2007年11月28日 | Posted by えいち at 12:11 | この記事のURL |
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引っ越しました・・・
たびたび申し訳ありませんが
先日も申し上げたとおり、ちょっとここの
ブログの使い勝手になじめないので、
引っ越すことにしました。
引越し先はこちら⇒http://jazznara.blog23.fc2.com/
引き続きごひいきのほどよろしくお願いします!!!
気がつけば菅野よう子
秋口あたりから、テレビのCMで「創聖のアクエリオン」というタイトルのものが流れているのが気になっている。
最初はアニメ映画の宣伝だったものが、いつのまにかパチンコの宣伝に変わっていたりするのだが、気になっているのはCMソングだった。
CMでは14秒という短い時間に合わせてサビの部分がうまくハマっていたのだけれど、非常にキャッチーなメロディーにもかかわらず、エンディングに向かうコード・チェンジが凝っていて、耳にこびりついてしまった。
この音楽に再び出会ったのは、歌舞伎町の入り口だった。
新宿にはよく買い物に出たりする。このところ、くだらないものを買うのが気に入っていて、西武新宿線新宿駅のあるPepeの8階の「キャンドゥ」という百円ショップをめざして行くことも多いのだけれど、ここへは東京メトロ丸の内線の新宿三丁目で降りて、靖国通りを渡って右手に歌舞伎長歓楽街を見ながらたどり着くという道順が気に入っている。
ちょうどPepeが見える直前の角に、大きなパチンコ屋がある。ここはJR新宿駅のホームから眺めると、看板に大きく「日拓」と書いてあって、確か昔はプロ野球のオーナーだったんじゃなかったかなとか、神田うのの嫁ぎ先でしょとか思い馳せるところなのだけれど、つい先週もこの前を通りかかると、店先のスピーカーから、例の音楽が流れていた。
しかもそれは、CMよりも長い、ちゃんと1コーラスあるもののようだった。それがまた、いたくカッコイイと思ったのだ。
そこで帰ってきてから、まず「SANKYO」でググってみると、すぐにこれが「創聖のアクエリオン」というキャラクターのパチンコ製品であることがわかり、今秋に上映されたアニメ映画と連動した企画であることが判明。
しかし、CMの情報はあるものの、音楽に関するクレジットがないので探していると、ようやくそれが判明。
なんと、菅野よう子だった・・・。
菅野よう子に関してはどこからたどり着いたのか。「カウボーイ・ビバップ」におけるワークがかなり印象に残っていて、2001年8月10日にSHIBUYA-AXで行なわれたライヴを幸運にも見ることができた。
彼女を「天才」と呼ぶ理由が、そのステージを見て少しわかったような気がした。
その後は「攻殻機動隊」のビデオを借りてきたりして、その音楽観を堪能している。
つまり、「創聖のアクエリオン」のCMを見たときから、ワタシは菅野よう子に呼ばれてしまっていた、ということになる。
彼女自身が「黄金の小手先」と呼ぶほど幅広いレパートリーをカバーするその才能は、ときにはキャッチーすぎると批判されることもあるだろうが、ベタなキャッチーさではこれだけ多様化したマーケットで反応させるには難しいだろう。
10数秒で聴いた人の琴線に触れる音楽的な構築が可能な才能が、この世の中にいくつ存在しているのだろうか。
もちろん、彼女がバックボーンとしているロックやフュージョンのエッセンスがあるからこそ、同じような音楽を好んで聴いてきたワタシの興味をいたく引いたということが大きいのだろう。
しかし、アニメやCMソングを多く手がける彼女の足跡を眺めただけでも、その“一般性”というものに対しては、尋常ではないレヴェルの高さが実証されているわけだ。
さて貴方はこの“一般性”をどう評価されるだろうか。
「創聖のアクエリオン」のCMサイトは⇒こちら
↑CM使用楽曲を聴くにはメニュー部分のSOUNDをONにすべし。
また、菅野よう子のルーツであるテツ100%のPVがあったので、興味のある方はごらんあれ⇒てつ100%「TOKYO TACO BLUES」
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クラブ・ジャズ入門を読んで
沖野修也『クラブ・ジャズ入門』を読み終わった。
とても読み応えのある内容だった。 クラブ・ジャズをクラブ・ジャズの側から解き明かし、そのポジションを明確にして、ジャズとの対立軸を明らかにする。 特に、時系列とヴァリエーションを軸にした分類は見事で、ほぼ明確にこれまでのクラブ・ジャズの足跡を類型化してくれている。 “ジャズとの対立軸を明らか”にすることによって、実はジャズというものがなんであったのかということをもっとも明らかにしている部分が、本書の最大の功績といっていいだろう。 沖野修也は「ジャズはミュージシャンが主体的に演奏する音楽で、譜面の再現を目的としない、不可逆性の高い音楽」と定義づけている。 ジャズは即興音楽、アドリブが最大の特徴、といったこれまで抽象的な言葉で語られることの多かったジャズの特徴を、端的にまとめて語っている。かっこいい言い方だ。さすがDJ、見事なエディットだ。 その一方で、自分が拠って立つクラブ・ジャズに関する炙り出しについては、論を待つというところかもしれない。 なによりそれを自身が感じているようで、記述がクラブ・ジャズの現況に触れるに従って、その苛立ちが伝わる文章が多くなり、それがクラブ・ジャズを愛しているがゆえであることが伝わってさえ、感情的な混乱を印象として残してしまったことが惜しまれる。 拠って立つところを解き明かすということは、すなわち「自分探し」でもある。ゆえにその姿勢は厳しくならざるを得ないし、厳しくない内容ではただのガイド、あるいは提灯持ちに過ぎないと見捨てられる。 志の高さがバランスを失わせることになったことを差し引いても、やはり彼が愛してやまないジャズ、そして導いていこうとするクラブ・ジャズへのリスペクトが溢れる、重い内容の本だと言える。 ⇒ブログ・ランキングにご協力ください!こちらをクリック
懐かしい音
季節の変わり目というのは、なんとなくノスタルジックになりがちだ。
そういう心の隙間をつくようにして、こういう音楽が耳に入ってくる。 懐かしいという感情は、もちろん個人によって差がある。生まれた年を基点に、その感情が増幅されるからだ。 ということは、誰もが懐かしいと感じる対象は、存在しないことになる。 しかし、最大公約数的なものが存在していることは確かだ。メディアの力は大きい。 そして、その懐かしさは、メディア自体の影響力の名残でもあったりする。 TVドラマが高視聴率を稼いでいたころ、夜な夜なディスコに集まっていたころ、あの映画の話題で学校や職場が持ちきりだったころ、などなど。 人は思い出に浸るときに、なにを求めているのだろうか。 目的や効果を期待したものではないのかもしれない。しかしそこには、現在では満たすことのできない充足感があることだけは、確かなのだが。 究極の90sJ─POP集
ジャズとかけて・・・
小朝師匠と泰葉さんの離婚会見が話題になりました。 最後に泰葉がなぞかけで「この会見とかけまして、泰葉とときます。その心は怖さ(小朝)知らず」と締めくくった。 時事ドットコムから引用 いやぁ〜、TBS系列「2時っチャオ!」でこの話題を見ていたら、この部分に「爆笑王が降りてきましたねぇ〜」と出演者たちが口をそろえて言ってましたが、まさに同感(笑)。 ちなみに爆笑王とは、彼女の父上である亡き林家三平師匠のことです。 ちなみのちなみに「こわさ知らず」というのは小朝師匠の著作のタイトル(中公文庫)でもあります。泰葉スゲェ・・・。 小朝師匠、こういう彼女に惚れてたんでしょうねぇ。才能に惚れるという具体例を、金屏風の前で見せられた気がしました。 横に並んだ弟たちは、かわいそうなのであえて触れません・・・。 そのあとに散歩がてら書店に寄ってみると、雑誌のなかに「落語特集」なる文字があるのを見つけました。たしか「サライ」だったかな。 ググってみたら23号(11月15日発売)ということです。これにオマケCDがついていて、その内容が柳家小三治『千早振る』『うどん屋』、三遊亭圓窓『寿限無』なんですね。 これを見たときに、なぜかジャズのことを連想したんですね。 ジャズもよく、こういう雑誌の特集に取り上げられたりします。そこで紹介されるのは、スタンダードと呼ばれる、古いジャズの名盤ばかり。 とても「現在進行形の音楽」とは思えないような紹介の仕方であることが多い。古典落語もスタンダード・ジャズも、どちらも芸術性という観点から見たら非の打ち所が無い、としてもです。 落語もジャズも、そのスタイルに対するイメージによって支持されている部分が大きいというのは、もちろん承知しているつもりです。 そして、一般紙がそれらを取り上げる場合、イメージ以上の実像を詮索する必要の無いことも・・・。 しかし、その積み重ねが、実像をどんどんスポイルしていくことも事実なのではないでしょうか。 だとすれば、もっと積極的に、実像を発信していかなければ、実像がイメージ倒れになるだけでなく、イメージ自体が使いまわされすぎてイメージ倒れになりかねません。 このことは、ジャズについて書いていこうと思っているワタシにとって、とてもよい刺激となってくれそうです。 ⇒ブログ・ランキングにご協力ください!こちらをクリック
ブログ用のエディタ顛末
ここんちのブログ、デザインなんかもいいし、使い勝手が悪くないので気に入っているんだけど、唯一タグを埋め込もうとすると、別のウィンドウからの操作になって、それだと全部、必要なタグを手作業で打ち込まなくちゃならなくなっちゃうんだよね。 posted with amazlet on 07.11.13 富沢 えいち
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ビ・バップの真髄を目の当たり!
土曜日、ある会合に参加しました。
まったく音楽に関係のない人たちの集まりだったのですが、その会場でレッド・ホロウェイのライヴを見ることができたのです。
場所は神奈川県・城ヶ島。白秋の「城ヶ島ブルース」で有名ですね。この記念碑が建っているすぐ隣に、宿泊施設があって、ここで半日をのんびり過ごしましょうというプランだったんですが、夕食後のひととき、楽器フェアで横浜に来ていたレッド・ホロウェイを招いて、1時間半ほどライヴをしてもらったというものなんです。
James "Red" Holloway -BIOGRAPHY-
1927年、アーカンソー州ヘレナ生まれ。
ピアノ奏者の母とバイオリン奏者の父をもち、5歳で母とともにシカゴに移る。
12歳の時、義父からテナーサックスを与えられる。
高校のビッグバンドではクラスメイトのジョニー・グリフィンとともに活躍。
高校在学中の16歳で、ジーン・ライト(後年デイブ・ブルーベック・カルテットの一員となる)に見込まれプロ入り。ジーン・ライトのビッグバンドに3年在籍。
19歳の時、軍隊に入り、米軍第5楽隊のバンドマスターとなる。除隊後、シカゴに戻りユセフ・ラティーフ、デクスター・ゴードンらとともに共演。
1948年、ブルースボーカリストのルーズベルト・スカイに誘われ、スカイのロードツアーに参加。ツアー時にレッドの噂を聞きつけたブルースのスターに次々と雇われる。ウィリー・ディクソン、ジュニア・パーカー、ボビー・ブランド、ロイド・プライス、ジョン・メイヨール、BBキングなど。
1950年代にはシカゴで有名プレイヤーと共演。ビリー・ホリデイ、ベン・ウェブスター、ソニー・ロリンズ、レッド・ロドニー、レスター・ヤング、マッディ・ウオーターズ、ジミー・ラッシング、アーサー・プリソック、ダコタステーション、エディー・ビンソン、ワーデル・グレイ、ジョー・ウィリアムズ、レッド・フォックス、アレサ・フランクリンなど。同時期にライオネル・ハンプトン、ソニースティット、メンフィス・スリム、レフティ・ベイツ、ダニー・オーバービーらとロードツアーに出る。
1960年代に入りオルガン奏者ジャック・マグダフバンドで注目を浴びる(バンドのギター奏者ジョージ・ベンソン)。1963年から66年までの間、全米、ヨーロッパのロードツアーで活躍。
この時期、ヒット曲「ロックキャンディ」なども含め、ジャック・マグダフとアルバムを数枚録音(プレステージ盤)。
1967年にロサンゼルスに移り、1969年には名門クラブ、パリジャンルームのハウスバンドコーディネーター兼メンバーになる。このハウスバンドは以降15年続き、ジャズ、ブルース界の一流プレイヤーを次々と雇うようになった。賃上げ交渉が却下された後にバンドを脱退。クラブはその後8ヶ月で閉鎖。
パリジャンルーム在籍中、ヨーロッパ、南米、日本ツアーのため時折休暇をとる。
77年から82年までレッドとソニー・スティットはデュオを組み、2枚のレコードを録音。フォーキャスト、パートナーズ-ソニーアンドレッド。
それまでにクラリネット、フルート、ピッコロ、ピアノ、ベース、ドラム、バイオリンをマスターしていたレッドに、アルトサックスも演奏するよう勧めたのはソニースティットである。
レッド・ホロウェイの映像
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いやぁ、80歳とは思えない、豪快かつ繊細なサックスを堪能させていただきました。
それにしても、エインターテイナーですね。客にこびる素振りは見せないのですが、ステージ進行やソロの組み立て、ソロ回しなどの演出という端々に、客を飽きさせない彼の気配りが感じられ、それだけで気持ちが良くなってしまいます。
バックのバンドメンたちを盛りたてるのも忘れず、「まず自分の演奏ありき」ではなく、「その空間をいかに気持ちよくさせるか」という、彼の培ってきたジャズ哲学が溢れているように感じました。
特に「セント・トーマス」と「ステラ・バイ・スターライト」は聴き応えあったなぁ。
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どうしたんだろうキースは・・・
キース・ジャレットの新作『マイ・フーリッシュ・ハート』を聴いた。トリオの名義になっている。
マイ・フーリッシュ・ハート posted with amazlet on 07.10.29 キース・ジャレット・トリオ UNIVERSAL CLASSICS(P)(M) (2007/10/03) 売り上げランキング: 501 まあ、ソロじゃないから、インプロヴィゼーションはかなり少ないだろうなという楽観的な予測はしていたけれど、聴いている最中から、「え、これがスタンダーズ?」と思ってしまうほど、意外なジャズがそこには展開されていた。 具体的には、まさかキース・ジャレットのラグタイム・ピアノが聴けるとは思ってなかったとかなのだけれど。 そう、要するに、めちゃめちゃ明るいのだ。スタンダーズ特有とも言うべき「内省的」すなわち「暗い」音の配列はほとんど姿を消して、引退したブルース・ピアノ弾きのジイチャンが、酒場の隅でニコニコしながら弾いている、というような音なのだ。 ちょっと言いすぎ(笑)。 でも、2枚組なのに、なんども聞いてしまえるほど、心にスッと入り込んでくる。それはやっぱり、明るさゆえだと思う。 特に2枚目がいい。
富澤えいちの不朽の名著『ジャズを読む事典』おすそ分けのご案内
一般リアル書店やアマゾン、楽天ブックスなどでも購入が可能ですが、このたび著者自ら自著を希望者にお譲りするシステムを作ってみました。
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もうマニアの時代は終わった・・・
やさしいジャズの入門書がほしい・・・
気負わずにジャズの奥深さを知りたい・・・
いま、ちまたにはジャズがあふれています。
インテリアに力を入れている居酒屋さんや、
女性にも人気のラーメン店などでは、ジャズがBGMの定番。
テレビのコマーシャルやニュース番組のバックに流れている音楽も、
その多くがジャズだったりしています。
そう、いまやジャズは生活の一部と言っても過言ではありませんね。
なのに、なんとなく気に入った曲を、自発的に聴こうと思っても、
どうすればいいのかわからないというのが実状です。
こんな症状の方に効果があるのが、この本なのです!
富澤えいち『ジャズを読む事典』では、ジャズの歴史から偉大な演奏者の紹介、そして現在進行形のシーンでなにが起きているかを理解するためのヒントが、広く易しく解き明かされています。
この一冊を読めば、漠然としたジャズのイメージが、ハッキリと輪郭を見せてくれるでしょう。あとはそこから自分の「お気に入り」を自分の力で見つけられるはずです。
□ 富澤えいち『ジャズを読む事典』(定価945円税込み)
いまなら900円!(税込み・送料無料)
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音楽における世界平和の難しさ
「ヴィットリオ広場のオーケストラ」というドキュメンタリー映画の試写会に行ってきた。
内容をチラシの紹介文から拾ってみよう。
「ローマ旧市街のヴィットリオ広場周辺は移民が多く、60以上の民族が暮らしている。急速に街が変化していくなか、イタリア指折りの古く美しい映画館“チネマ・アポロ”は閉館しようとしていた。
映画館の再生、そして多様な住民の相互理解のため、ピアノ弾きのマリオと映画監督アゴスティーノは立ち上がる。
映画館名から、人類の夢と実現という思いを込めて(月面初到達の)“アポロ11号”と名づけられたその計画には、ミュージシャン、知識人、俳優、あらゆるジャンルの芸術家たちが集まり、多国籍にして無国籍のオーケストラ結成を目指すことになる。」
この記録が始まったのは2001年ごろで、すでにこの旧市街では中国移民が多く流入し、イタリア経済に対して大きな影響を持つようになっていたため、排斥運動が顕在化していたらしい。
こうしたなかで、この旧市街を一掃し、中国系のみならずほかの移民を含めて追い出しを図ろうとした政策に対する反対運動が“アポロ11号”計画ということのようだ。
異民族を集めたオーケストラという構想は、この計画の象徴的な存在であり、また、活動資金を集める手段としても機能するはずだった。
ところが、風俗習慣がまったく異なった人間が集まっただけで、簡単に調和の取れた音楽を作ることは難しいことが、改めて実証される結果となった。
そもそも音楽は“イディオム”と解釈されるように、言語に等しい文化的な背景を持つものだ。
バベルの塔さながらに、シンパシーを共有するコミュニティのなかでのみ通用する“暗号”を多く秘めたこのコミュニケーション手段は、ある意味で言語よりも排他的な面を持っている。
だから、この映画においても、ヴィットリオ広場のオーケストラが継続して(現在も)活動を続けていることを必ずしも“成功”と呼べないと私が思うように、音楽的な成果をあげた記録では決してないと言えるだろう。
では、なにを見ればいいのか。
私が興味を持ったのは、ローマという古代から続く大都市に厳然として存在する異民族の流入経路。
“すべての道はローマに通ず”はいまだに生きていることに驚くとともに、このシステムこそが近世ヨーロッパにおける西洋音楽を作り出す源になっていたことを思い起こさせてくれる、実証理論を示した記録であるという点だ。
結果的に、政治的な方法論であった“アポロ11号”計画は、イタリア先住者たちの共感を得られずに空中分解したようだが、理念を押し殺して“音楽”という無害の(そして商業的な)マテリアルで構築された関係は、残った。
20世紀における商業音楽の発展と、各種異民族間の音楽要素の融合は、こうした商業的な枠組みに特化したことによってのみ成立したということが、この映像から確かに伝わってくる。
この映画は、いちばん安易だと思われていた音楽のジャンルにおいてこそ、最も世界平和の実現が難しいことを教えてくれる、とても興味深いテキストだと言える。
映画「ヴィットリオ広場のオーケストラ」公式サイトはこちら
http://vittorio-hiroba.com/
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