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2019年06月08日
映画「レヴェナント: 蘇えりし者」復讐するのは我か神か
「レヴェナント: 蘇えりし者」(The Revenant)
2015年アメリカ
監督アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ
原作マイケル・パンク
脚本マーク・L・スミス
アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ
撮影エマニュエル・ルベツキ
〈キャスト〉
レオナルド・ディカプリオ トム・ハーディ
第88回アカデミー賞監督賞/主演男優賞(レオナルド・ディカプリオ)
撮影賞受賞
19世紀初頭、アメリカ開拓時代の北西部。
入植者の白人と先住民諸部族との間に紛争の絶えなかったころ、極寒地帯を移動しながら狩猟を続ける毛皮ハンターの一団がいました。
ハンターの一人で、息子のホーク(フォレスト・グッドラック)と共に一団に加わっていたヒュー・グラス(レオナルド・ディカプリオ)は、狩猟の銃声を聞き付けた先住民の襲撃に遭い、多くの犠牲者を出しながら、残り少なくなったハンターの一団と共に命からがら船で逃げ伸びます。
ヘンリー(ドーナル・グリーソン)を隊長とする一行は、仲間のいる居住区へ向かおうとするのですが、行く手は険しい山岳地帯。
陸路をとるか、船で川を下るかでモメることになりますが、ガイドとしての知識と経験の豊富なグラスの意見に従い、船は危険だということで、陸路をとることになります。
先頭に立ち、少し先を歩いていたグラスは子熊と遭遇。
子熊の近くには親熊がいるもの。アッと思う間もなくグラスは親熊の襲撃を受けます。
それは熊の中でも最も性質が荒いとされるグリズリー(灰色熊、ヒグマの亜種)でした。
執拗なグリズリーの襲撃を受けたグラスは、肉をえぐられ、足の骨を折られ、生きているのが不思議なほどの重傷を負います。
瀕死の体を担がれながらグラスと一行は山を越えようとしますが、大自然の難路で、すでにグラスは一行の足手まといとなってしまっており、最早グラスの死は避けられないとみた隊長ヘンリーの提案によって、グラスの死を看取るようフィッツジェラルド(トム・ハーディ)に命じ、フィッツジェラルドとグラスの息子ホークと年若いジム(ウィル・ポールター)の三人を残し、グラスの死を見届けたうえで帰還するよう命じます。
かねてからグラスに敵意を抱いていたフィッツジェラルドは、自分たちを雇った毛皮商会の分け前もあり、ホークを殺し、グラスを置き去りにしてジムとともにその場を立ち去ります。
目の前で息子のホークを殺され、ひとり置きざりにされたグラスはフィッツジェラルドへの復讐の鬼と化し、苛酷な大自然の中、瀕死の体でのサバイバルが始まり、フィッツジェラルドとの死闘へと物語は展開されてゆきます。
あくまでも個人的な感想
正直なところ、個人的には賛否両論の混在する映画です。
まず、カメラが常に移動しているために落ち着きがなく、しかも広角レンズを多用してそれを動かしているから、とてもうるさく感じます。
ストーリー自体はシンプルな復讐物でありながら、ところどころ挿入される宗教観、毛皮の狩猟や乱獲における歴史的背景、また、グラスと先住民である彼の妻との関係なども映画全体を覆う芸術的思惑の中に溶かし込まれているため、見る側に訴えるというよりは監督の独りよがりな印象を受けました。
しかし、そういったマイナスの印象があった反面、本物を追求しようとする監督の意図と、登場する俳優たちの熱演、特にヒュー・グラスを演じたレオナルド・ディカプリオの役者魂には今さらながら驚かされました。
レオナルド・ディカプリオは「ボーイズ・ライフ」(1993年)のころから素晴らしい演技力のある子どもだと思っていたのですが、「タイタニック」(1997年)で一気にスターダムにのし上がってしまったのが、かえってこの人にとってはよくない結果になるんじゃないかと思っていました。
「レオ様」「レオ様」と呼ばれ始めて少年っぽさを失わないイメージが望まれていたようですから、大衆が望むイメージを保っていたら、いつまでも少年のようなディカプリオは大成できないだろうなあ、と思っていたのが「ギャング・オブ・ニューヨーク」(2002年)「キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン」(2002年)で徐々に変化を見せ始め、「アビエイター」(2004年)「ディパーテッド」(2006年)「ブラッド・ダイヤモンド」(2006年)で大人の男へと変貌を遂げたのはお見事。
ただ、「レヴェナント」では生肉を食い、生きた魚にかじりつくシーンは、なにもそこまでしなくても、とも思いましたが、そこまですることによって苛酷なサバイバルの現実が、より生々しく伝わってきたのもたしかです。
ピクピクと動いている生きた魚を食べるシーンでは、そばに焚き火が燃えているんだから、火であぶればいいんじゃないかと思いましたが、極寒の地方ではそのまま食べる習慣でもあったのか、そのままのほうが栄養価は高いらしいですから。
ちなみに私は生きたシラウオをそのまま食べる「シラウオの踊り食い」を経験したことがありますが、口の中でグニュグニュ動く気持ち悪さに閉口して、一度きりでやめたことがあります。
レオナルド・ディカプリオ、大した根性ですが、本物志向が強すぎて、より過激な方向へいかないかと多少心配になります。
個人的には作品の賛否が交錯する「レヴェナント: 蘇えりし者」ですが、大自然に真っ向から取り組んだ力強い映画であることに間違いはなく、カメラの動き過ぎをうるさく感じたことは上述しましたが、そのカメラがとらえた大自然の風景が圧巻であったのも事実です。
また、この映画のテーマでもあるのかな、と思われる、人間が生きることの執念。グリズリーに体をズタズタにされて死期の迫った人間が、苛酷な自然の中で、どうやって生き延びることができたのか、多少の誇張はあるにせよ、復讐という執念だけが命をつなぎ、研ぎ澄まされた命の炎は、死から再生への奇跡を生み出すことができるものであるということも考えさせられた映画でした。
2015年アメリカ
監督アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ
原作マイケル・パンク
脚本マーク・L・スミス
アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ
撮影エマニュエル・ルベツキ
〈キャスト〉
レオナルド・ディカプリオ トム・ハーディ
第88回アカデミー賞監督賞/主演男優賞(レオナルド・ディカプリオ)
撮影賞受賞
19世紀初頭、アメリカ開拓時代の北西部。
入植者の白人と先住民諸部族との間に紛争の絶えなかったころ、極寒地帯を移動しながら狩猟を続ける毛皮ハンターの一団がいました。
ハンターの一人で、息子のホーク(フォレスト・グッドラック)と共に一団に加わっていたヒュー・グラス(レオナルド・ディカプリオ)は、狩猟の銃声を聞き付けた先住民の襲撃に遭い、多くの犠牲者を出しながら、残り少なくなったハンターの一団と共に命からがら船で逃げ伸びます。
ヘンリー(ドーナル・グリーソン)を隊長とする一行は、仲間のいる居住区へ向かおうとするのですが、行く手は険しい山岳地帯。
陸路をとるか、船で川を下るかでモメることになりますが、ガイドとしての知識と経験の豊富なグラスの意見に従い、船は危険だということで、陸路をとることになります。
先頭に立ち、少し先を歩いていたグラスは子熊と遭遇。
子熊の近くには親熊がいるもの。アッと思う間もなくグラスは親熊の襲撃を受けます。
それは熊の中でも最も性質が荒いとされるグリズリー(灰色熊、ヒグマの亜種)でした。
執拗なグリズリーの襲撃を受けたグラスは、肉をえぐられ、足の骨を折られ、生きているのが不思議なほどの重傷を負います。
瀕死の体を担がれながらグラスと一行は山を越えようとしますが、大自然の難路で、すでにグラスは一行の足手まといとなってしまっており、最早グラスの死は避けられないとみた隊長ヘンリーの提案によって、グラスの死を看取るようフィッツジェラルド(トム・ハーディ)に命じ、フィッツジェラルドとグラスの息子ホークと年若いジム(ウィル・ポールター)の三人を残し、グラスの死を見届けたうえで帰還するよう命じます。
かねてからグラスに敵意を抱いていたフィッツジェラルドは、自分たちを雇った毛皮商会の分け前もあり、ホークを殺し、グラスを置き去りにしてジムとともにその場を立ち去ります。
目の前で息子のホークを殺され、ひとり置きざりにされたグラスはフィッツジェラルドへの復讐の鬼と化し、苛酷な大自然の中、瀕死の体でのサバイバルが始まり、フィッツジェラルドとの死闘へと物語は展開されてゆきます。
あくまでも個人的な感想
正直なところ、個人的には賛否両論の混在する映画です。
まず、カメラが常に移動しているために落ち着きがなく、しかも広角レンズを多用してそれを動かしているから、とてもうるさく感じます。
ストーリー自体はシンプルな復讐物でありながら、ところどころ挿入される宗教観、毛皮の狩猟や乱獲における歴史的背景、また、グラスと先住民である彼の妻との関係なども映画全体を覆う芸術的思惑の中に溶かし込まれているため、見る側に訴えるというよりは監督の独りよがりな印象を受けました。
しかし、そういったマイナスの印象があった反面、本物を追求しようとする監督の意図と、登場する俳優たちの熱演、特にヒュー・グラスを演じたレオナルド・ディカプリオの役者魂には今さらながら驚かされました。
レオナルド・ディカプリオは「ボーイズ・ライフ」(1993年)のころから素晴らしい演技力のある子どもだと思っていたのですが、「タイタニック」(1997年)で一気にスターダムにのし上がってしまったのが、かえってこの人にとってはよくない結果になるんじゃないかと思っていました。
「レオ様」「レオ様」と呼ばれ始めて少年っぽさを失わないイメージが望まれていたようですから、大衆が望むイメージを保っていたら、いつまでも少年のようなディカプリオは大成できないだろうなあ、と思っていたのが「ギャング・オブ・ニューヨーク」(2002年)「キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン」(2002年)で徐々に変化を見せ始め、「アビエイター」(2004年)「ディパーテッド」(2006年)「ブラッド・ダイヤモンド」(2006年)で大人の男へと変貌を遂げたのはお見事。
ただ、「レヴェナント」では生肉を食い、生きた魚にかじりつくシーンは、なにもそこまでしなくても、とも思いましたが、そこまですることによって苛酷なサバイバルの現実が、より生々しく伝わってきたのもたしかです。
ピクピクと動いている生きた魚を食べるシーンでは、そばに焚き火が燃えているんだから、火であぶればいいんじゃないかと思いましたが、極寒の地方ではそのまま食べる習慣でもあったのか、そのままのほうが栄養価は高いらしいですから。
ちなみに私は生きたシラウオをそのまま食べる「シラウオの踊り食い」を経験したことがありますが、口の中でグニュグニュ動く気持ち悪さに閉口して、一度きりでやめたことがあります。
レオナルド・ディカプリオ、大した根性ですが、本物志向が強すぎて、より過激な方向へいかないかと多少心配になります。
個人的には作品の賛否が交錯する「レヴェナント: 蘇えりし者」ですが、大自然に真っ向から取り組んだ力強い映画であることに間違いはなく、カメラの動き過ぎをうるさく感じたことは上述しましたが、そのカメラがとらえた大自然の風景が圧巻であったのも事実です。
また、この映画のテーマでもあるのかな、と思われる、人間が生きることの執念。グリズリーに体をズタズタにされて死期の迫った人間が、苛酷な自然の中で、どうやって生き延びることができたのか、多少の誇張はあるにせよ、復讐という執念だけが命をつなぎ、研ぎ澄まされた命の炎は、死から再生への奇跡を生み出すことができるものであるということも考えさせられた映画でした。