2009年07月13日
「脳死は人の死」。参議院、臓器移植法A案可決、成立。
あっさり通過した感があった様に感じましたが、
思うに、国会は明治維新以来の気風が影響しているのではないかと。
世の中では「脳死=人の死」という部分に抵抗感を持つ人もいるので、
そこを明確にしなくても移植できる法が受け入れ易かったのではないかと思います。
しかし、「脳死=人の死」は、国際的には常識となっているようで、
様々な合理的な理由はあると思いますが、
世界でスタンダードとなっているものに合わせたい!、
日本が世界に遅れを取っていると云う事になってはいけない!!
という空気が根強く働いているように思います。
しかし、現在の情勢を鑑みてみて、
国会主導≒指導者主導気味に
物事を進める方がよい時期は終わりつつあるのではないでしょうか。
勿論、敗戦体験を引きずった感覚的な武力拒否論や、
強い宗教的迷信による行動を選ぶ人も居るでしょう。
しかし、この高度先進的、合理的生活様式を受け入れ、
大規模な近代経済社会を発展させ、
その上で、狭義宗教的でもなく、金銭・物質至上的でもない
人間の幸福を考え、実践した人生を求める価値観・精神的状態が
広く行き渡っていると思われるこの日本では、
国民が広く考えていることを醸成させ纏めて行くという、
本来の民主主義制度のやり方を活かして行くべきではないでしょうか。
メディアから感じ取られるものからでは、
決して先進諸外国、国際社会の常識を生み出した人々の
母体集団に引けを取るものとは思われないのです。
思うに、国会は明治維新以来の気風が影響しているのではないかと。
世の中では「脳死=人の死」という部分に抵抗感を持つ人もいるので、
そこを明確にしなくても移植できる法が受け入れ易かったのではないかと思います。
しかし、「脳死=人の死」は、国際的には常識となっているようで、
様々な合理的な理由はあると思いますが、
世界でスタンダードとなっているものに合わせたい!、
日本が世界に遅れを取っていると云う事になってはいけない!!
という空気が根強く働いているように思います。
しかし、現在の情勢を鑑みてみて、
国会主導≒指導者主導気味に
物事を進める方がよい時期は終わりつつあるのではないでしょうか。
勿論、敗戦体験を引きずった感覚的な武力拒否論や、
強い宗教的迷信による行動を選ぶ人も居るでしょう。
しかし、この高度先進的、合理的生活様式を受け入れ、
大規模な近代経済社会を発展させ、
その上で、狭義宗教的でもなく、金銭・物質至上的でもない
人間の幸福を考え、実践した人生を求める価値観・精神的状態が
広く行き渡っていると思われるこの日本では、
国民が広く考えていることを醸成させ纏めて行くという、
本来の民主主義制度のやり方を活かして行くべきではないでしょうか。
メディアから感じ取られるものからでは、
決して先進諸外国、国際社会の常識を生み出した人々の
母体集団に引けを取るものとは思われないのです。
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