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2015年11月11日

中国と東京裁判(9):『梅汝璈日記』6

1946年4月11日
今日は午前外に出ず、部屋で新聞を読んだり日記を書いたりした。スター・アンド・ストライプ紙を見ると、やはり『起訴延期』のニュースが載っていた。理由はソ連の判事がまだ来ていないということだったが、実はそのほかにも原因がある。私は昨日「ハッタリ」だろうと予想していたが、やはり予想どうりであった。

国内のニュースは依然として劣悪で、東北の争奪戦はますます白熱しており、私は長春にいる静軒と璇の兄弟のことが気がかりであったが、おそらく彼らはもう脱出しただろう。三人の調停処の工作は進められているが、おそらく効果はあるまい。マーシャル将軍は今週内に中国に戻るそうである。自分たちのことなのに他人が干渉しなければいけないとは、なんとも説明の仕様がない。同時に経済崩壊がさらに恐ろしい。上海の石炭はすでに一トン四十五万元の高値になっており、方秘書によれば鶏卵一個が一個一千元もするそうだ。これはいったいどういうことであろうか。

ジャパン・タイムスには一遍の短文で「中国人は仇を返さず」とあり、日本が投降後に中国人が日本人にどれだけ寛大な処置をして「敵を友のように見ている」ことを報じていた。寛大はたしかに美徳であるが、しかし姑息と恐れは卑怯である。私はこの文章を読んで、「全てが間違っていて可笑しい」という感じがした。

キーナン氏から電話があり、マッカーサー元帥が明日私を食事に誘っているが、時間があるかどうかと尋ねてきた。これはとても遠慮した言い方で、我々判事は何もすることがなくて暇で仕方ないのに、マッカーサー元帥から食事に誘われて時間がないことがあるだろうか。彼はまた自分も一緒に行った方がいいかどうかと尋ね、もし一緒に行くなら帝国ホテルで待っていてほしい、午後一時に迎えに行くからということであった。私は同意した。ヒゲが長くなったが、私自身もそれを切る習慣がないので、階下の理髪室に行ってヒゲをきれいにしてもらった。

理髪室から戻ると、オランダのレーリンク氏に出くわした。彼は私をホテル内の池の傍の草地に座るよう誘い、二杯のコーヒーを注文した。彼は中国の哲学文化にとても興味があり尊敬していると語った。彼はとても勉強好きで、人格がとてもオシャレで、誠実で、青年紳士のような雰囲気があるので、彼の言葉は嘘ではあるまい。私たちは将来の法廷の判決の是非は英米と同じく、判事が賛成か反対か人数と名前を明記して、反対者にも反対意見を発表するのかどうか討論した。彼は一貫してそのやり方に反対し、いろいろな理由を挙げていた。私は彼の主張にかなり賛成ではあるが、私はこの問題についてはまだあまり精密に考慮していないと答えた。私は彼にこれは相当に重要な問題であるので、細則中に規定があるべきで、少なくとも判事会議で十分に討論すべきであると答えた。私がレーリンク氏と大いに話していると、カナダのマクドゥガル氏がやってきて、彼の部屋でカクテルパーティをするので、私たちはすぐに来て参加するようにと言った。来たのは八、九人で判事以外にも一、二人の裁判所職員もいた。私と米国のヒギンズ氏は酒が飲めないので、しばらく座っていたが退席して一緒に食堂に夕食を食べに行った。

昼寝した後、三時に私は旧農林大臣官邸に朱世明将軍を訪問に行った。朱将軍と張鳳挙の二人が銭秘書とともにいたが、彼らは私に各部屋とその配置を見せてまわった。ここは完全に日本の貴族式の部屋で、明るくて清潔で、たいへん風格がある。窓の外の庭には花草があり、とても清潔で可愛らしい。私たちは地面に座って、お茶を飲んでお喋りしたが、とても東洋風な味わいであった。

四時過ぎになって、米国空輸隊の司令官の某大佐が朱将軍を訪問してきた。朱将軍はみなを招いてとても優雅なゲストルームで酒宴を開いた。その司令官はとても中国に同情的で、状況もよく知っており、北京や上海に行ったことがあり、知り合った中国の友人も少なくないとのことであった。彼の妻の弟は現在重慶の米国大使館で海軍武官をしているとのことであった。彼は日本人がとても嫌いで、憤りながら彼らはとても狡猾で嘘つきだと言った。これは彼の作戦と日本に住んだ経験である。彼は日本人は何でも盗み、ますます大胆になっていると言った。彼は中国占領軍の到来を待って、彼は中国の占領区に住みたいくらいだと言った。彼は米軍の寛容政策に大変に不満で、占領の初期には、日本人は驚いて茫然自失の態であったが、しばらくするとペコペコして従順になり可哀想だったが、今では我が物顔で少し傲慢になってきたと言った。この主張には、朱将軍はとても同感であるようだった。

六時に一人で退席して、英国のパトリック氏の酒宴に出席した。到着すると、マクドゥガル氏、レーリンク氏、ヒギンズ氏、パル氏も来ていた。これらは一日で少なくとも三回あった人たちで、話し始めるととても愉快であった。しかし私とヒギンズ氏は酒に興味がないので、また我々だけで先に退出して夕食を食べに行った。

夕食後に王将軍と向かいのパイル劇場にショーと映画を見に行った。劇場は軍人で一杯で、このショーはとても面白く、とても客が多いということであった。しかし「将官ボックス席」は今晩もやはり我々二人だけで座った。気温が高く熱かったので、見終わらずに帰った。シャワーを浴びて就寝したのは十二時近くになっていた。

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