鼻茸の手術を決意する迄
最初(2019/5)は、
いつものアレルギー性鼻炎だと思っていましたが、
いつまでたっても鼻づまりで治らないので
町の耳鼻科へ行ってみたら、
これは鼻に出来るポリープで通称「鼻茸」と言われました。
投薬で軽減はするが無くなる事は無いので
日常生活に差し障りが続くようなら、
手術の出来る病院へ紹介状を書くとの事でした。
早速(2019/6)専門に手術が出来る総合病院を受診し、
とりあえず投薬で様子を見ましょうと言う事で
6月7月と薬をもらって様子を見ました。
薬が効いたのか鼻づまりの症状が楽になり、
どうにかこうにか過ごせたので
そのまま通院もせず、
約1年過ごしていましたが
2020年9月再び鼻づまりがひどくなり通院を再開します。
色々手術に関する話を聞きながら、
鼻の奥には視神経や脳につながる神経など
集中してるところを、
内視鏡を使って切ったり軟骨部を削ったりすると聞いて、
又、少し怖くなり、何とか手術しない方法を考えました。
色々迷いましたが、
このまま薬を飲み続ける生涯よりも
現代医療技術に頼って鼻づまりを直した未来に賭けようと、
2020年12月29日になってやっと手術を決意しました。
近郊の病院から手術の為に多くの人が殺到?しているらしく
入院前のPCR検査など済ませ
2021年2月8日手術入院が決まりました
鼻茸の手術に関しての確認や承認について
何処の病院でも同じですが
入院前検査の段階で医師や看護師から説明があり、
麻酔に関する説明同意書や
検査・処置・手術・麻酔に関する説明同意書に署名します。
これの怖い点は、
もしかの場合(緊急の処置)は色々対処し最善を尽くします・・・
の文言が怖いです。
例えば、
「全身麻酔」では口から気道にパイプで酸素吸入をします、
最悪肺が損傷して合併症が起こる事もあります、
とか、心臓が止まる事も有るとか色々怖い話を聞きました。
そもそも私が思うには
歯科医院でもそうだけど、患者は医師に任せるしか道はない、
と言う事で「まな板の上の鯉」になる思いで同意書に署名しました。
ほかには、病状とは関係なく入院申込書や誓約書に
連帯保証人(原則現住所が異なる方)の署名など、
入院費用の保全が図られている書類を提出する事になっています。
また、入院前日夜9時から絶食
当日は朝8時以降飲水は控えます、
何故かと言うと、全身麻酔は手術完了後6時間程影響があり
その間は「おしめ」なので、
排便排尿は自力で便所にはいかせてもらえません。
私は入院前日、食事も軽くすまし飲水も止めて、
当日にトイレをすまして臨みましたので、
自力トイレまで我慢できました。
鼻茸の手術が始まります
待合室の前で妻の見送りを受け、歩いて手術室に入ります。
ちょっとだけ思った事
このまま、眠ったままあの世に行ったら
私は苦しまないで死ねるのでいいけど、
妻を一人残すことになったら
妻に申し訳ない・・・、
上半身裸で手術ガウンをはおりベッドに横になり
心電図や血圧計ほか点滴・麻酔に必要な装置がつけられ、
顔にマスクが着けられる迄は覚えていますが
あとは手術が終わるまで約3時間程、
何も覚えていません。
手術室からベッドのまま運び出されると
談話室の前ですれ違いざまに妻の顔と
「よかったよかった」の声が聞こえ
それには簡単に応じたけれど
まだ意識は朦朧でした。
それから3〜4日間の入院状況
夕方5時半ごろ病室に戻った私は
疲れていたのか目を閉じてぐったりして
ベッドに横たわっていました。
聞こえてくるのは
認知症か何か判らないけど
ほかの患者さんの独り言でした、
子供のような声で大半は何を言っているか判らないが、
「お金がない」「うちに帰りたい」「お母さん御免なさい」が
時々織り込まれる、
短い独り言を繰り返していました。
その方がどういう病気か
その方の人生がどんなだったか
知る由もないけど、
手術後のもうろうとした私には
邪魔には成らず心地よく聞こえます。
看護師の声や足音
カシャカシャと運ぶ機材の音も
気を紛らわしてくれました。
3時間たったので水は飲めますよ
と言われましたが飲まずに済ませ、
11時半の「自力でトイレ」許可まで
排尿を我慢を目標にして、
先ほどの「独り言」や廊下に響く足音など
気を紛らしていました。
麻酔で少しふらつきますが、
やっと「おしめ」を外し、
自力でトイレで排尿できて
何となく落ち着きました。
鏡の前に立つと
鼻の中の詰め物とガーゼ絆創膏で
口の上から大きく腫れている様に見えました。
手術の翌日(2月9日)
朝ごはんは「おかゆ」でした、
鼻を覆うガーゼが邪魔で食べにくかったけど
昼食からは普通のごはんをすましました。
午後には担当医から診察室に呼ばれ
鼻の詰め物やガーゼの除去を行いました。
出血はどうですか?と言われているうちに
左の鼻からボタボタと鼻血が落ちてきて、
医師が手当てしましたが特に詰め物はせず止血し、
粘膜からの薄い血が、両鼻から暫くは出ますと言う事でした。
持ってきたティッシュで
鼻の穴からしみ出る薄赤い血を
拭くのが大変でした。
今思えば、気にならない様に
上を向いておとなしく寝転んでいれば良かった
と、反省しています。
看護師から鼻洗浄器具(ハナクリーンS)用の
生理食塩液500mlボトルが数本渡され
自分で洗面台で鼻洗浄を始めます。
入院中は朝昼晩3回行うよう指示がありました、
あ〜とか え〜とか 発声しながら鼻洗浄しますが
慣れるまでちゃんとやれているのか心配ですが、
気にせずやるだけで良いとの事、安心しました。
手術の翌々日(2月10日)
朝食後担当医の診察を受け
傷口の状態の確認と噴霧薬で鼻孔の奥まで消毒され、
内視鏡検査処置されましたが、
つーんとした痛みが1時間ほど続きました。
担当医からは明日’2月11日)は祝日で休みだから
12日朝診察後に退院しましょうと言われ、
まだ鼻から薄赤い血が出ている事と、
不慣れな鼻洗浄を我が家でやるのは大変だと思いました。
退院(2月12日)を迎えるにあたって
それにしても一時の入院で日常の社会生活に戻れる事に、
感謝しなければならないと思います。
病棟にはいろいろな病で入院され
退院されていく方が居ます。
その中には後遺症を背負って現実社会に戻る方
再発を心配しながらの退院
様々だと思います。
あの、夜の病棟に響く「独り言」の方は・・・、
と考えると複雑な気持ちになります。
きっと 夢(思い出)の中で
繰り返し毎日を過ごしながら
院内介護で現実社会には戻れない方でしょうけど、
聞き取れない「独り言」の数々が、
せめて楽しかった思い出なら良いのにと思います。
「お金がない」「うちに帰りたい」「お母さん御免なさい」
この思いは人間の根源に由来する、普遍の言葉かも知れませんね。
こうして短い入院生活を体験し
改めて健康な体に感謝するとともに、
たとえ苦難を背負ったとしても
その中で楽しみを見出して毎日を過ごし、
誰もが命の炎が燃え尽きるまで
生きなければならないと思いました。
いみじくも
2月11日は私の誕生日
このように入院中に新しい齢を迎えるのも
何かの縁
大切にこれからの人生を過ごし
少しでも世の中で良い事をして行こうと
思います。
タグ:鼻茸の手術
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