代表的な一族に下記が挙げられる。
渋谷氏の人物は、平安時代末期の渋谷重家、渋谷重国、渋谷金王丸が知られる。
その内の一人、渋谷重国の次男である高重が和田義盛の乱に加担したため相模国渋谷荘を没収され、それが後に重国の長子光重に与えられる。
光重はそれらを自らの6人の男子に分割、長男の重直に相模国の渋谷荘を与えたのが相模渋谷氏として存続し、次男の実重に薩摩国の東郷別府を、三男の重保に同国の祁答院を、四男の重茂に同国の鶴田を、五男の定心に同国の入来院を、六男の重定に同国の高城を与えたのが薩摩渋谷氏の始まりとなる。
系図は、領地を分与された光重の子らを初代に数えている。
東郷氏の分流の白浜氏の一族は江戸時代に渋谷氏に復す。
上記の氏神は一族での氏神であり、この他に家ごとの氏神がいた。
例えば、東郷実友のその本家筋の家では紫尾権現と親大明神が氏神として祭られていた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%8B%E8%B0%B7%E6%B0%8F