2016年07月01日
鬼太鼓座(おんでこざ)プロ
いつもご覧いただきありがとうございます(o^^o)
勝手に他チーム応援コーナーwwww
今日は太鼓の歴史を知るうえで重要なプロ集団を紹介します
私は太鼓歴があまりないのでほぼoィキペディア情報です!
が太鼓に関する情報発信していきたいです
おんでこざ
鬼太鼓座は、1971年に結成されたプロの創作和太鼓集団です。
結成当初は佐渡を本拠として合宿生活を送り、
新奇な手法で国内外で注目され
和太鼓ブームの火付け役となった。
現在は静岡県の富士市を拠点に活動しているそうです
学生運動により大学中退後、民俗学者宮本常一の影響で日本放浪をしていた
田耕(でんたがやす、本名・田尻耕三)の発案により、
佐渡に「北前船により広がった文化を再構築するための四年制大学『日本海大学』と、
日本の民俗芸能や工芸を学ぶ『職人村』」設立の資金獲得を目的に結成されたそうです。
当初は太鼓をはじめとした日本の伝統芸能を海外で演奏することで資金を獲得して7年後の大学設立をもって解散する予定だった。
本拠地となった佐渡では、現地の郷土芸能「鬼太鼓」を「おんでこ」と呼ぶため、「鬼太鼓座(おんでこざ)」と名付けた。
結成当時は、宮本常一のほか、同世代の文化人や活動家・芸術家などが多数田耕に協力・支援した。
練習にマラソンを取り入れ、1975年にボストン・マラソンに参加して
全員完走後、ゴール地点で大太鼓を披露するパフォーマンスで話題を呼んだ。
ボストン交響楽団指揮者だった小沢征爾に誘われて共演し、以降ほぼ毎年欧米を中心とした海外公演を行なう。
田耕が「わらび座」という民族歌劇団に一時期関係していたこともあり、
鬼太鼓座の演目は日本古来の民族伝統芸能的傾向が強く、「屋台囃子」や「大太鼓」といった代表曲のほか、
小澤に紹介された現代音楽家・石井真木が鬼太鼓座のために書き下ろした新打法による和太鼓曲も手がけたそうです。
もはや舞台芸術としての和太鼓。
1981年、田耕は「鬼太鼓座」メンバーと別れ、一人佐渡をあとにした。
その際に田耕は「鬼太鼓座(おんでこざ)」の商標権、太鼓道具等を引き上げたが、メンバーたちはその時すでに決まっていた舞台スケジュールをとりあえず「鬼太鼓座」名義でこなすことになる。
しかし、田耕が新しい鬼太鼓座で活動を始めたため、
旧メンバーらは1981年に自らの名称を「鼓童」とし、
新たに楽器購入にあたり地元地銀から融資を得て、
「鼓童」として日本国内外での数多い公演をこなしている。
佐渡をあとにした田耕は、新しいメンバーを集めて、自らが所有していた
「鬼太鼓座(おんでこざ)」の商標権と、和太鼓などの楽器を用い、
長崎を拠点に事実上の「第二期鬼太鼓座」を組織したそうです
2012年3月に第六期鬼太鼓座が、東日本大震災一年を機にアメリカ・フランス・中国等にて
東北の芸能と共に世界一周公演を行う。同年4月からは富士合宿所に加え埼玉県東秩父村にて合宿生活を行っている。
自分でも記事を書いてビックリしました
こんな歴史あるのなんだと、、、、。
和太鼓の歴史を学んで少しでも魅力を現代に伝えていきたくなりますね!!
最後まで読んで頂きありがとうございます!
次回も身になる情報を、、、。
勝手に他チーム応援コーナーwwww
今日は太鼓の歴史を知るうえで重要なプロ集団を紹介します
私は太鼓歴があまりないのでほぼoィキペディア情報です!
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おんでこざ
鬼太鼓座は、1971年に結成されたプロの創作和太鼓集団です。
結成当初は佐渡を本拠として合宿生活を送り、
新奇な手法で国内外で注目され
和太鼓ブームの火付け役となった。
現在は静岡県の富士市を拠点に活動しているそうです
学生運動により大学中退後、民俗学者宮本常一の影響で日本放浪をしていた
田耕(でんたがやす、本名・田尻耕三)の発案により、
佐渡に「北前船により広がった文化を再構築するための四年制大学『日本海大学』と、
日本の民俗芸能や工芸を学ぶ『職人村』」設立の資金獲得を目的に結成されたそうです。
当初は太鼓をはじめとした日本の伝統芸能を海外で演奏することで資金を獲得して7年後の大学設立をもって解散する予定だった。
本拠地となった佐渡では、現地の郷土芸能「鬼太鼓」を「おんでこ」と呼ぶため、「鬼太鼓座(おんでこざ)」と名付けた。
結成当時は、宮本常一のほか、同世代の文化人や活動家・芸術家などが多数田耕に協力・支援した。
練習にマラソンを取り入れ、1975年にボストン・マラソンに参加して
全員完走後、ゴール地点で大太鼓を披露するパフォーマンスで話題を呼んだ。
ボストン交響楽団指揮者だった小沢征爾に誘われて共演し、以降ほぼ毎年欧米を中心とした海外公演を行なう。
田耕が「わらび座」という民族歌劇団に一時期関係していたこともあり、
鬼太鼓座の演目は日本古来の民族伝統芸能的傾向が強く、「屋台囃子」や「大太鼓」といった代表曲のほか、
小澤に紹介された現代音楽家・石井真木が鬼太鼓座のために書き下ろした新打法による和太鼓曲も手がけたそうです。
もはや舞台芸術としての和太鼓。
1981年、田耕は「鬼太鼓座」メンバーと別れ、一人佐渡をあとにした。
その際に田耕は「鬼太鼓座(おんでこざ)」の商標権、太鼓道具等を引き上げたが、メンバーたちはその時すでに決まっていた舞台スケジュールをとりあえず「鬼太鼓座」名義でこなすことになる。
しかし、田耕が新しい鬼太鼓座で活動を始めたため、
旧メンバーらは1981年に自らの名称を「鼓童」とし、
新たに楽器購入にあたり地元地銀から融資を得て、
「鼓童」として日本国内外での数多い公演をこなしている。
佐渡をあとにした田耕は、新しいメンバーを集めて、自らが所有していた
「鬼太鼓座(おんでこざ)」の商標権と、和太鼓などの楽器を用い、
長崎を拠点に事実上の「第二期鬼太鼓座」を組織したそうです
2012年3月に第六期鬼太鼓座が、東日本大震災一年を機にアメリカ・フランス・中国等にて
東北の芸能と共に世界一周公演を行う。同年4月からは富士合宿所に加え埼玉県東秩父村にて合宿生活を行っている。
自分でも記事を書いてビックリしました
こんな歴史あるのなんだと、、、、。
和太鼓の歴史を学んで少しでも魅力を現代に伝えていきたくなりますね!!
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