2016年07月23日
「戦艦大和:菊の紋章、実は小さかった」潜水調査で判明
戦艦大和"菊紋章"大きさ判明|ニフティニュース
太平洋戦争末期に鹿児島県沖で沈んだ日本海軍の戦艦「大和」の艦首に付けられた菊の紋章が、過去の調査を基にした想定より小さいことが、広島県呉市による潜水調査で分かった。大和は極秘に設計され、設計図も焼却されてほとんど残っていないため、不明点も多い。今回の調査を受け、呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)は「他の部位の大きさも従来の見方と異なる可能性が出てきた」としている。
潜水調査で撮影された戦艦「大和」の菊の紋章=鹿児島県沖で2016年5月26日(呉市提供)
大和は呉市にあった呉海軍工廠(こうしょう)で建造された。市は5月、鹿児島県枕崎市沖の水深約350メートル付近で調査し、約7000枚の写真と約50時間分の映像を撮影。日本海軍の大型艦にしか付けられなかった艦首部分の菊の紋章も確認した。
大和ミュージアムの戸高一成館長によると、当時の軍艦の紋章は直径1.2メートルが標準だった。だが、大和については1999年のテレビ局の潜水調査で約1.5メートルと結論づけられ、ミュージアムが写真などから2005年に復元した10分の1模型でも1.5メートルを前提としていた。
しかし今回、無人探査機のアームにスケールを付けて計測した結果、1.5メートルよりも小さいことが判明。他の軍艦と同程度だった可能性も出てきた。
調査結果は精査中で9月にまとめる予定だが、戸高館長は「他の部位も含め、展示物の作り直しもありうる」と明かす。ミュージアムの資料を基に戦艦大和のプラモデル3種を販売しているタミヤ(静岡市)の広報担当者も「調査結果を興味深く注視している」と話す。
大和ミュージアム=戦艦「大和」10分の1模型 艦首の菊花紋章
海中映像は23日から、大和ミュージアムで公開される。大和にゆかりのある人たちも映像に注目する。
呉海軍工廠に学徒動員され、1945年3月下旬、大和が立ち寄った際に乗船した広島市西区の加藤義典さん(88)は、甲板にかけられた脚立を伝って菊の紋章に触れた経験を「生涯忘れられない」と振り返る。
あまりの巨体に艦上の移動には自転車が使われ、甲板は輝くほど磨かれていた。高所から見下ろすと、「船の上に城の天守閣があるような」勇壮さだったという。大和が沈没し、乗組員3000人以上が死亡したことは、終戦約1年後に知った。「厳かな気持ちでミュージアムに足を運び、大和の今を見守りたい」と話した。【山田尚弘】
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