この城の北方約400メートルに小沢古城があり、一般に小沢古城を横山党の小沢氏が拠った城とし、当城は1477年の長尾景春の乱において、景春に呼応した金子掃部助が立て籠もり太田道灌に攻められた城であると考えられているが、道灌が攻めたのは古城の方ではないかとの指摘もある。
廃城年代は不明だが、戦国時代末期の後北条氏時代にも金子氏が当地を所領として存続しており、引き続き城として機能していたと考えられている。
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