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2014年05月09日
湧別原野
湧別原野 ・ ・ ・ 湧別、上湧別、遠軽、丸瀬布、生田原、白滝は昔1つの村でした。
1869年 明治2年 藩籍奉還 開拓使設置 北海道と称し(8月15日)11国86郡に分ける 北見国 紋別郡の地名始まる
1872年 明治5年 ユウベツ村 生まれる
1880年 明治13年 区町村会法制定 湧別村役場開設
1889年 明治22年 6月19日より空知集治監の収監者が従事し、旭川〜湧別間の仮道路開削が始まる。(約60日間)
1890年 明治23年 釧路集治監、中央道路開削のため網走囚徒他役所建設に着手する。
1891年 明治24年 湧別原野区画測定 屯田兵第1期湧別村入地
中央道路網走〜上越間着工〜中央道路開通 殉職者:収監者238名、看守6名
1892年 明治25年 基線道路中央道路に連結完成
1893年 明治26年 道庁職員瞰望岩頂上に「双龍獄」の柱を建立
1898年 明治31年 屯田兵第2期湧別村入地
1901年 明治34年 金山橋鉱山試験掘許可
1902年 明治35年 金山橋付近で黄銅鉱の試験掘
1903年 明治36年 屯田兵現役解除
1906年 明治39年 湧別村北海道2級町村制施行
1910年 明治43年 湧別村より上湧別が分村し、下湧別村、上湧別村となる 役場を屯田市街地に設置
瞰望岩頂上に開村記念碑建立
1912年 大正元年 鉱脈探鉱中に鉱泉泉源を発見(安国鉱泉)
1914年 大正3年 寒河江鉱泉を発見
1916年 大正5年 開拓25周年、瞰望岩頂上に開拓記念碑建立
生田原八重の牧場で金塊を発見
イナウシで北見鉱山(通称浜本鉱山)試掘開始
1917年 大正6年 北ノ王鉱山発見
金山で三菱北湧鉱山、操業開始
1918年 大正7年 「北ノ王鉱山株式会社」設立
1919年 大正8年 8月上湧別村から遠軽村分村
1924年 大正13年 生田原鉱山(八重)で生田原金山組合が組織され採鉱着手
1925年 大正14年 遠軽村から生田原村分村
1926年 大正15年昭和元年 昭和鉱山の露頭発見
1931年 昭和6年 北ノ王鉱山で金の精錬開始
1934年 昭和9年 町制施行により遠軽町と改称
1935年 昭和10年 生田原銅山発見
1937年 昭和12年 日本鉱業が生田原鉱山を買収し本格操業開始
帝国産金鉱業(株)が北ノ王鉱山を買収、青化精練所新設(日産300tを処理)
1942年 昭和17年 5月26日 湧別ポンド浜で機雷爆発
1946年 昭和21年 8月1日 遠軽町から丸瀬布村、白滝村分村
1948年 昭和23年 鴻ノ舞第2採鉱課分離、伊奈牛鉱山となる。
1950年 昭和25年 湧別村の一部を佐呂間村に移管
伊奈牛鉱山昇格、北見鉱業所となる。
1953年 昭和28年 町制施行により湧別町、上湧別町、丸瀬布町と改称
1954年 昭和29年 町制施行により生田原町と改称
1955年 昭和30年 北見鉱業所操業変更。探鉱保坑鉱とし、北見鉱山となる。
石器時代の白滝遺跡が上白滝河岸段丘の一部で初めて発掘された
1959年 昭和34年 寒河江遺跡発掘調査
北見鉱山操業再開
1963年 昭和38年 住友北見鉱山閉鎖
1971年 昭和46年 金山でカドミウム公害問題化
2005年 平成17年 10月1日 遠軽町・生田原町・丸瀬布町・白滝村合併、新町名は遠軽町
2009年 10月5日湧別町・上湧別町合併、新町名は湧別町