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2019年10月25日
映画「硫黄島からの手紙」- 激戦36日間の攻防 戦いの中で兵士たちは…
「硫黄島からの手紙」(Letters from Iwo Jima)
2006年 アメリカ
監督クリント・イーストウッド
脚本アイリス・ヤマシタ
撮影トム・スターン
〈キャスト〉
渡辺謙 二宮和也 伊原剛志 加瀬亮 中村獅童
第79回アカデミー賞音響編集賞/第64回ゴールデングローブ賞最優秀外国語映画賞/全米映画批評家賞/サンディエゴ映画批評家協会賞/他受賞多数
東京都から南に約1100q。小笠原諸島の南の端に位置する硫黄島は、東西8q、南北4qの小さな島です。
活火山の火山島であるため硫黄の臭いが強く、それがそのまま島名の由来になっています。
昭和19年(1944年)、本土防衛のため、大本営は小笠原諸島の防備の強化を開始。
陸・海部隊合わせて6245名が硫黄島に進出。
さらに参謀本部は小笠原諸島防備の増強を決め、第109師団を創設。
栗林忠道中将を師団長に任命し、栗林は昭和19年6月8日に硫黄島へ着任します。
栗林着任のほぼ一週間後の6月15日、米軍はサイパン上陸と合わせて硫黄島を空襲。
激戦の火ぶたが切って落とされます。
「硫黄島からの手紙」は、前作「父親たちの星条旗」に続く、二部作ともいえる硫黄島の激戦に取り組んだクリント・イーストウッドの監督作品で、アメリカ映画でありながら登場人物のほとんどが日本人で占められた異色作。
「父親たちの星条旗」がアメリカ側の視点でとらえた硫黄島のその後であったのに対し、「硫黄島からの手紙」では硫黄島の激戦そのものに焦点を当て、本土防衛のために捨て駒とされた絶海の孤島で、圧倒的な物量を誇る米軍に対し、日本軍2万129名が戦死。さらに米軍の戦傷者は2万8686名という壮絶な戦いを強いられた日本軍兵士たちの心の葛藤を丁寧に、そしてリアルに描き切った傑作です。
2006年。
硫黄島の戦跡調査隊は、日本軍がアメリカ軍を迎え撃つために潜(ひそ)んでいた地下陣地を調査中、おびただしい数の封書を発見します。
それは、硫黄島で戦い、死んでいった兵士たちが家族に宛てた手紙で、栗林忠道中将を始めとする帝国陸軍小笠原兵団の肉声ともいえるものでしたが、その手紙が家族の元に届くことなく、多くは遺骨となった彼らは、この島で何を思い、激しい戦いの中でどう生きたのか。
昭和19(1944)年6月8日、太平洋戦争の戦況が悪化する中、硫黄島を本土防衛のための砦とするため、日本軍守備隊として小笠原方面最高指揮官・栗林忠道中将(渡辺謙)が島へ降り立ちます。
駐在武官としてアメリカやカナダでの生活経験を持つ栗林の着任は、それまで、精神論に固執し、兵士たちに厳しさを押し付ける上官たちと違い、命の大切さを説く新鮮で暖かみのある指揮官として、応召兵で陸軍一等兵の西郷(二宮和也)たちに明るい光を投げかけます。
また、1932年のロサンゼルスオリンピック馬術競技金メダリストの西竹一中佐(伊原剛志)も愛馬と共に硫黄島へ着任。
チャーリー・チャップリンや“ハリウッドのキング”と呼ばれたダグラス・フェアバンクスとも親交のあった、ハンサムでダンディーな西の存在もまた、西郷たちの過酷な灼熱の日常に新鮮な風と空気を送り込むことになります。
しかし、アメリカ軍を迎え撃つために徹底抗戦を叫ぶ副官の藤田中尉(渡辺広)や伊藤大尉(中村獅童)たちに対して、米軍との兵力の差があり過ぎることを憂慮した栗林は、地下壕を掘り、島全体を要塞化してゲリラ戦に持ち込む作戦を提言。藤田中尉たちとの間に摩擦が生じます。
栗林の指揮のもと、地下陣地の構築が始まり、昭和20(1945)年2月19日、圧倒的な兵力をもってアメリカ軍が硫黄島への上陸を開始。
地下陣地に立てこもった日本軍は、トーチカのすき間から一斉に射撃を開始します。
日本軍とアメリカ軍では、兵力や物量の上であまりにも違いがあることから5日ほどで終了すると思われていた硫黄島の戦いは、36日間に及ぶ激戦の末にアメリカ軍の戦傷者の数が日本軍の戦死者の数を上回る結果となり、上陸部隊指揮官のホーランド・スミス海兵隊中将に「この戦いを指揮している日本の将軍は頭の切れるヤツだ」と言わしめた硫黄島の戦い。
しかし、映画「硫黄島からの手紙」は指揮官である栗林忠道中将を英雄視することなく、酒を酌み交わす間柄の西少佐とも確執の芽があることを淡々と描いていきます。
招集された一等兵・西郷の目を通して語られる「硫黄島からの手紙」は、戦場には不釣り合いなほど静かに流れるピアノの音色が、悲愴な血の臭いを浄化させるような不思議な雰囲気を醸し出し、死と静寂の世界を創り出していきます。
それは、戦場の兵士たちも家庭にあれば良き夫であり、戦争がなければごく普通の家庭人として平凡で静かな人生を送りえたであろう哀切さを、兵士たちが家族に宛てた手紙とともに、普通の生活が送れることへの裏返しの哀しさが込められているように思います。
そしてアメリカ軍上陸に始まる激戦は、ドリームワークスを率いるスティーヴン・スピルバーグが製作に参加していることもあって「プライベート・ライアン」のノルマンディー上陸に劣らない壮絶さ。
敗色が濃くなり、玉砕を叫び自決を強いる地下壕での凄惨さ。
栗林の命令を無視して夜間攻撃を仕掛ける伊藤大尉の無謀さと、だらしのない滑稽さ。
投降する日本兵に対し、こんな奴らのお守りはゴメンだとばかりに射殺してしまうアメリカ兵の非人道性。
けっして一方に肩入れすることなく、戦場で起こることのすべてをありのままに描こうとするイーストウッドの姿勢は、見る者の心に深い感動となって染みこみます。
栗林忠道中将に「ラストサムライ」(2003年)、「インセプション」(2010年)など、ハリウッドでも知名度の高い渡辺謙。
西郷一等兵に、アイドルグループ「嵐」のメンバーで、「母と暮らせば」(2015年)などの二宮和也。
伊藤大尉に、歌舞伎役者で、「利休」(1989年)、「レッドクリフ」(2008年)の中村獅童。
馬術競技金メダリストの西竹一中佐に、「病院へ行こう」(1990年)、「十三人の刺客」(2010年)の伊原剛志。
余談として、現在では硫黄島の読みは“いおうとう”に統一されていますが、歴史的には“いおうじま”“いおうとう”の両方があり、映画にも登場する「硫黄島防備の歌」の中でも“いおうじま”と歌われています。
明治時代に作成された海図にも“いおうじま”と表記されていて、アメリカ軍はこの海図をもとに“イオージマ”と呼んでいたようです。
2006年 アメリカ
監督クリント・イーストウッド
脚本アイリス・ヤマシタ
撮影トム・スターン
〈キャスト〉
渡辺謙 二宮和也 伊原剛志 加瀬亮 中村獅童
第79回アカデミー賞音響編集賞/第64回ゴールデングローブ賞最優秀外国語映画賞/全米映画批評家賞/サンディエゴ映画批評家協会賞/他受賞多数
東京都から南に約1100q。小笠原諸島の南の端に位置する硫黄島は、東西8q、南北4qの小さな島です。
活火山の火山島であるため硫黄の臭いが強く、それがそのまま島名の由来になっています。
昭和19年(1944年)、本土防衛のため、大本営は小笠原諸島の防備の強化を開始。
陸・海部隊合わせて6245名が硫黄島に進出。
さらに参謀本部は小笠原諸島防備の増強を決め、第109師団を創設。
栗林忠道中将を師団長に任命し、栗林は昭和19年6月8日に硫黄島へ着任します。
栗林着任のほぼ一週間後の6月15日、米軍はサイパン上陸と合わせて硫黄島を空襲。
激戦の火ぶたが切って落とされます。
「硫黄島からの手紙」は、前作「父親たちの星条旗」に続く、二部作ともいえる硫黄島の激戦に取り組んだクリント・イーストウッドの監督作品で、アメリカ映画でありながら登場人物のほとんどが日本人で占められた異色作。
「父親たちの星条旗」がアメリカ側の視点でとらえた硫黄島のその後であったのに対し、「硫黄島からの手紙」では硫黄島の激戦そのものに焦点を当て、本土防衛のために捨て駒とされた絶海の孤島で、圧倒的な物量を誇る米軍に対し、日本軍2万129名が戦死。さらに米軍の戦傷者は2万8686名という壮絶な戦いを強いられた日本軍兵士たちの心の葛藤を丁寧に、そしてリアルに描き切った傑作です。
2006年。
硫黄島の戦跡調査隊は、日本軍がアメリカ軍を迎え撃つために潜(ひそ)んでいた地下陣地を調査中、おびただしい数の封書を発見します。
それは、硫黄島で戦い、死んでいった兵士たちが家族に宛てた手紙で、栗林忠道中将を始めとする帝国陸軍小笠原兵団の肉声ともいえるものでしたが、その手紙が家族の元に届くことなく、多くは遺骨となった彼らは、この島で何を思い、激しい戦いの中でどう生きたのか。
昭和19(1944)年6月8日、太平洋戦争の戦況が悪化する中、硫黄島を本土防衛のための砦とするため、日本軍守備隊として小笠原方面最高指揮官・栗林忠道中将(渡辺謙)が島へ降り立ちます。
駐在武官としてアメリカやカナダでの生活経験を持つ栗林の着任は、それまで、精神論に固執し、兵士たちに厳しさを押し付ける上官たちと違い、命の大切さを説く新鮮で暖かみのある指揮官として、応召兵で陸軍一等兵の西郷(二宮和也)たちに明るい光を投げかけます。
また、1932年のロサンゼルスオリンピック馬術競技金メダリストの西竹一中佐(伊原剛志)も愛馬と共に硫黄島へ着任。
チャーリー・チャップリンや“ハリウッドのキング”と呼ばれたダグラス・フェアバンクスとも親交のあった、ハンサムでダンディーな西の存在もまた、西郷たちの過酷な灼熱の日常に新鮮な風と空気を送り込むことになります。
しかし、アメリカ軍を迎え撃つために徹底抗戦を叫ぶ副官の藤田中尉(渡辺広)や伊藤大尉(中村獅童)たちに対して、米軍との兵力の差があり過ぎることを憂慮した栗林は、地下壕を掘り、島全体を要塞化してゲリラ戦に持ち込む作戦を提言。藤田中尉たちとの間に摩擦が生じます。
栗林の指揮のもと、地下陣地の構築が始まり、昭和20(1945)年2月19日、圧倒的な兵力をもってアメリカ軍が硫黄島への上陸を開始。
地下陣地に立てこもった日本軍は、トーチカのすき間から一斉に射撃を開始します。
日本軍とアメリカ軍では、兵力や物量の上であまりにも違いがあることから5日ほどで終了すると思われていた硫黄島の戦いは、36日間に及ぶ激戦の末にアメリカ軍の戦傷者の数が日本軍の戦死者の数を上回る結果となり、上陸部隊指揮官のホーランド・スミス海兵隊中将に「この戦いを指揮している日本の将軍は頭の切れるヤツだ」と言わしめた硫黄島の戦い。
しかし、映画「硫黄島からの手紙」は指揮官である栗林忠道中将を英雄視することなく、酒を酌み交わす間柄の西少佐とも確執の芽があることを淡々と描いていきます。
招集された一等兵・西郷の目を通して語られる「硫黄島からの手紙」は、戦場には不釣り合いなほど静かに流れるピアノの音色が、悲愴な血の臭いを浄化させるような不思議な雰囲気を醸し出し、死と静寂の世界を創り出していきます。
それは、戦場の兵士たちも家庭にあれば良き夫であり、戦争がなければごく普通の家庭人として平凡で静かな人生を送りえたであろう哀切さを、兵士たちが家族に宛てた手紙とともに、普通の生活が送れることへの裏返しの哀しさが込められているように思います。
そしてアメリカ軍上陸に始まる激戦は、ドリームワークスを率いるスティーヴン・スピルバーグが製作に参加していることもあって「プライベート・ライアン」のノルマンディー上陸に劣らない壮絶さ。
敗色が濃くなり、玉砕を叫び自決を強いる地下壕での凄惨さ。
栗林の命令を無視して夜間攻撃を仕掛ける伊藤大尉の無謀さと、だらしのない滑稽さ。
投降する日本兵に対し、こんな奴らのお守りはゴメンだとばかりに射殺してしまうアメリカ兵の非人道性。
けっして一方に肩入れすることなく、戦場で起こることのすべてをありのままに描こうとするイーストウッドの姿勢は、見る者の心に深い感動となって染みこみます。
栗林忠道中将に「ラストサムライ」(2003年)、「インセプション」(2010年)など、ハリウッドでも知名度の高い渡辺謙。
西郷一等兵に、アイドルグループ「嵐」のメンバーで、「母と暮らせば」(2015年)などの二宮和也。
伊藤大尉に、歌舞伎役者で、「利休」(1989年)、「レッドクリフ」(2008年)の中村獅童。
馬術競技金メダリストの西竹一中佐に、「病院へ行こう」(1990年)、「十三人の刺客」(2010年)の伊原剛志。
余談として、現在では硫黄島の読みは“いおうとう”に統一されていますが、歴史的には“いおうじま”“いおうとう”の両方があり、映画にも登場する「硫黄島防備の歌」の中でも“いおうじま”と歌われています。
明治時代に作成された海図にも“いおうじま”と表記されていて、アメリカ軍はこの海図をもとに“イオージマ”と呼んでいたようです。