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2020年09月14日

大草城 〜織田有楽が縄張りするが廃城に・知多市〜

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◆所在:
知多市大草東屋敷

◆歴史:
織田信長の配下である大野城主の佐治信方が長島一向一揆で戦死すると、信長は後継ぎの佐治一成が幼少であるため、弟の長益(後の有楽斉)に与えた。





大野城は小高い山の山頂に作られた昔ながらの山城であり、交通や水利の便が悪いため、長益は近隣の大草の地に新たに城を築き始めたが、本能寺の変で信長が討たれ、後の小牧長久手で豊臣秀吉に付いた長益は摂津に所領を与えられたため、築城途中で大草城は廃城となった。





◆現在:
大草城は縄張りを終えた後に廃城となったが、徳川幕府下では尾張藩の重臣山澄英龍が城の南西に居館を構え、有事の際に使えるように整備していたと思われ、現在でも主要部分と周囲の堀はほぼ完全な形で残されている。



2020年09月07日

寺本城 〜伊勢湾を望む蒼き輝き・知多市〜

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◆別名:
堀之内城  ・ 青鱗城

◆所在:
知多市八幡堀之内





◆歴史:
花井播磨の城と言われている。
花井氏は守護職の土岐氏に仕えた氏族で、守護代として吉川城に入り、その後木田城へ移ったが、花井惣五郎の代には寺本城を本拠としていた。城跡にある津島神社は嘉吉3年(1443年)の花井信忠が建立したとあるので、室町中期にはこの地域が花井氏の勢力下にあり、以降100年以上は支配が続いていた物と推測される。





戦国時代は織田氏に従っていたが、織田信秀が死去すると、三河を手中に収めた今川氏の手が知多半島にも伸び、寺本城の花井氏も今川方へ寝返った。鳴海城から大高城、寺本城のラインを今川方に抑えられ、緒川城への連絡を絶たれた織田信長は、今川方が緒川城攻略のための足場として築いた村木砦を落とすべく、木田城へ兵を集結させ、寺本城の支城である藪城と寺本城の前を堂々と通過し、佐布里城の近辺から、一気に村木砦へと進軍してこれを落とす事に成功した。

村木砦を落とした織田軍は、帰路に今川方に寝返った寺本城と藪城を攻撃し、花井氏は降伏して再度信長の配下となった。





◆現在:
小高い山の上に南北50m、東西5m程度の細長い削平地があり、削平地の南端に津島神社がある。
北端にはくぼみがあり、水を貯めておく池(井戸?)を埋めた跡だと思われる。
現在は丘の南側からしか登る事ができず、登り口は堀之内と言う地名になっている。



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