2020年03月28日
命というもの。
エックスサーバービジネス
もし、自分が余命を言われたらどう感じますか??
もし、大切な人の余命を聞いたらどうかんじますか??
途方にくれますよね。
お先真っ暗で聞こえない、見えない、感じない。
あるのはポカンと空いた心だけ。
私もありました。
余命宣告。
33歳のとき、あと長くて半年かな?ってね。クリスマスイブに
それこそ、「何て日だ!!」って感じましたよ。
今は予防のお陰で延命してますが、
いつまた悪化してもおかしくはない体になってしまいました。
その当時は、もういいや!!治療せずこのまま逝こう!!ってね。
治療費も高いし、おばが癌で亡くなってる。お母さんも毎日看病に行ってたから知ってる。癌と向き合うと、色んなことを知る。
今日はおかあさんとおばのはなしをします。
お母さんとおばは父親が違う姉妹です。
お母さんが幼い頃からいじめにあってました。
お母さんのお父さんはお酒を飲むと暴力振るう人。おばあちゃんは一回日本刀で頭を怪我したことがあるというぐらい手がつけられなく、よく家出をしていたそうなんです。
お姉さんを連れて。お母さんの兄弟は三人いて、そのお姉さんお父さんが一緒のお兄さんそしてお母さん。
お兄さんもそれから逃げるように近所や親戚の家に遊びに行ってたそうなんです。
だからお母さん一人。たまに昔の話を聞いてるときには、お腹すいてたとき何を食べてたんだろうと言ってました。おじいさんも中々帰ってこないので、ご飯もあるかないかの状態。
何かを食べてたんだろうねとしか思い出せないらしい。たまにおばあちゃん達が帰ってきてもおばさんに苛められる始末。
なので、おばさんが癌になったとき、正直ざまあ見ろ!!と思ったそうなんです。
これであのときの復讐ができると。
お母さんが死にかけたときがあって、月経が止まらず血の量が生きていくのに足りない状況になったとき、そのおばさんはこきつかったり、いじめたりして本当に危なかったそうなんです。
それをこれから味わってもらうという気持ちで毎日看病に行ってました。
死にかけるときの気持ちを思い存分味わってもらいたい!!あのときどんなに辛かったか生きてるときに味わえという気持ちを私たちに伝えてました。
あなたは私に虐待してたのになぁーと思ってましたがねこのときはお母さんが嫌いでしょうがなかったでしたし(笑)
毎日仕事が終われば、病院に通っては看病。食べたい物があるときは作ってもっていったり、抗がん剤使えば髪の毛が無くなるので髪をきってあげたり、体が痛いときはさすったり、本当に復讐があるのか??と思うぐらいよく看病をしてました。
なので、家を空けてること多くてひいおばあさんの介護とおばさんの看病を合わせても私はお母さんと一緒にいる時間は本当に少なかった。子どもの頃一緒にいた時間は二年間ぐらいでしょうか??
あまり記憶はありません。でも頑張ってるのでわがままは言えません。
いつの間にかお母さんは普通の看病をしてました。心配もしてましたし、毎日3年間通ってたので。弟は母親が恋しいので一緒に病院に行ってました。あとカツ丼が食べれたので(笑)
私は塾に通ってたので行くことはありません。塾が終われば三人か二人の晩御飯。おばあちゃんとは毎日たべてましたし、お父さんは参勤交代なので、いるときといないときがありました。
今もそうですが一人でいるときが落ち着きます。大勢は本当に苦手になりました。
そんなあるときおばさんが謝ってきたそうなんです。
「今まで本当にごめんね。いじめたりして。」と。
その言葉をお母さんは待ってたそうなんです。それからというもの復讐が終わりました。
おばさんもまたお母さんが生まれてからは、父さんにいじめをあっててお母さんが生まれなければこんなことならなかったという気持ちがあったそうなんです。
ちは繋がってないが父親に愛されたくてした行為。
でも酒乱でおばあちゃんとおばさんはいつも暴力振るわれて守るために家出を繰り返す。
何でも買ってくれてる母を見て高校へいかせてくれなかったおばさんは羨ましく思った嫉妬からのいじめ。
なぜ自分だけがこんな目に合わないといけないのか??すべては私の母親が悪いと感じてたそうなんです。
癌になり後は、余命宣告されてるその生きてる時間にきちんと謝らないとと思わされたそうなんです。
あんなにいじめたのに毎日看病に来てくれてる母を見て。
お母さんも死にかけたことがあったから、その辛さ苦しさを知ってる。だから看病に来てるんだとおばさんに言ってました。
二人でとりあえず命あるかぎり今までのことをやりなおし、本当の姉妹がするようなことを病院でしていたそうなんです。
抗がん剤も打っては吐く。
食欲もない。しかしお母さんが作った
魚の南蛮漬けは食べてたそうで、
それを毎日食べてました。
私もその魚の南蛮漬けは大好きです
癌と気がついたときはLEVEL5だったのでおばさんも覚悟はしてたそうです。
しかしまだ生きていれるならば子どももまだ小学生なので大人になるまで育てたいで治療を続けたそうなんです。
新薬をつかいやっても効果はない。
色んな人体実験をしてたみたいです。
これでもないあれでもないと。
今みたい癌は助かるものとしてというより、不治の病だったんです。
半年だったのが、3年たちおばさんはこの世を去りました。
お葬式のときのおばさんの顔色は緑でした。
薬の使いすぎだったんでしょう。
間近でお母さんは癌に向き合い支えてた。
そして今度は自分の娘が癌。
私なんですけどね
知ってるからこそレベル4と言われたときは
看病から開放させたいと言う気持ちしかなかった。
ひいおばあさんから(介護)、
おばさん(看病)、
そしておばあさん(介護)
そして、私。(看病)
母さんの人生は人を看病だけで
終わらせたくない。
自分の人生を歩んでほしい。
それなのに私はなにしてんだ!!って感じですがね
命というものは有限です。粗末に扱うものではないんです。
だからこそ予防や健康維持をして今を楽しむ!!
今はどうなくても、手をさわれば解ります。
私より冷たい。からだが冷えてる証拠!!
病気の元を出来るだけ今のうちになくすこと。
体温をあげて、少しでもながく人生を楽しむ!!
とりあえず言います!!
私たちは生きてるんです!!
この時間生きてるんです。
どうせと思わず少しもがくことしてみませんか??
もし、自分が余命を言われたらどう感じますか??
もし、大切な人の余命を聞いたらどうかんじますか??
途方にくれますよね。
お先真っ暗で聞こえない、見えない、感じない。
あるのはポカンと空いた心だけ。
私もありました。
余命宣告。
33歳のとき、あと長くて半年かな?ってね。クリスマスイブに
それこそ、「何て日だ!!」って感じましたよ。
今は予防のお陰で延命してますが、
いつまた悪化してもおかしくはない体になってしまいました。
その当時は、もういいや!!治療せずこのまま逝こう!!ってね。
治療費も高いし、おばが癌で亡くなってる。お母さんも毎日看病に行ってたから知ってる。癌と向き合うと、色んなことを知る。
今日はおかあさんとおばのはなしをします。
お母さんとおばは父親が違う姉妹です。
お母さんが幼い頃からいじめにあってました。
お母さんのお父さんはお酒を飲むと暴力振るう人。おばあちゃんは一回日本刀で頭を怪我したことがあるというぐらい手がつけられなく、よく家出をしていたそうなんです。
お姉さんを連れて。お母さんの兄弟は三人いて、そのお姉さんお父さんが一緒のお兄さんそしてお母さん。
お兄さんもそれから逃げるように近所や親戚の家に遊びに行ってたそうなんです。
だからお母さん一人。たまに昔の話を聞いてるときには、お腹すいてたとき何を食べてたんだろうと言ってました。おじいさんも中々帰ってこないので、ご飯もあるかないかの状態。
何かを食べてたんだろうねとしか思い出せないらしい。たまにおばあちゃん達が帰ってきてもおばさんに苛められる始末。
なので、おばさんが癌になったとき、正直ざまあ見ろ!!と思ったそうなんです。
これであのときの復讐ができると。
お母さんが死にかけたときがあって、月経が止まらず血の量が生きていくのに足りない状況になったとき、そのおばさんはこきつかったり、いじめたりして本当に危なかったそうなんです。
それをこれから味わってもらうという気持ちで毎日看病に行ってました。
死にかけるときの気持ちを思い存分味わってもらいたい!!あのときどんなに辛かったか生きてるときに味わえという気持ちを私たちに伝えてました。
あなたは私に虐待してたのになぁーと思ってましたがねこのときはお母さんが嫌いでしょうがなかったでしたし(笑)
毎日仕事が終われば、病院に通っては看病。食べたい物があるときは作ってもっていったり、抗がん剤使えば髪の毛が無くなるので髪をきってあげたり、体が痛いときはさすったり、本当に復讐があるのか??と思うぐらいよく看病をしてました。
なので、家を空けてること多くてひいおばあさんの介護とおばさんの看病を合わせても私はお母さんと一緒にいる時間は本当に少なかった。子どもの頃一緒にいた時間は二年間ぐらいでしょうか??
あまり記憶はありません。でも頑張ってるのでわがままは言えません。
いつの間にかお母さんは普通の看病をしてました。心配もしてましたし、毎日3年間通ってたので。弟は母親が恋しいので一緒に病院に行ってました。あとカツ丼が食べれたので(笑)
私は塾に通ってたので行くことはありません。塾が終われば三人か二人の晩御飯。おばあちゃんとは毎日たべてましたし、お父さんは参勤交代なので、いるときといないときがありました。
今もそうですが一人でいるときが落ち着きます。大勢は本当に苦手になりました。
そんなあるときおばさんが謝ってきたそうなんです。
「今まで本当にごめんね。いじめたりして。」と。
その言葉をお母さんは待ってたそうなんです。それからというもの復讐が終わりました。
おばさんもまたお母さんが生まれてからは、父さんにいじめをあっててお母さんが生まれなければこんなことならなかったという気持ちがあったそうなんです。
ちは繋がってないが父親に愛されたくてした行為。
でも酒乱でおばあちゃんとおばさんはいつも暴力振るわれて守るために家出を繰り返す。
何でも買ってくれてる母を見て高校へいかせてくれなかったおばさんは羨ましく思った嫉妬からのいじめ。
なぜ自分だけがこんな目に合わないといけないのか??すべては私の母親が悪いと感じてたそうなんです。
癌になり後は、余命宣告されてるその生きてる時間にきちんと謝らないとと思わされたそうなんです。
あんなにいじめたのに毎日看病に来てくれてる母を見て。
お母さんも死にかけたことがあったから、その辛さ苦しさを知ってる。だから看病に来てるんだとおばさんに言ってました。
二人でとりあえず命あるかぎり今までのことをやりなおし、本当の姉妹がするようなことを病院でしていたそうなんです。
抗がん剤も打っては吐く。
食欲もない。しかしお母さんが作った
魚の南蛮漬けは食べてたそうで、
それを毎日食べてました。
私もその魚の南蛮漬けは大好きです
癌と気がついたときはLEVEL5だったのでおばさんも覚悟はしてたそうです。
しかしまだ生きていれるならば子どももまだ小学生なので大人になるまで育てたいで治療を続けたそうなんです。
新薬をつかいやっても効果はない。
色んな人体実験をしてたみたいです。
これでもないあれでもないと。
今みたい癌は助かるものとしてというより、不治の病だったんです。
半年だったのが、3年たちおばさんはこの世を去りました。
お葬式のときのおばさんの顔色は緑でした。
薬の使いすぎだったんでしょう。
間近でお母さんは癌に向き合い支えてた。
そして今度は自分の娘が癌。
私なんですけどね
知ってるからこそレベル4と言われたときは
看病から開放させたいと言う気持ちしかなかった。
ひいおばあさんから(介護)、
おばさん(看病)、
そしておばあさん(介護)
そして、私。(看病)
母さんの人生は人を看病だけで
終わらせたくない。
自分の人生を歩んでほしい。
それなのに私はなにしてんだ!!って感じですがね
命というものは有限です。粗末に扱うものではないんです。
だからこそ予防や健康維持をして今を楽しむ!!
今はどうなくても、手をさわれば解ります。
私より冷たい。からだが冷えてる証拠!!
病気の元を出来るだけ今のうちになくすこと。
体温をあげて、少しでもながく人生を楽しむ!!
とりあえず言います!!
私たちは生きてるんです!!
この時間生きてるんです。
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