海なのがわかります。
どちらの遺跡も高台にあったのが印象的でした、だって坂をのぼるのがそれなりに大変だったので。
・横浜に限らず遺跡が高台にあるのは縄文時代の海は広かったから!
海進が起こった理由は、地球温暖化の知識から、気温・水温が上がって海水が膨張したとか、北極・南極の氷が解けたと考えがちですが、それだけではないそうです。
2万年前に最終氷期が終わり、氷期に凍った各地の氷床が解けていきました。
現代よりも120mも低かった海水の水位は、1万4000年をかけて徐々にあがっていきました。
横浜駅周辺は大雨で何度か浸水していますが、当時は帷子川の河口は海だったのでしょう。
大塚・歳勝土遺跡をはじめ、鶴見川と支流の周辺には多くの遺跡が発見されています。
遺跡が高台にある理由について、横浜を中心に現代と古代の海岸線を比較してみましたが、いかがでしたでしょうか?
長い年月をかけて海岸線は現代の位置にまで広がっていき、海の底だった場所には、平地ができました。

https://hisbell.com/jyomon/ancient_yokohama/






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