2017年04月07日
赤木しげる
「押忍!番長3」をホールで見てみましたが面白そうですね。危ない危ない(;´・ω・)
24、5歳の頃、友達に漫画の「カイジ」を勧められました。
当時の私は「カイジ」を書いている福本伸行さんの絵が嫌いであまり乗る気はしなかったんですが、友達が絶賛していたので渋々ですが読んでみることにしました。
この「カイジ」という漫画は簡単に言ってしまうとギャンブル漫画で、当時バリバリにスロットを打っていた私は、ギャンブルでの心理状態を見事に描いたこの作品にドンドン引き込まれていきました。
そうなると不思議なもので、嫌いだった絵がとても格好良く見えてきて、私は「カイジ」以外の作品も見るようになりました。
「天」「銀と金」「アカギ」・・・等々(あっ黒沢読んでない)
そして福本作品を読んだ人なら、多くの人が「天」と「アカギ」に登場する「赤木しげる」という男に魅了されたのではないでしょうか?
「天」と「アカギ」は麻雀漫画で、麻雀を打つ人の心理状態の描き方が面白いのですが、それ以上に赤木しげるの死に方に当時の私は自分が描いていた理想の死に方と重なり、何か嬉しくなったのを覚えています。
簡単に言えば赤木しげるはアルツハイマーに罹り、自分の意識があるうちに会いたい人と会話をして自殺します。
そして赤木しげるの名言の数々。
中でも私の心に突き刺さったのは、「もう漕ぎ出そういわゆる『まとも』から放たれた人生に」という言葉でした。
「ひろゆき」という男が天とアカギの麻雀を見て、「自分はこの世界では生きられない」と感じ、会社員として生活していたのですが、実はその生活には満足しておらず、心はずっと停滞して生きていました。
そんなひろゆきに赤木は、別に失敗しても自分が満足する生き方ならいいじゃないかと言います。
しかしひろゆきは、失敗が予想される人生なんていいはずがない、それならそんな道は選ばずまだ『まとも』な人生を歩んだ方がいいと言います。
ここで赤木
「お前はその『まとも』『正常であろう』っていう価値観と自分の本心の板挟みに苦しんでいる」
「正しい人間、正しい人生なんて元々ありはしないのに、時代時代で必ず現れ俺たちを惑わす」
「一種の集団催眠、まやかし、そんなものに振り回されちゃいけない、そんなものと勝負しなくていい」
「そういう意味ではダメ人間になっていい」
「成功を目指すなといっているんじゃない、その成否に囚われ、思い煩い止まってしまうこと、熱を失ってしまうこと、これがまずい、こっちの方が問題だ」
「いいじゃないか三流で。熱い三流なら上等よ」
当時の私はこの言葉に何か人生の本質みたいなものを感じました。
この後赤木は死に、ひろゆきは世間では『まとも』とは言われない「雀ゴロもどき」として生きていきます。
あれから約15年。私は言うと・・・まだ『まとも』から抜け出せずにいます。
今の仕事が好きとかではなく、障害者関係の仕事をしていると言えば周囲から認められるという理由が一番です。
別に障害者の人が嫌いではないですし、障害を抱えながら頑張って仕事をしようとしている姿は綺麗ごとでもなく尊敬しています。
でも私の心は特別熱くもなく、仕事を終えた後の充実感はあれども、人生においての満足感はありません。
私は自分の心に語りかけます、一体何がしたいのか、どう生きたいのか。
答えはストレスに頭を抱えながら生きるのではなく、のんびりと日本中を歩いて回りたい、それは名所とかではなく、そこにあるただの風景を見ながら歩き回りたい、そんなところです。
普通に考えればそれは仕事をしながらやればいいと言われるでしょうが、心のどこかに「会社に行って仕事をしないといけない」という気持ちがある限り100%楽しめないし、どこに行っても虚しいだけなんですよね。
綺麗な風景を見ていても、明日は仕事だ・・・みたいな。
私の考え方は世間では甘えている、怠けていると言われるのは百も承知ですが、本心なんだから仕方がない。
世間の『まとも』な生き方が苦しい私は、数%でもいいので赤木しげるのような生き方をしたいと思っています。
この記事って著作権的に大丈夫かしら(・_・;)
24、5歳の頃、友達に漫画の「カイジ」を勧められました。
当時の私は「カイジ」を書いている福本伸行さんの絵が嫌いであまり乗る気はしなかったんですが、友達が絶賛していたので渋々ですが読んでみることにしました。
この「カイジ」という漫画は簡単に言ってしまうとギャンブル漫画で、当時バリバリにスロットを打っていた私は、ギャンブルでの心理状態を見事に描いたこの作品にドンドン引き込まれていきました。
そうなると不思議なもので、嫌いだった絵がとても格好良く見えてきて、私は「カイジ」以外の作品も見るようになりました。
「天」「銀と金」「アカギ」・・・等々(あっ黒沢読んでない)
そして福本作品を読んだ人なら、多くの人が「天」と「アカギ」に登場する「赤木しげる」という男に魅了されたのではないでしょうか?
「天」と「アカギ」は麻雀漫画で、麻雀を打つ人の心理状態の描き方が面白いのですが、それ以上に赤木しげるの死に方に当時の私は自分が描いていた理想の死に方と重なり、何か嬉しくなったのを覚えています。
簡単に言えば赤木しげるはアルツハイマーに罹り、自分の意識があるうちに会いたい人と会話をして自殺します。
そして赤木しげるの名言の数々。
中でも私の心に突き刺さったのは、「もう漕ぎ出そういわゆる『まとも』から放たれた人生に」という言葉でした。
「ひろゆき」という男が天とアカギの麻雀を見て、「自分はこの世界では生きられない」と感じ、会社員として生活していたのですが、実はその生活には満足しておらず、心はずっと停滞して生きていました。
そんなひろゆきに赤木は、別に失敗しても自分が満足する生き方ならいいじゃないかと言います。
しかしひろゆきは、失敗が予想される人生なんていいはずがない、それならそんな道は選ばずまだ『まとも』な人生を歩んだ方がいいと言います。
ここで赤木
「お前はその『まとも』『正常であろう』っていう価値観と自分の本心の板挟みに苦しんでいる」
「正しい人間、正しい人生なんて元々ありはしないのに、時代時代で必ず現れ俺たちを惑わす」
「一種の集団催眠、まやかし、そんなものに振り回されちゃいけない、そんなものと勝負しなくていい」
「そういう意味ではダメ人間になっていい」
「成功を目指すなといっているんじゃない、その成否に囚われ、思い煩い止まってしまうこと、熱を失ってしまうこと、これがまずい、こっちの方が問題だ」
「いいじゃないか三流で。熱い三流なら上等よ」
当時の私はこの言葉に何か人生の本質みたいなものを感じました。
この後赤木は死に、ひろゆきは世間では『まとも』とは言われない「雀ゴロもどき」として生きていきます。
あれから約15年。私は言うと・・・まだ『まとも』から抜け出せずにいます。
今の仕事が好きとかではなく、障害者関係の仕事をしていると言えば周囲から認められるという理由が一番です。
別に障害者の人が嫌いではないですし、障害を抱えながら頑張って仕事をしようとしている姿は綺麗ごとでもなく尊敬しています。
でも私の心は特別熱くもなく、仕事を終えた後の充実感はあれども、人生においての満足感はありません。
私は自分の心に語りかけます、一体何がしたいのか、どう生きたいのか。
答えはストレスに頭を抱えながら生きるのではなく、のんびりと日本中を歩いて回りたい、それは名所とかではなく、そこにあるただの風景を見ながら歩き回りたい、そんなところです。
普通に考えればそれは仕事をしながらやればいいと言われるでしょうが、心のどこかに「会社に行って仕事をしないといけない」という気持ちがある限り100%楽しめないし、どこに行っても虚しいだけなんですよね。
綺麗な風景を見ていても、明日は仕事だ・・・みたいな。
私の考え方は世間では甘えている、怠けていると言われるのは百も承知ですが、本心なんだから仕方がない。
世間の『まとも』な生き方が苦しい私は、数%でもいいので赤木しげるのような生き方をしたいと思っています。
この記事って著作権的に大丈夫かしら(・_・;)
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