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2015年04月09日

アインシュタインの予言

アインシュタインの予言

アインシュタインの予言(アインシュタインのよげん)とは、アルベルト・アインシュタインの発言として流布されている約300文字程度の言葉。

“近代日本の驚くべき発展”を賞賛し、“来たるべき世界政府の盟主は日本が担うことになるであろう”と予言している。さらに、“そのような尊い国を作っておいてくれたことを神に感謝する”と続く。

ただし、アインシュタインがこのような趣旨の発言をした例は一例も存在しないとする論証が2005年(平成17年)に提出された。


【概要】

この文章の初出は明確ではないが、1950年代に遡るという。以降書籍・雑誌で引用・再引用が繰り返され、インターネットの普及後はウェブ上の記事においても多数引用されている。度重なる引用と孫引きによって、文章が一部抜け落ちていたり、一部の語句が書き換えられていたりと、現在様々なバージョンが流布しているが、大筋では大同小異である。以下に典型例の一つを挙げる。


近代日本の発達ほど、世界を驚かしたものはない。
この驚異的な発展には、他の国と異なる何ものかがなくてはならない。
果たせるかなこの国の、三千年の歴史がそれであった。
この長い歴史を通して、一系の天皇をいただいているということが、今日の日本をあらせしめたのである。
私はこのような尊い国が、世界に一カ所位なくてはならないと考えていた。
なぜならば世界の未来は進むだけ進み、その間幾度か戦いは繰り返されて、最後には戦いに疲れる時がくる。
その時人類はまことの平和を求めて、世界的な盟主を挙げねばならない。
この世界の盟主なるものは、武力や金力ではなく、凡ゆる国の歴史を抜き越えた、最も古くまた尊い家柄ではなくてはならぬ。
世界の文化はアジアに始まって、アジアに帰る。
それはアジアの高峰、日本に立ち戻らねばならない。
吾々は神に感謝する、吾々に日本という尊い国を、作って置いてくれたことを。


この言葉は「日本人の愛国心をくすぐる内容」と宣伝され、再三に渡って引用されており、古いものでは今村均の1956年(昭和31年)の著書『祖国愛』に、また、名越二荒之助の1977年(昭和52年)の著書『新世紀の宝庫・日本』においても存在が確認できる。最近のものでは、2005年(平成17年)の『世界の偉人たちが贈る日本賛辞の至言33撰』で紹介されている。しかし、この文章の出典とされる雑誌『改造』1922年(大正11年)12月号(アインシュタイン特集号)には、該当の文章は存在しない。


【偽書説】

2005年(平成17年)、ドイツ文学研究者の中澤英雄・東京大学教授は、この発言がアインシュタインのものであるという確定的な典拠は存在せず、またアインシュタインの思想とは矛盾する内容であると発表した。中澤は、この「予言」の原型を、宗教家田中智學が1928年(昭和3年)に著した本『日本とは如何なる國ぞ』にある一節であると指摘した。以下にそれを記す。


故高崎正風氏が特に私に伝言して呉れと話された談に、曾て海外へ派遣された海江田子爵が丸山作樂氏を伴れて独逸のスタイン博士を訪問した時、スタイン博士が、日本の歴史を 討ねられた所から、丸山氏は得意に日本開闢以来の歴史を要説して、日本君民の状況を話したら、博士は非常に驚いて『どうも日本といふ國は、舊い國だと聞いたから、これには 何か立派な原因があるだらうと思ッて、これまで訪ねて來た日本の學者や政客等に就いてそれを訊ねても、誰も話してくれない。私の國にはお話し申す様な史實はありませんとばかりで、 謙遜ではあらうが、あまりに要領を得ないので、心ひそかに遺憾におもッて居たところ、今日うけたまはッて始めて宿年の疑ひを解いた。そんな立派な歴史があればこそ東洋の君子國と して、世界に比類のない、皇統連綿萬世一系の一大事蹟が保たれて居るのである。世界の中にどこか一ヶ所ぐらゐ、そういう國がなくてはならぬ。トいふうわけは、今に世界の將來は、段々 開けるだけ開け、揉むだけ揉んだ最後が、必ず爭ひに疲れて、きツと世界的平和を要求する時が來るに相違ない。そふいう場合に假りに世界各國が聚ツてその方法を議するとして、それ には一つの世界的盟主をあげようとなツたとする。さていかなる國を推して世界の盟主とするかとなると、武力や金力では、足元から爭ひが伴う。そふいう時に一番無難にすべてが心 服するのは、この世の中で一番古い貴い家といふことになる。あらゆる國々の歴史に超越した古さと貴さを有ツたものが、だれも爭い得ない世界的長者といふことになる。そういうものが 此の世の中に一つなければ世界の紛亂は永久に治めるよすがゞない。果たして今日本の史實を聞いて、天は人類のためにかふいう國を造ツて置いたものだといふことを確め得た。』と言わ れて、大層悦ばれたといふ事で、子爵が帰朝早々葉山なる高崎氏を尋ねて話されたということで、それを高崎氏の知人なる吾が門人某に托して、私に傳えられた。

? 『日本とは如何なる国ぞ』 - 近代デジタルライブラリー(p25) 第一編 總論 第八章 日本は神國なり 原著p30-31 原文の漢字仮名遣いのママ


ただし、田中はこの言葉を、大日本帝国憲法成立に大きな影響を与えたドイツ人法学者ローレンツ・フォン・シュタインの発言として紹介しており、「予言」はアインシュタインのものではなかった。

中澤は「シュタイン」と「アインシュタイン」という名前の類似性から、流布の過程ですり替わってしまったとし、また内容的にシュタインの思想とも食い違っており、シュタインの発言ではなく、田中による創作であると考察した。つまり、田中がシュタインを狂言回しに自らの思想を語ったものであり、それに細部の改変が加えられて「アインシュタインの予言」となり、現在に流布したのであると論証した。そして、朝日新聞の取材に「海外からみたらアインシュタインをかたってまで自国の自慢をしたいのかと、逆に日本への冷笑にもつながりかねない事態」だとしている。

この「予言」がアインシュタインのものではないという話は、2006年(平成18年)6月7日付の朝日新聞でも取り上げられ、その記事の中で、アインシュタイン研究をも行っている板垣良一・東海大学教授(物理学史)は、「アインシュタインはキリスト教徒でもユダヤ教徒でもなく、神にこだわらない人だった」とした上で、彼が残した日記や文献の上でも日本の天皇制に言及したものはなく、この発言を「アインシュタインのものではない」と断言している。またアインシュタインは、「ユダヤ教も含めて宗教は子供じみた迷信」だとはっきり書き残しており、信じてもいない神に感謝することなどありえない。

また、原田実『トンデモ日本史の真相』では、ここに収録された『予言』とほぼ同じものが、大本教の教義解説書『大本のしおり』1967年(昭和42年)刊に、「スタイン博士」の言葉として見られると指摘している。

アインシュタインは日本の郷土や自然を愛した親日家であったため、日本の国体をも肯定していたとする誤解。広島市への原子爆弾投下・長崎市への原子爆弾投下に心を痛め、反核論を強く唱えた事から、大日本帝国を擁護していたとする誤解。そういった誤ったアインシュタインの親日的価値観が附随して語られる事により、偽書の信憑性が高められていったとする説もある。


【田中智学による創作説の誤り】

東京大学教授中澤英雄は、田中智学が著した『日本とは如何なる國ぞ』を引用し、田中智学がシュタインを狂言回しに自らの思想を語ったもの、として創作と断じているが、検証が不十分であり、その主張に誤りがある事が判明している。(※田中智学の創作という点についてのみ)。

◆誤れる点の要約

・ローレンツ・フォン・シュタインの発言は元から存在せず、田中智学による全くの創作である。との論拠としている年代以前に、田中智学や他者による「スタインの言葉」に言及する文献が見つかっている。

・ローレンツ・フォン・シュタインの言葉から、アルベルト・アインシュタインの言葉にすり替わったという理由が、非論理的、且つ恣意的である。


中澤英雄は雑誌『致知』2005年(平成17年)11月号「アインシュタインと日本」という題で寄稿しているが、そこで田中智学の創作と断ずる根拠としている文を抜粋し、それに対する誤りも付記する。


前記の引用は、田中智学の『日本とは如何なる国ぞ』(昭和三年)という、当時の大ベストセラーの一節である。この本では、頁の上部に小見出しが書かれている。「シュタインの言葉」の論述部分の小見出しは、「スタイン博士の知言」と「世界の盟主」である。「アインシュタインの言葉」のそもそもの起源が『日本とは如何なる国ぞ』にあったことは、この言葉のフル・ヴァージョンの「世界の盟主」という題名からも明白である。 ただし、この言葉の主がシュタインであることがわかっては、紹介者としての田中智学の名前も想起されてしまうだろう。「シュタインの言葉」が「アインシュタインの言葉」にすり替わったのには、田中智学の名の隠蔽と忘却も作用していたに違いないなんといっても、戦後の多くの日本人にとって、「八紘一宇」は忘れてしまいたい言葉であったし、田中智学は忘れてしまいたい思想家であったからである。


そもそも、アインシュタインの予言とされているそれは、内容的には戦乱の後に世界が一つになる。という箇所は別にして、八紘一宇を実現する為に、日本国家が建設された、という思想は田中智学や、当時の文化的知識人が一般的に持ち合わせていたものであり、外国人においては、ポール・リシャール等が同様の主張をしている。そして現代においても清水馨八郎や前野徹が著書で紹介する等、保守派に好まれる内容である。それこそ八紘一宇の主宰者である皇室を海外の著名的な学者が礼賛をしたとされているから取り上げられているのにも拘らず、戦後多くの日本人にとって「八紘一宇」という言葉を忘れてしまいたい。言葉の主がシュタインであることがわかっては、田中智学の名前も想起される。即ち八紘一宇や田中智学の名を忘却したい。という理由から「ローレンツ・フォン・シュタインの言葉」から、「アルベルト・アインシュタインの言葉」にすり替わった。という主張は論理的に成立しない。


ここで一つの疑問が浮かぶ。田中智学が伝える「シュタインの言葉」は、本当にシュタインが語った言葉なのだろうか? シュタインは日本が「世界の盟主」となることを予言したのであろうか?海江田信義がシュタインのもとで受けた講義の筆記は、『須多因氏講義』として一八八九年に宮内省から刊行された。その後、いろいろな版が出たが、今日では『明治文化全集』(日本評論社)の第一巻「憲政篇」に収録されている。今回、『須多因氏講義』を読んでみたが、そこには、日本(あるいは天皇)が「世界の盟主」となって世界平和が樹立されるあろう、というような「(アイン)シュタインの言葉」に見られる「予言」はどこにも見出されなかった。シュタインの思想と田中智学が伝える「シュタインの言葉」は、かなり異なっているのである。

〔中略〕

実は「世界の盟主」論は、田中智学自身の思想にほかならなかった。彼は、『日本とは如何なる国ぞ』より以前の『天壌無窮』(大正四年)という著書で、シュタインに言及することなく、こう書いている。  「世界の将来には、一度は必ず世界をあげての大戦乱が来り、各国ともに其にこりこりして、真の平和を要求する様になる時が来て幕が開(あ)く、その時こそ、かねがね此平和の為に建てられてある日本は、勢い「最後平和の使命」を以て登場して、世界渇仰の下に、這(この)始末を着けてやらねばならぬ役回りとなる

〔中略〕

田中智学独自の予言なのであり、それを彼は時々シュタインの名を利用して語ったのであった。


ここで田中智学が『天壌無窮』1915年(大正4年)に記述している、元来持っていた自分の思想である『世界の盟主』論をローレンツ・フォン・シュタインの言葉と創作して、『日本とは如何なる国ぞ』1928年(昭和3年)で初めて記述したように主張しているが、田中智学以外にも「スタインの言葉」しかも、『世界の盟主』論に言及しているものがある。1901年(明治34年)藤原盾夫著『御代の鏡 臣民必読』並びに、若干の文章の差はあるが1901年(明治34年)松田敏足著『国体精華』に以下の記述あり。


明治二十一年、元老院議官海江田信義、図書助丸山作楽の二氏、欧州巡行の際墺国大博士須多因氏(当時七十五歳)に就き、国家経済の講義を聴かれし時、問答あり、其の神器に関する一節を読むに頗る敬服すべきものあり。 

問(須多因氏) 日本には皇室王統の爾章として三種の神器ありと聞く、上帝王より下国人民の待遇は果して如何む。

答(丸山氏)神器授受の由来より日本にて神器に対する待遇は、上帝室は勿論、下人民に至れり、これを国家報本第一の宗祀とし、敬祭奉事、固より至れり尽くせり、

須多因氏、頂を垂れて聴き終わり、沈念することやや久し、徐々として説きだして曰く、予て余の伝聞思想せし所と、誠に符節を合わせたり、日本帝室は開闢の始め、造化天神より授けられたる帝位を今日に伝統し、其の天神の代治者たるの爾章を現今に保存し、国家挙げて之を天神の霊体とし、報本の大本とし、礼拝するとは、誠に宇内無比、至重至貴の義由あるものなり、是が宇内無比なる時には、後来、自ら宇内の万庶、亦自ら無比の待遇を為すに到らざるを得ざる可しと、

? 『御代の鏡 臣民必読』 - 近代デジタルライブラリー(p18〜19) , 『国体精華』 - 近代デジタルライブラリー(p59〜60)原著p107〜108


他には1925年(大正14年)誠敬堂著『天業之大日本』と1943年(昭和18年)藤田徳太郎著『本居宣長と平田篤胤』に戦争に言及する同じ文書が記載されている。この文章はローレンツ・フォン・シュタインの言葉を、考証を重んじた国学者である山田孝雄によって説かれたものである事が書かれているが、その原著は何年に書かれた物か、現時点でわかっていない。


「世界万国いづれの民たりとも各其の身の幸福の欣ばぬものはあるまい、然るに、人生不幸中の最不幸は戦争である。それゆえ我輩学術政治に志す者は、常に世界に戦争の起らぬことを希望するのである。それには世界万国を統御する宗国を立て、志ある各国之を補佐し、互に国境人民を相侵さない一大憲法を制定し、若し、之に背く国があらば、他の諸国が挙って之を征するという事にならなければ、其の事は行われない。これに因って、世界各国を通観するに、何れも開闢以来の宝器をもっていない。そういう同等の国柄を立てて宗国としたとて、他国人民の服従すべきものでは無い。東洋諸国を顧るに、印度は古い国だけれど、今の形勢では話にならぬ。支那は大国だけれど、今の清国は自国の人民すら心服しないという事だから、他国人民の服従する筈はない。唯日本は国は小さいが、天子は天神の裔であって、開闢以来の神器を有したまい、千古一系の皇統して、全国人民が君臣の大義を紊さぬということは、いかにも珍しい御国柄だから、必ず証跡となる事があろうと思っていたが、今日始めて評説を聞いて大いに従来の望に合致する。此の事を欧米各国の人民が聞き伝えて知る事になったら、必ず貴国に服従する事となろう。」

? 『天業之大日本』 - 近代デジタルライブラリー(p55〜56)原著p101〜102 , 『本居宣長と平田篤胤』 - 近代デジタルライブラリー(p116〜117)原著p221〜222


田中智学に就いては現在判明している限りで、1913年(大正2年)出版の『国体の権化』にローレンツ・フォン・シュタインの言葉として以下の記述がある。


独逸の大儒スタインも亦曾て日本帝室を以て全世界の連盟を主どるべき王中の大王なる由を語りて、海江田氏を一驚せしめたる趣、高崎男の直話なり

? 『国体の権化』 - 近代デジタルライブラリー(p5右最上段)原著p2 最上段


その後も1922年(大正11年)出版の『日本国体の研究』に以下の記述がある。前述の山田孝雄によるものと大意としては同じであるが、文章の構成は明らかに違っている。


曾て海江田子爵が、スタイン博士を訪ねた時、博士が日本の歴史を尋ねたから、得たり賢しで、神代史から建国の大体、御歴代の文武百政を説明したら、博士が驚いて言うには『そんな立派な国が、この地上に存在して居るとは夢にも知らなんだ、是れまで幾人となく日本の名士が訪ねて来られる度に、日本の歴史を聞いたが、いづれもイヤつまらぬ国で、お話し申す様な歴史はないとばかりて、誰も話して呉れなかったから、今の今まで其れを知らずに居たが、そういう国が人間の世に存在して居るとすれば、吾人の理想は其れで満足される、実は世界の将来は必ず幾多の難関を経て終には統一するか連盟するかの外はない、その時に之を主宰するものがなくてはならぬ、その主宰者こそは「力」でも「人種」でも行かぬ、誰にも真似の出来ない先天的の優勝者でなければならぬ、それは歴史である、この世で一番古く貴くあったという事実だけは、誰が何と言っても動かせない事実であるから、結局之を推すに異議のない事になる、世界はそこ迄行って落着かねばならぬ運命をもって居る、今承って見ると日本帝室こそ正しく此時の統一主宰者にあたる、トニカク世界のどこかに爾ういうものが無くてはならぬ筈だと思って居たが、今はじめて其の解決を得た』と話されたので、子爵は帰朝早々旅装も解かずに、葉山に居らせらるる、先帝両陛下に言上のため伺候されての陳述であったと故高崎男爵の談話であった。

? 『日本国体の研究』 - 近代デジタルライブラリー(p34〜35)原著p29〜30


上記のように中澤英雄が主張する年代よりも古くから「スタイン博士の言葉」に関しての記述が存在している。

そして、中澤英雄は『シュタインの思想と田中智学が伝える「シュタインの言葉」は、かなり異なっているのである。』と主張しているが、ローレンツ・フォン・シュタインが日本人に与えた言葉や、人格の一端を伺わせる内容を以下に記す。


日本の国体を賛美し神道を国家精神にせよと伊藤博文に与えた訓戒。 海江田信義「須多因氏講義」より。


神道ハ御国ニテ国体ヲ維持スルニ必要ナルヲ以テ之ヲ宗教ニ代用シテ自ラ宗教ノ外ニ立テ、国家精神ノ帰嚮スル所ヲ指示シ、儒仏及西洋諸教等ハ人民自由ノ思想ニ任セ、法律ノ範囲内ニ於テ之ヲ保護シ教義上固ヨリ之ニ干渉スベカラズ、而シテ国家ノ監理スベキ者三アリ、宗教ハ内政ニ関セズ、裁判ニ関セズ、外交ニ関セザル等是レナリ

? 『須多因氏講義』 - 近代デジタルライブラリー(p41)原著p38〜39


日本ハ天然ノ帝国ニシテ天然ノ帝王、天地ト共ニ動カサルナリ日本国体ノ尊重ナル者則是ナリ

(中略)

仏国ノ初代ナポレオンハ大豪傑ナレ共、腕力ヲ以テ帝王トナリ国体ヲシメタリ故ニ人民ハ又腕力ヲ以テ帝王ヲ亡シ自ヲ主権ヲ握リ国体ヲシムルノ権利アル者ナリ日本ノ国体ハ殊ニ独墺ノ羨ム所ノ美国ナリ云々

? 『須多因氏講義』 - 近代デジタルライブラリー(p62〜63)原著p81〜82


当時の自国の歴史に対する、余りの無頓着さの日本人に対しての苦言。 演国斯了因博士『国粋論』より。


近時貴国人ノ此土ニ来リ余ヲ過訪スルモノ亦多シ。而シテ談率ネ国家学ニ渉ラザルハナシ。凡ソ是等ノ人皆欧州各国ノ制度法令ニ通暁シ其利害得失ノ研究ニ明カナルモノ,若シクハ 将来是等ノ研究ニ従事セント欲スルモノニシテ他日施設ノ材料ヲ得ン卜欲スルノ希望ハ誠二嘉スベク貴ブベシト雄モ,試ニ是等ノ人々ニ向ヒ本国ノ事実ヲ挙ゲ古ニ徴シ今ニ考へン コトヲ求メ,且ッ維新前後政治風俗法律経済ノ変遷及文学美術貨幣等ノ状態ヲ問フニ征乎トシテ答フル所ヲ知ラザルモノ甚ダ多キガ如シ。余深ク貴国ノ為ニ之ヲ惜マズンバアラズ。 抑モ国家学ハ空論ヲ以テ講究スベキモノニアラズ。本国ノ事実ヲ知ラズシテ之ヲ他国ニ求メントスルモノハ、是其研究ノ基礎ヲ欠グモノナリ。

? 『墺国斯多因博士国粋論 附・簡牘』 - 近代デジタルライブラリー(p4)原著p2〜3


子爵藤波言忠筆記『スタイン博士講話録坤』より。 (宮内庁書陵部所蔵)


其ノ講義タルヤ唯講堂一室ノ講義ニアラス、宜シク之ヲ古来ノ日本ノ歴史ニ徴シ、之ヲ現今ノ実況ニ照シ、且ツ広ク欧羅巴ノ学問ニ渉猟シテ之ヲ教授セサルへカラス。


他には経済学者の金井延がローレンツ・フォン・シュタインの欠点を指摘する批評をしている。 『スタイン先生の一周忌』河合栄治郎編『金井延の生涯と学』より。


所がスタインに欠点が一つある。即ち何かと言ふと人物としての欠点です。何かと言ふとスタインと言ふ人は余り上手者であるのです。非常な上手者である。と言ふのは誰に向っても宜いやうに話をするです。それも宜しい、………交際に長けたる者であると言へばそれで宜しいですが併ながら自分の説を話す人によって違へることがあるです。それは本統に変じて仕舞った説ならば勿論宜いです………然うで無い、同じ時に聴くにも人によって随分違える。〔中略〕即ち伊藤伯に向つては甲と言っても私には乙を言ふやうな風です。


ローレンツ・フォン・シュタインは人間的な欠点もあり、ドイツでは法螺吹学者と呼ばれていたらしいが、自分のもとを訪れる日本人から日本のことを聞き出すことを常に欲していて、かつて北畠道龍には仏教並びに儒教についての教えを乞うたり、常に日本の立場に立ち歴史を語り、その将来を諭し、日本の国体を賛美し、多くの日本人のナショナリズムを開眼させたのは事実である。

ローレンツ・フォン・シュタインが本当に「スタインの言葉」を発言したかは、更なる検証が必要であるが、中澤英雄の「田中智学による創作」であるという主張は、以上のように誤りであることが判明している。


【もう一つの「アインシュタインの予言」】

「第二次世界大戦では原子爆弾が兵器として利用されましたが、第三次世界大戦が起こったら、どのような兵器が使われると思いますか?」というインタビューを受けたアインシュタインが「第三次世界大戦についてはわかりませんが、第四次大戦ならわかります。石と棍棒でしょう。」と答えたというもの。これは「予言」というよりはむしろ、第三次世界大戦は全面核戦争である故、人類文明の崩壊は必然であるという「警句」である。
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