鎌倉期、幕府で重きをなした比企氏がこの地を与えられ、現在も比企氏ゆかりの妙本寺が建立されています。
源頼朝の乳母は比企氏総帥の妻・比企尼であり、伊豆に流された頼朝は比企一族による援助を20年もの間受けてきました。
頼朝は比企一族に並々ならぬ恩があり、この恩と信頼の高さからこの地が比企一族に与えられたと考えられます。
比企一族は必然的に幕府で重きをなし、幕府で絶対的な地位を得ようとしました。
ところが、この比企氏台頭に危機感を抱いていた頼朝の妻である北条政子の父・時政が建仁3年、比企氏当主を館に呼んで騙し討ちをすると、この谷を襲って火を放ち、比企一族100余名を皆殺しにしました。
総門を抜け、谷へ進み、方丈門から狭い脇の石段を上ります。
庇が深く、威風堂々とした佇まいがあります。
祖師堂の右脇には比企一族の墓が並びます。
これらに対して猛攻を加え、1艦を沈没させ、残り2艦も廃艦同然にした第2艦隊の大将・上村彦之丞の墓所です。
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