アフィリエイト広告を利用しています
検索
<< 2015年11月 >>
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30          
最新記事
カテゴリーアーカイブ

広告

この広告は30日以上更新がないブログに表示されております。
新規記事の投稿を行うことで、非表示にすることが可能です。
posted by fanblog

2015年11月15日

中国と東京裁判(13):『梅汝璈日記』10

1946年4月24日水曜日
今日は午前に法官会議を開き、続けて訴訟手続き細則の草案と文書ファイルの翻訳の問題を討論した。草案にはわずかな修正があるだけで、全部あわせるとこれで第四次の草案となる。

ちょうど草案を討論している時に、秘書がマッカーサー元帥の回答状を持ってきて、中には極東国際軍事裁判憲章修正条文の草案が附されていた。修正案には私たちの質問状の問題に対し、その規定は被告の自己弁護あるいは弁護士を雇用しての弁護を許すが、二者のどちらか一つを選択できるとあった。そのほかに憲章はもう一つの修正として裁判官を二名増加し、インドとフィリピンが各一名代表を派遣するとあった。検察処にもインドとフィリピンは検察官を各一名派遣し、検察長に協力することになった。

会議が解散後に、ホテルに戻って昼食を取った。雨がひどかったので、外には出なかった。明日は中央社の曾思清氏が帰国するので、私は昼寝の後に手紙を書くことに没頭し、七時に晩餐を食べ、それからまた続けて手紙を書いた。十時に方秘書と劉秘書が取りに来た時には、私は六通の手紙を書き上げており、すべて彼らから曾氏に渡して明日に上海で投函してもらう。

十時から二時までは新聞を読んだ。混乱した世界には問題がほんとうに多すぎる。しかし日本の幣原内閣が倒れ(昨日総辞職)その後継人の人選問題と我国の東北情勢の発展が最も私の気になることである。我国の前途の多難さと国際地位の下落の危険を考えると私は夜も安心して眠れない。「当局者は迷っているが、そばで見ている人にははっきりしている」というが、この種の危険は国外にいる人間はおおかた国内の人よりはっきりと認識できるものだ。

1946年4月25日木曜日
今日の午前は裁判官の会議があり、第四次修正草案について討論し、少しの文字の修正だけで、この草案は大体脱稿したと見なしてよいだろう。

草案の討論が終わってから裁判官は誓約にサインしたが、誓約文は次のようなものであった。
「我々は極東国際軍事裁判裁判官として必ず法に基づいて正義を執行し、恐れやひいきや偏見によることなく、我々の良心に基づいて最善の理解により任務を執行する。我々は決して法廷の特定の成員の意見や投票を漏らしたり暴露したりすることなく、すべての成員の秘密を必ず守る」。

署名の順序は、米、中、ソ、カナダ、オーストラリア、フランス、オランダ、ニュージーランドであった。私は中国語で署名をしてから名前の後に英訳を附した。この署名の儀式はとても簡単なもので、ほとんど儀式と言うほどでもないようなものであった。署名が終わると解散になり、私はホテルに戻って昼食を取り、昼寝をした。

目が覚めてから、昨日の夜に淡如(王之将軍)が持って来てくれた数冊の図書と雑誌を閲覧した。六時に代表団と朱世明団長、沈顧問、ツ組長および銭秘書と約一時間ほど話をしたが、おおかた国内の情勢と代表団の日本の首相の継承人選への態度についてであった。朱世民将軍は組閣を期待する声が最も高い党の指導者鳩山についてすでに総司令部に反対の意見書を提出したと述べた。これにより、彼の組閣の幻想はまったく破滅に終わった。日本の首相の人選に中国人の同意が必要とは空前絶後のことだ。私は中国人が努力して自分を大切にし、団結して建国し、その国際的地位を保つよう願う。

ホテルに戻り晩餐後に小劇場で映画を見た。映画の題名はDetourというもので、主人公はあまり有名ではないが、情景と演技はなかなかのものであった。十一時に淡如(王之将軍)が尋ねてきて、シャワーを浴びて寝たのは一時近くであった。

歴史劇画 大宰相第二巻 鳩山一郎の悲運【電子書籍】[ さいとうたかを ]

価格:1,058円
(2015/11/15 07:04時点)
感想(0件)


×

この広告は30日以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。