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2020年09月20日

常滑城 〜水野氏の一族・常滑市〜

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◆所在:
常滑市市場町5丁目

◆歴史:
緒川城主水野忠政の曾祖父である水野貞守の次男である政祖(まさとも)が分家をして常滑の地へ移り、常滑城を築いたのが始まりとされる。













本家の緒川水野氏を水野信元が継ぐと、信元は織田信長と結び、知多制圧に乗り出した。
常滑水野氏は常滑北部にある大野城の佐治氏と争いながらも、常滑南部だけではなく半田市板山あたりまで勢力を拡大していたが、常滑三代目城主の水野守隆は知多半島中南部まで勢力を伸ばしてきた信元の娘を娶り、一族として本家の知多制圧に力を貸す事になる。

◆現在:
正法寺に隣接する公園に看板と常滑城址の碑が立ち、そこから約150m程南東の道路脇にも同様に城址の碑が立っている。
碑からさらに300m南東にある天澤院は水野氏の菩提寺で、一族の墓が残されている。













2020年09月17日

苅谷城 〜波にさらわれ海中に没す・常滑市〜

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◆所在:
常滑市苅屋町4

◆歴史:
室町時代に鵜飼福元が築いたとされる。













その後、長尾城の岩田氏が勢力を伸ばして苅屋城を支配下におさめたが、緒川城の水野信元の知多半島統一時に岩田氏は滅ぼされ、苅屋城は信元配下で水軍を率いる宮崎久左衛門の城となり、最終的には常滑城の水野氏の支配地となったと言われている。

◆現在:
城があった当時は海に突き出た土地に城が建てられていたが、現在は浸食によって大部分が海中に没しているとされ、城跡から400m程北東にある安楽寺の正面からは苅屋城を一望できたと言われている。











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