京の学生たちに愛された「出町のおっちゃん」が、再び厨房(ちゅうぼう)に立つ。京都市上京区にあった「餃子の王将」出町店で、食べるに事欠く学生たちを励まし続け、2020年10月に引退した井上定博さん(73)。新型コロナウイルス禍や物価の高騰で孤独や困窮に苦しむ人が増える中、「この年齢でようやるなと言われるけどな、家でのんびりしてる場合やないと思うねん」と、近くでギョーザの店を新たに開く。
かつて「飯代のない人は、食後の皿洗いでお腹(なか)いっぱい食べさせます」と張り出してあった店舗跡から約100メートル。地元の買い物客でにぎわう出町桝形(ますがた)商店街の一角に17日、「いのうえの餃子」と大書した看板が掲げられた。
カウンターのみで、椅子を七つも並べればいっぱいになる小さな店。京都大や同志社大、京都府立医大に近い。井上さんは22年11月、なじみの地域に空き店舗が出たと知り、倉庫に保管していた厨房(ちゅうぼう)機器やギョーザを包む調理道具を運び込んだ。開店にかかる諸経費だけで300万円を超えるが、採算など最初から考えていない。
◇安価でボリューム、変わらぬ信念
「すかせた腹がポンポンになって『おっちゃん、ありがとう』でいいやん。いつかそいつが、困ってる他のやつに声をかけて、順繰りに助けおうていったら、世の中が良うなっていくやん」。ギョーザは「王将」より安く、1皿(6個)270円(税込み)にする予定。他にラーメンや焼き飯など、安くてボリュームたっぷりのメニューを用意する。名物店主の信念が変わることはない。
井上さんは京都市出身。20歳で駆け落ちし、大阪で食うや食わずの生活に陥ったことがある。そのとき、職場の先輩が若い夫婦の窮状を見かね、自宅に招いてすき焼きをごちそうしてくれた。
23歳で京都に戻り、「王将」に就職。店長を任された店で82年、あまりの忙しさから「皿洗い30分で無料」を始めた。「人生に一度か二度は、金がない時が必ずあんねん。俺も若いとき苦労した」。95年に独立してオーナー店長となった出町店でも、張り紙は掲げ続けた。
ただ、困っていても言い出せない学生がいた。そこで、ギョーザ1人前だけの注文には「皿洗いするか?」と厨房から声をかけた。カウンター越しに黙って鶏のから揚げを皿に載せることもあった。寂しさや不安に悩む学生も多く、店はそんな若い世代をさりげなく見守る場になっていった。
◇コロナ禍に物価高、苦しい今こそ
「『出町のおっちゃんに食わせてもろた』と思える子は一生懸命勉強しよ、てなりよんねん。腹すかしてるやつにメシ山盛り食わせてやった方が、俺も幸せやろ」。やがて社会で必要とされる存在へと成長していく若者たちの姿が、井上さんにとって何よりの励ましだった。最後の2年ほどは衛生面の理由から皿洗いは断り、前日から食事をしていない学生らに無料で食事を振る舞った。代金なしで食べさせたのは3万人以上という。
フランチャイズオーナーの定年となる70歳を機に、惜しまれながら店を閉めた井上さん。「恩送り」を願って約40年間種をまき続けたが、格差が拡大した日本社会に吹く風はますます冷たくなっている。「日本だけ給料は安いままで、何でも値上がりして、みんなひもじいなってるやん。子どもも親もしんどい。昔は『うちでご飯食べていき』というのが普通にあったよ。『誰か助けてくれ』って言ったらいいねん」
だから、そう言える場所をつくりたい。ただ、長年の過酷な働きぶりを見てきた家族は再び店をやることに賛成しておらず、自身の体調も万全ではない。周囲の心配を、井上さんは「俺は『構(かま)い(おせっかい)』なんや」と笑ってやり過ごす。
新しい店は3月にもオープンする。もう張り紙も用意し、大きくメッセージを書いた。「めし代のない人お腹いっぱいただで食べさせてあげます。但(ただ)しお皿洗いをしていただきます」と。【南陽子】
https://news.yahoo.co.jp/articles/69d35493c929b3420d5b06b6fac52577986430af
【ペイ・フォワード 可能の王国】
あらすじ
ラスベガスに住むアルコール依存症の母と、家を出て行った家庭内暴力を振るう父との間に生まれた、少年トレバー。
中学1年生(アメリカでは7年生)になったばかりの彼は、社会科の最初の授業で、担当のシモネット先生と出会う。先生は「もし自分の手で世界を変えたいと思ったら、何をする?」という課題を生徒たちに与える。生徒達のほとんどは、いかにも子供らしいアイディアしか提案できなかったが、トレバーは違った。彼の提案した考えは、「ペイ・フォワード」。自分が受けた善意や思いやりを、その相手に返すのではなく、別の3人に渡すというものだ。
トレバーはこれを実践するため、“渡す”相手を探す。仕事に就かない薬物中毒の男、シモネット先生、いじめられている同級生…。 いろいろと試みるものの、なかなかうまくいかず、「ペイ・フォワードは失敗だったのではないか」とトレバーは思い始める。しかし、トレバーの気づかないところで、このバトンは次々に受け渡されていた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9A%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%89_%E5%8F%AF%E8%83%BD%E3%81%AE%E7%8E%8B%E5%9B%BD
<コメント>
自分が受けた善意や思いやりを、その相手に返すのではなく、別の人に渡すペイ・フォワード。
日本にも昔からある考え方です。
私も昔、見ず知らずの人に助けていただいた事があります。
助ける人も助けられる人もいつかの自分です。
気楽にいきましょう♪
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