2013年12月02日
吉川氏と毛利氏「日山城」と「堂仙寺跡」
こんにちは!ゆきちゃんです。
ブログを読んで下さってありがとうございます。
今日は、先日お伝えした「中山の名水」近くの「日山城跡」と
吉川興経公の墓所「堂仙寺跡」をレポートしますね!
国道261号線を「中山の名水」の方ではなく
火野山の方に(反対方面)に行くコースです。
(広島市内から行った場合は左折、島根方面から行った場合は右折です)
![](/1wanko2gurume3daisuki/file/73/k_qOUo_pkNWBQIN1g42DT5dw9ZA.jpg)
数分山道を行くと、突然「日山城」についての説明板が現れます。
城の規模の大きさからも、吉川氏の繁栄が分かりますね。
「毛利氏から入った」と説明板にはありますが
元春の母は、吉川氏ですので、母方を継いだ感覚だったのでしょうか?
元春は「3本の矢」で有名な人物でもありますね。(毛利元就の次男坊)
しかし、日山城は、グーグルマップなどで確認しても
装備をして登らなければ、なかなか史跡が見学しずらそうです。
(いつか登ってみたいと思います。)
吉川氏が日山城に移る以前は、小倉城が本拠地でした。
小倉城は整備がされており、気軽に見学出来ました。
こちらは、また後日レポートしますね!
![](/1wanko2gurume3daisuki/file/73/k_qOUo_pgUCWe4rbgUCCsYKxgqmC54JTgk-VqoFAg3WDjYNPl3ByEw.jpg)
説明板がある近辺の様子です。
日山城本丸までの、道案内板も設置されていました。
片道40分も山道を歩くのは、大変そうです。
特に、今は雪のシーズンですので、ちょっと自信がありません・・・・・。
(ごめんなさい・・・・・)
![](/1wanko2gurume3daisuki/file/73/k7CQ5Y6bkNWBQIN1g42DT5dw8V8.jpg)
「日山城」への道案内の右側には「堂仙寺跡」の案内板と
堂仙寺跡へ続く立派な階段があります。
往時を忍ばせる、幅の広い石の階段です。
![](/1wanko2gurume3daisuki/file/73/k7CQ5Y6bkNWBQIN1g42DT5dwXzGCMw.jpg)
毛利元就が悪者扱いになっている珍しい説明板です。
元就からみて、興経は血の繋がった甥っ子ですが、
元就の妻(元春の母)から見ても、同様に血の繋がった甥っ子です。
また、興経の妻は、宍戸氏です。
家系図を書いてみると、とっても興味深いドラマチックな感じがします。
☆「五龍城」(宍戸司箭神社など)←クリックすると記事に飛びます。
元就の娘の五龍姫が宍戸隆家の妻になり、
宍戸氏と毛利氏の関係は改善されていたようです。
調べてみると、元就の手口が、けっこうズルい陰湿な殺害方法ですので
元就のイメージが変わってしまいました・・・・・。
![](/1wanko2gurume3daisuki/file/73/i2eQ7Iu7jG-M9oFAg3WDjYNPl3Dd1Q.jpg)
吉川興経公の墓所は2か所あります。
胴体のお墓と、首のお墓です。
胴体のお墓は芸備線の上深川駅近くにあります。
首のお墓とは、ずいぶん離れていて、もの悲しさを感じます。
「日山城跡・堂仙寺跡・吉川興経公墓所」データ
☆住所:広島県山県郡北広島町新庄
※「日山城」は「火の山城」とも表記されます。
今日の記事は、ちょっと長かったと思います。
ブログを読んで下さって、本当にありがとうございました!
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今日は、先日お伝えした「中山の名水」近くの「日山城跡」と
吉川興経公の墓所「堂仙寺跡」をレポートしますね!
国道261号線を「中山の名水」の方ではなく
火野山の方に(反対方面)に行くコースです。
(広島市内から行った場合は左折、島根方面から行った場合は右折です)
![](/1wanko2gurume3daisuki/file/73/k_qOUo_pkNWBQIN1g42DT5dw9ZA.jpg)
数分山道を行くと、突然「日山城」についての説明板が現れます。
城の規模の大きさからも、吉川氏の繁栄が分かりますね。
「毛利氏から入った」と説明板にはありますが
元春の母は、吉川氏ですので、母方を継いだ感覚だったのでしょうか?
元春は「3本の矢」で有名な人物でもありますね。(毛利元就の次男坊)
しかし、日山城は、グーグルマップなどで確認しても
装備をして登らなければ、なかなか史跡が見学しずらそうです。
(いつか登ってみたいと思います。)
吉川氏が日山城に移る以前は、小倉城が本拠地でした。
小倉城は整備がされており、気軽に見学出来ました。
こちらは、また後日レポートしますね!
![](/1wanko2gurume3daisuki/file/73/k_qOUo_pgUCWe4rbgUCCsYKxgqmC54JTgk-VqoFAg3WDjYNPl3ByEw.jpg)
説明板がある近辺の様子です。
日山城本丸までの、道案内板も設置されていました。
片道40分も山道を歩くのは、大変そうです。
特に、今は雪のシーズンですので、ちょっと自信がありません・・・・・。
(ごめんなさい・・・・・)
![](/1wanko2gurume3daisuki/file/73/k7CQ5Y6bkNWBQIN1g42DT5dw8V8.jpg)
「日山城」への道案内の右側には「堂仙寺跡」の案内板と
堂仙寺跡へ続く立派な階段があります。
往時を忍ばせる、幅の広い石の階段です。
![](/1wanko2gurume3daisuki/file/73/k7CQ5Y6bkNWBQIN1g42DT5dwXzGCMw.jpg)
毛利元就が悪者扱いになっている珍しい説明板です。
元就からみて、興経は血の繋がった甥っ子ですが、
元就の妻(元春の母)から見ても、同様に血の繋がった甥っ子です。
また、興経の妻は、宍戸氏です。
家系図を書いてみると、とっても興味深いドラマチックな感じがします。
☆「五龍城」(宍戸司箭神社など)←クリックすると記事に飛びます。
元就の娘の五龍姫が宍戸隆家の妻になり、
宍戸氏と毛利氏の関係は改善されていたようです。
調べてみると、元就の手口が、けっこうズルい陰湿な殺害方法ですので
元就のイメージが変わってしまいました・・・・・。
![](/1wanko2gurume3daisuki/file/73/i2eQ7Iu7jG-M9oFAg3WDjYNPl3Dd1Q.jpg)
吉川興経公の墓所は2か所あります。
胴体のお墓と、首のお墓です。
胴体のお墓は芸備線の上深川駅近くにあります。
首のお墓とは、ずいぶん離れていて、もの悲しさを感じます。
「日山城跡・堂仙寺跡・吉川興経公墓所」データ
☆住所:広島県山県郡北広島町新庄
※「日山城」は「火の山城」とも表記されます。
今日の記事は、ちょっと長かったと思います。
ブログを読んで下さって、本当にありがとうございました!
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