アフィリエイト広告を利用しています
  1. 無料アクセス解析

広告

posted by fanblog

広島の川 京橋川下流〜御幸橋etc〜 その1

京橋川は、広島市を流れる6つの川の中で、東から2番目の川です。
川の上流は、広島駅へさかのぼります。広島駅前あたりで、最東を流れる猿猴川(えんこうがわ)と分かれます。

ちなみにエンコウとは「カッパ」というか、伝説上の生き物でそれがすんでいたからついた名前だとか・・ひらがな入れても、変換できんので漢字で書くにはたいへんです!

京橋川の下流にあるのが「御幸橋」です。
つい最近、2000年までは、京橋川の最も下流にかかる橋でした。
電車も通ります

御幸橋は、広島が軍都として、大きくなる中、宇品港を整備、明治天皇がご巡幸・・というらしいですが、広島に来て、わたったので「御幸」となったそうです。

橋の東にあった専売公社・JTは移転し、体育館が残ります。
今は、跡地がユメタ・・ゆめタウンになってます




橋のたもと、西側には、2つの戦争に関するモニュメントがあります

1945年8月6日原爆が投下された日の、唯一の写真と言われているものが
ここにあります。最大の原爆被災説明板ですが、これは中国新聞社記者の方が撮ったものだそうです。

写真の下には、ペットボトルに入れられた水が置かれています。
知らない人が見ると、誰かが飲みかけのペットボトルを
写真の下において、不謹慎!
と思われるかもしれませんが、原爆にあわれた方にとって水は大変意味のあるものです。
体中が焼け、水、水と言いながら亡くなった方が多いと聞きます
誰かが、祈り、水を置かれたのだと思います




もうひとつは、「広島 ひろしま HIROSHIMA」というタイトルが刻まれ石碑です。
できたころは、ちょうどバブルのころだと、記憶していますが、この建造物の意味がわかりませんでした。
建てたれたのが1990年で、作者は備前焼の作家 故藤原雄さんです
近くで見てはじめて、説明文などあることを知ったのです

「御幸橋は 明治18年(1855)木橋として架けられた
昭和6年(1931)近代的な橋に架け替えられ 今日まで市の中心部と宇品地区を結ぶ交通の動脈として 大きな役割を果たしてきた。
日清戦争以来第二次世界大戦争終了まで 多くの兵士らがこの橋を渡り 宇品港から戦地へ赴き異国の地に眠った
また 昭和20年(1945)8月6日 世界最初の原子爆弾が投下されたとき この橋を渡って避難した市民も多い
広島の歴史を見守ってきたこの橋の2度目の架け替えが終わった 新しい橋の完成と被爆45周年を迎えるにあたり 失われたものへの鎮魂と平和 そして輝く明日への希望を込め この碑をここに設置する」

広島に住んでる人も知らん人多いはず・・



桜の季節はこの河岸は大変きれいです
しかし、過去の原爆という惨事を思うと、なんともいえない気持ちになります・・



この記事へのコメント

   
×

この広告は30日以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。