わが国に古代中国の兵学思想が正式に移入されたのは、735年(天平7)に帰国した、遣唐留学生吉備真備(きびのきび)(695-775)らによるとされる。
方・円・曲・直・鏡の五行(ごぎょう)の陣形や、易(えき)の八卦(はっけ)あるいは井田法(せいでん)などの図式に基づいて考案された諸葛亮(しょかつりょう)の八陣や、孫子の九地結営(きゅうちけつ)の法などである。
なかでも亮(孔明(こうめい))の八陣図は、中国古来の天地風雲・竜虎(こ)鳥蛇の八陣に、八卦の乾坤巽艮(けんこんそんごん)(四隅)・震兌離坎(しんだりかん)(四方)を結合させたもので、これに洞当(どうとう)・中黄(ちゅうおう)・竜騰(りょうとう)・鳥翔(ちょうしょう)・連衡(れんこう)・握奇(くき)・虎翼(こよく)・折衝(せっしょう)の名を冠している。
孫子・呉子・諸葛孔明などにそれぞれの八陣の説があるが、日本には吉備真備によって天平年間に孔明の八陣の法が伝えられ、大江維時伝来と称する八陣も伝えられている。
中国古来の八卦の方位にもとづく八陣は、それぞれ天履・地載・風揚・雲垂・龍飛・虎翼・鳥翔・蛇幡と名づけられている。
大江維時の伝えた八陣は、それぞれ魚鱗・鶴翼・雁行・彎月・鉾矢・衡軛・長蛇・方円の名を当てる。
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