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2015年01月15日
今更だけどPS2買ったったwww
1: 名無しさん@おーぷん 2015/01/14(水)18:00:27 ID:sR0
ミッドナイトブラックのSCPH-50000だぜ
まだGT3とGT2001TOKYOしか持ってないから
他に面白いソフト教えてくれ!
まだGT3とGT2001TOKYOしか持ってないから
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2015年01月14日
【仏テロ】「配慮欠き、火に油」=預言者風刺画を批判−国際記者団体 [H27/1/14]
1: ◆sRJYpneS5Y 2015/01/14(水)20:50:30 ID:???
フランスの風刺週刊紙シャルリエブドが最新号で、「私はシャルリ」と書かれた
プラカードを持つイスラム教預言者ムハンマドの絵を表紙に掲載したことについて、
ジャーナリストでつくる国際NGO「プレス・エンブレム・キャンペーン」
(本部ジュネーブ)は発行に先立つ13日、「緊張緩和が求められる時に配慮を欠
き、火に油を注ぐ」と批判する声明を出した。
続き 時事通信
http://www.jiji.com/jc/c?g=int_30&k=2015011400536
◆◆◆ニュー速+ 記事情報提供スレ 11◆◆◆
http://uni.open2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1420949356/139
プラカードを持つイスラム教預言者ムハンマドの絵を表紙に掲載したことについて、
ジャーナリストでつくる国際NGO「プレス・エンブレム・キャンペーン」
(本部ジュネーブ)は発行に先立つ13日、「緊張緩和が求められる時に配慮を欠
き、火に油を注ぐ」と批判する声明を出した。
続き 時事通信
http://www.jiji.com/jc/c?g=int_30&k=2015011400536
◆◆◆ニュー速+ 記事情報提供スレ 11◆◆◆
http://uni.open2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1420949356/139
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【歴史】「出雲神話=虚構」は崩れ去った…空白地帯の山陰で青銅器が次々発見
1: ◆sRJYpneS5Y 2015/01/12(月)14:34:06 ID:???
昭和59年夏のことであった。出雲市斐川町神庭(かんば)の谷奥の道路
建設予定地から、358本という驚愕的な数の銅剣が発見された。そもそも
出雲は青銅器文化の空白地帯とされ、ほとんど出土例はなかった。全国から
出土した銅剣は約300本とされていたから、空白地帯のただ1カ所から出
た数量は圧倒的であった。この遺跡は、付近に荒神が祀ってあったことから
荒神谷(こうじんだに)遺跡と名づけられた。全国の熱いまなざしが荒神谷
に注がれた。
誰が、何のために埋めたのか。何故、整然と並べて埋めてあるのか。
そして、最大の謎は、何故、神庭の谷の最奥部に埋められていたのか。
翌60年の夏、再び荒神谷は熱気にわいた。前年出土した大量の銅剣の
わずか右7メートルの地点から、今度は銅矛16本、銅鐸6個が発見され
たのである。今回も数々の驚きがあったが、なんといっても最大の驚きは、
銅矛・銅剣という武器型祭器と銅鐸という鳴り物祭器が同じ場所に埋納さ
れていたということであった。
荒神谷遺跡はいくつかの定説を覆すとともに、多くの謎を提示した。
その謎はほとんど解明されないまま30年が過ぎた。ただ一つ言えることは、
荒神谷を中心とする西出雲に、弥生中期頃、大きな政治勢力が存在していた
のではないかということである。
荒神谷発見から12年後、平成8年秋のこと、荒神谷から東南東3・3キ
ロ、雲南市加茂町岩倉の道路建設現場で、ショベルカーに掬(すく)いとら
れるかたちで、銅鐸39個が発見された。今まで最大の出土量を誇っていた
滋賀県野洲市の大岩山遺跡の24個を上回る驚くべき数量だった。荒神谷の
380個、岩倉の39個はそれぞれ一括国宝に指定された。
>>2へ
建設予定地から、358本という驚愕的な数の銅剣が発見された。そもそも
出雲は青銅器文化の空白地帯とされ、ほとんど出土例はなかった。全国から
出土した銅剣は約300本とされていたから、空白地帯のただ1カ所から出
た数量は圧倒的であった。この遺跡は、付近に荒神が祀ってあったことから
荒神谷(こうじんだに)遺跡と名づけられた。全国の熱いまなざしが荒神谷
に注がれた。
誰が、何のために埋めたのか。何故、整然と並べて埋めてあるのか。
そして、最大の謎は、何故、神庭の谷の最奥部に埋められていたのか。
翌60年の夏、再び荒神谷は熱気にわいた。前年出土した大量の銅剣の
わずか右7メートルの地点から、今度は銅矛16本、銅鐸6個が発見され
たのである。今回も数々の驚きがあったが、なんといっても最大の驚きは、
銅矛・銅剣という武器型祭器と銅鐸という鳴り物祭器が同じ場所に埋納さ
れていたということであった。
荒神谷遺跡はいくつかの定説を覆すとともに、多くの謎を提示した。
その謎はほとんど解明されないまま30年が過ぎた。ただ一つ言えることは、
荒神谷を中心とする西出雲に、弥生中期頃、大きな政治勢力が存在していた
のではないかということである。
荒神谷発見から12年後、平成8年秋のこと、荒神谷から東南東3・3キ
ロ、雲南市加茂町岩倉の道路建設現場で、ショベルカーに掬(すく)いとら
れるかたちで、銅鐸39個が発見された。今まで最大の出土量を誇っていた
滋賀県野洲市の大岩山遺跡の24個を上回る驚くべき数量だった。荒神谷の
380個、岩倉の39個はそれぞれ一括国宝に指定された。
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