2011年12月21日
行動開始。
■2011/7月
やっとのことで高度汚染地域である江東区(共産党の汚染マップによる)から引き揚げて、横浜市内でいろいろ準備。
ここまでに転居先を沖縄か九州まで絞り込んだ。食料流通事情の情報収集や、日々の線量情報の監視を経て、それよりも近所への移住が自分にとってあまり価値がないと判断したからだ。移住という大仕事をこなすのだから、結果は完全に満足のいくものにしなくてはならない。
やっとのことで高度汚染地域である江東区(共産党の汚染マップによる)から引き揚げて、横浜市内でいろいろ準備。
ここまでに転居先を沖縄か九州まで絞り込んだ。食料流通事情の情報収集や、日々の線量情報の監視を経て、それよりも近所への移住が自分にとってあまり価値がないと判断したからだ。移住という大仕事をこなすのだから、結果は完全に満足のいくものにしなくてはならない。
ハローワークに行って手続して、不動産屋のサイトで物件情報を手に入れて… 色々と離職関係で手続きの遅れなどあったが、なんとか日々の情報収集とアプローチの結果、方針も定まり、沖縄へ物件探しに行くことにした。
だがしかし。この時までにいくつかの書類選考段階の就職活動を行なっていたが、なかなかに難しい。エンジニアとしての経験値は評価されるものの、沖縄でのSE業務はどちらかというと開発系が多い。ニアショアというやつだろう。
設計・構築系で食ってきた自分にとっては少々畑違いなのもあったり、また現住所が横浜市ということもあり、選考段階で本当に沖縄にくるのかの疑問を持たれたり、あるいは最初の1年は都内勤務をして欲しいなどと、募集要項と実態が異なるなどこちらはスムーズには進捗していなかった。
こうなれば先に移住を完了して、腰を据えて仕事を探すほうが効率的かもしれない。
■2011/7/28-30
沖縄は個人的に初めて行くし、飛行機に乗るのも初めて。
それでも沖縄への移住を決めたのは、確率論が決め手だった。
放射性物質の飛散は風向きによるが、できる限り遠方が好ましいのは自明だ。そして汚染食料をできるだけ回避するのも目的。
沖縄といえば通販でも「一部離島」にあたり、送料が高い。これは裏を返せばわざわざ本土でとれた野菜とか肉とかをコスト面でそうそう輸送はしないだろう、という考えだ。まあ、必ずしもこれは正解ではないが…
ともあれ、自分のこれまでのキャリアはITとともにあった。沖縄でも那覇市近郊がそういう職にはありつきやすいので、そこらで住もう、と思った。まだ仕事は決まっていない。
不動産屋は2件しか回れなかったが、どちらでも「就職活動中」「猫がいる」「保証人が親で本土住まいで年金生活者」という、極めてアレな条件だが正直に伝えた。もちろん「なぜまた那覇へ?」ということも聞かれたが、そこはもとより隠す気もない。「原発事故の影響で、関東も住めないと判断して移住を決断しました」と、ありのままに。
不動産屋の比嘉さん(沖縄は比嘉さんいっぱいいるから実名でいいよねw)によれば、この原発事故で沖縄のウィークリー、マンスリーは満員御礼とか。喜ぶべきか複雑ではあるが、現実として一時的に沖縄の経済は自主避難者が増えたことで活性化されたという話だった。
結果としてわかったことだが、沖縄では保証協会の審査さえ通ればほぼ賃貸に入れる。クレカが普通に作れる人なら求職中でも問題ないようだ。ただ、預金通帳のコピーとかは必要となるが、それも数か月の生活ができると判断されればいいので何百万も入ってなくてもいいようだ(家賃によるだろうけど)。
ちなみに今回はもう、ホントにとりあえず住めればいいやっていう基準だった。結果として築年数は30年近い物件だが沖縄県庁の隣の駅でモノレールも近くて、なんか横浜市時代よりいろいろ便利じゃね?っていう立地で、すごーくいい条件の願ったり叶ったりな物件に入れた。家賃もかなり安く抑えられた…が、沖縄基準ではそうでもないらしいw
この初めての訪沖ではものすごく暑く、とても疲れた。が、一つ心が軽くなったのも事実だった。ああ、やっと移住できる目処が立った。
そんな能天気な状況でもないけど、まあ沖縄だし、ひとまずは横浜にお土産買っていこうか。
だがしかし。この時までにいくつかの書類選考段階の就職活動を行なっていたが、なかなかに難しい。エンジニアとしての経験値は評価されるものの、沖縄でのSE業務はどちらかというと開発系が多い。ニアショアというやつだろう。
設計・構築系で食ってきた自分にとっては少々畑違いなのもあったり、また現住所が横浜市ということもあり、選考段階で本当に沖縄にくるのかの疑問を持たれたり、あるいは最初の1年は都内勤務をして欲しいなどと、募集要項と実態が異なるなどこちらはスムーズには進捗していなかった。
こうなれば先に移住を完了して、腰を据えて仕事を探すほうが効率的かもしれない。
■2011/7/28-30
沖縄は個人的に初めて行くし、飛行機に乗るのも初めて。
それでも沖縄への移住を決めたのは、確率論が決め手だった。
放射性物質の飛散は風向きによるが、できる限り遠方が好ましいのは自明だ。そして汚染食料をできるだけ回避するのも目的。
沖縄といえば通販でも「一部離島」にあたり、送料が高い。これは裏を返せばわざわざ本土でとれた野菜とか肉とかをコスト面でそうそう輸送はしないだろう、という考えだ。まあ、必ずしもこれは正解ではないが…
ともあれ、自分のこれまでのキャリアはITとともにあった。沖縄でも那覇市近郊がそういう職にはありつきやすいので、そこらで住もう、と思った。まだ仕事は決まっていない。
不動産屋は2件しか回れなかったが、どちらでも「就職活動中」「猫がいる」「保証人が親で本土住まいで年金生活者」という、極めてアレな条件だが正直に伝えた。もちろん「なぜまた那覇へ?」ということも聞かれたが、そこはもとより隠す気もない。「原発事故の影響で、関東も住めないと判断して移住を決断しました」と、ありのままに。
不動産屋の比嘉さん(沖縄は比嘉さんいっぱいいるから実名でいいよねw)によれば、この原発事故で沖縄のウィークリー、マンスリーは満員御礼とか。喜ぶべきか複雑ではあるが、現実として一時的に沖縄の経済は自主避難者が増えたことで活性化されたという話だった。
結果としてわかったことだが、沖縄では保証協会の審査さえ通ればほぼ賃貸に入れる。クレカが普通に作れる人なら求職中でも問題ないようだ。ただ、預金通帳のコピーとかは必要となるが、それも数か月の生活ができると判断されればいいので何百万も入ってなくてもいいようだ(家賃によるだろうけど)。
ちなみに今回はもう、ホントにとりあえず住めればいいやっていう基準だった。結果として築年数は30年近い物件だが沖縄県庁の隣の駅でモノレールも近くて、なんか横浜市時代よりいろいろ便利じゃね?っていう立地で、すごーくいい条件の願ったり叶ったりな物件に入れた。家賃もかなり安く抑えられた…が、沖縄基準ではそうでもないらしいw
この初めての訪沖ではものすごく暑く、とても疲れた。が、一つ心が軽くなったのも事実だった。ああ、やっと移住できる目処が立った。
そんな能天気な状況でもないけど、まあ沖縄だし、ひとまずは横浜にお土産買っていこうか。