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2022年08月26日

薩摩鶴田氏

鎮西地方における代表的な一族に下記が挙げられる。
祖は桓武平氏秩父氏で、相模国渋谷荘を領し渋谷氏を名乗った一族。
その当主である渋谷重国の長子光重が、渋谷荘を長男の重直に与える一方、次男から六男には薩摩国の領地をそれぞれ分与した。
初代の重諸は承久3年(1221年)の承久の乱で既に討ち死にしていたため、薩摩国鶴田へ移住したのは2代重行であった。
重行は祁答院の佐志へ館を築いたが、すぐさま鶴田城を築城しそこを本拠とした。
鶴田氏は他の渋谷一族と同様、守護の島津氏に従っていたが、やがて島津氏が総州家と奥州家とに分かれて争うようになると、否応なくこれに巻き込まれる。
4代重成は奥州家の島津元久についたが、他の4家は総州家の島津伊久についた。
応永8年、重成が他の4家に討ち負け、本拠を追われて菱刈へと去った。
嫡流は断絶となったが、島津歳久が死んだ際に殉死した鶴田主税や、北郷忠虎臣下の鶴田貞明などもおり、鹿児島衆中、加治木衆中、谷山衆中などにも庶流もしくは別系統と思しき鶴田姓が見え、現在も鹿児島市には子孫がいる。

https://ja.wikipedia.org/wiki/鶴田氏






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