最近、お気に入りの本を二冊借りて図書館を出る。自販機で買ったコーヒーを飲みながら、道行く人たちを眺めた。街灯の下、コートの襟を立て急ぎ足で行き交う人の流れ。タバコの吸殻を投げ捨てるサラリーマン。そこらじゅうにタンを吐く老人。ベンチにいる僕の存在を気づかない。誰もが帰宅を急ぐ。
缶をゴミ箱に捨てると、夜の道を歩く。から松の葉をぬけて、誰が捨てたかわからない粗大ごみの横を通って、夜でもカラスが煩く鳴いている。家の前に着いたとき、空を見上げた。空はどんよりとした雲に覆われ星ひとつない。また雨が降るんだろうな。
正月の初め、明治神宮から表参道の交差点に向かったところで、僕は占い師に手相をみてもらったことがある。占いで毎日の行動を変える友人の強い要望があって、一緒に行こうと誘われていたのだ。
占い師は僕の左手を両手でつかんで「あなたの身に、よくないものがとり憑いているようにみえます。くれぐれも注意なさってください」そう、占い師は言った。
何より大切なのは、他者を思いやる心である。占い師だからといって、唐突にそんなことを言って許されるのだろうか。お金を払って不吉なことを言われて、まいったな、と思いながら、いつしか僕の心は深く暗い海の底に沈んでいった。
僕は宗教とか占いとか信じないけれど、それでも気持ち悪くて、その夜は寝つけなかった。ふと、目を覚ましてはトイレに行き、そして水を飲んだ。ふとんの中でバイクの音が聞こえ、新聞屋の気配を感じた。
占い師の予言を忘れていたころ、友人のまわりで不思議なことが起きた。その日は仕事が休みで本を読んでいた。窓の光が弱くなったので、柱の時計を見ると午後4時。あ、いけね。カレーライスを作っておくと約束したんだ。玉葱は3個にしようかな。じゃがいもは別の鍋で茹でよう。2個の玉葱を切り終えて、3個の玉葱を切ろうとしたときに電話が鳴った。僕は台所で手を洗って居間の受話器をとった。
「あ、オレ。今日さ、ランドリーの帰りに乳母車を押したおばあちゃんに会ったんだけど」
藤木だった。唐突で話がのみ込めない。「うん、それで」と僕は先を急がせた。
「それがさ、乳母車を押したおばあちゃんと、数百メートル先の場所で、もう一度会ったんだよ。バイクと同じ速さで移動したことになるけど。不思議だよね」
意味がよく解らない。
「それって、よく似た人がふたりいたということ?」
僕はまな板の玉葱を早く切りたい衝動にかられる。
「そういうと思ったよ。でも同じおばあちゃんだよ。自分の方に2回とも振り向いて、そのとき、ちゃんと顔を確認してるからね」
「マジで。だって藤木君バイクに乗ってたんでしょ。そしたら乳母車を押して歩くおばあちゃんの方が遅いじゃん」
「うん。だから不思議だなぁって」
「あり得ないよ。よく似た人がいたんじゃないかな」
「まったく話にならないや。そんなことを言っていると、怖い経験をするかもよ。自分には関係ないけどね」
「あっ、そ、じゃあね」
なんだか僕はバカバカしくなって電話を切った。
台所に戻り玉葱を切って、人参と豚肉と玉葱を鍋で炒め、それから水を入れた。まったく藤木め。話にならないのは君の方だろ。同じ人がふたりいるわけないじゃん。それとも双子か。どうしても同じ人だというなら、それはドッペルゲンガー。それは霊。彼は霊感が強いと言っていたから幽霊をみたのか。いやだな。
カレーができたころは、窓の外は真っ暗になっていた。日が暮れると、辺りはすぐに闇につつまれる。風があるようで樹の葉が揺れている。たったひとつの外灯に映った葉の影がうごめく。
遠くから猫の声が聞こえた。きっと捨てられたシャム猫だ。シャム猫がアパートの空き地を散歩しているのを見かけたことがある。鳴き声は風とともに反響し、複数の猫が鳴いているように聞こえた。
缶をゴミ箱に捨てると、夜の道を歩く。から松の葉をぬけて、誰が捨てたかわからない粗大ごみの横を通って、夜でもカラスが煩く鳴いている。家の前に着いたとき、空を見上げた。空はどんよりとした雲に覆われ星ひとつない。また雨が降るんだろうな。
正月の初め、明治神宮から表参道の交差点に向かったところで、僕は占い師に手相をみてもらったことがある。占いで毎日の行動を変える友人の強い要望があって、一緒に行こうと誘われていたのだ。
占い師は僕の左手を両手でつかんで「あなたの身に、よくないものがとり憑いているようにみえます。くれぐれも注意なさってください」そう、占い師は言った。
何より大切なのは、他者を思いやる心である。占い師だからといって、唐突にそんなことを言って許されるのだろうか。お金を払って不吉なことを言われて、まいったな、と思いながら、いつしか僕の心は深く暗い海の底に沈んでいった。
僕は宗教とか占いとか信じないけれど、それでも気持ち悪くて、その夜は寝つけなかった。ふと、目を覚ましてはトイレに行き、そして水を飲んだ。ふとんの中でバイクの音が聞こえ、新聞屋の気配を感じた。
占い師の予言を忘れていたころ、友人のまわりで不思議なことが起きた。その日は仕事が休みで本を読んでいた。窓の光が弱くなったので、柱の時計を見ると午後4時。あ、いけね。カレーライスを作っておくと約束したんだ。玉葱は3個にしようかな。じゃがいもは別の鍋で茹でよう。2個の玉葱を切り終えて、3個の玉葱を切ろうとしたときに電話が鳴った。僕は台所で手を洗って居間の受話器をとった。
「あ、オレ。今日さ、ランドリーの帰りに乳母車を押したおばあちゃんに会ったんだけど」
藤木だった。唐突で話がのみ込めない。「うん、それで」と僕は先を急がせた。
「それがさ、乳母車を押したおばあちゃんと、数百メートル先の場所で、もう一度会ったんだよ。バイクと同じ速さで移動したことになるけど。不思議だよね」
意味がよく解らない。
「それって、よく似た人がふたりいたということ?」
僕はまな板の玉葱を早く切りたい衝動にかられる。
「そういうと思ったよ。でも同じおばあちゃんだよ。自分の方に2回とも振り向いて、そのとき、ちゃんと顔を確認してるからね」
「マジで。だって藤木君バイクに乗ってたんでしょ。そしたら乳母車を押して歩くおばあちゃんの方が遅いじゃん」
「うん。だから不思議だなぁって」
「あり得ないよ。よく似た人がいたんじゃないかな」
「まったく話にならないや。そんなことを言っていると、怖い経験をするかもよ。自分には関係ないけどね」
「あっ、そ、じゃあね」
なんだか僕はバカバカしくなって電話を切った。
台所に戻り玉葱を切って、人参と豚肉と玉葱を鍋で炒め、それから水を入れた。まったく藤木め。話にならないのは君の方だろ。同じ人がふたりいるわけないじゃん。それとも双子か。どうしても同じ人だというなら、それはドッペルゲンガー。それは霊。彼は霊感が強いと言っていたから幽霊をみたのか。いやだな。
カレーができたころは、窓の外は真っ暗になっていた。日が暮れると、辺りはすぐに闇につつまれる。風があるようで樹の葉が揺れている。たったひとつの外灯に映った葉の影がうごめく。
遠くから猫の声が聞こえた。きっと捨てられたシャム猫だ。シャム猫がアパートの空き地を散歩しているのを見かけたことがある。鳴き声は風とともに反響し、複数の猫が鳴いているように聞こえた。
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