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2011年05月12日
壺屋焼 魚文八寸皿(重ね焼)(A18-8SB)
壺屋焼 魚文八寸皿(重ね焼)(A18-8SB)
価格 252,000円 (税込) 送料込

琉球陶器の系譜 人間国宝 金城次郎
沖縄の生んだ偉大な陶芸家、故金城次郎の作品には、おおかさ 温かさ・素朴さがみなぎり、見るものに感動をあたえてくれます。
金城次郎は、大正元年に壷屋のすぐ近く那覇市与儀に生れ、13才で陶工見習として壷屋の新垣栄徳窯に入門。浜田庄司・河井寛治郎らをはじめ柳宗悦を団長とする民芸調査団も度々沖縄を訪れ健康的な沖縄の民芸をきわめて高く評価しました。そして、金城次郎の仕事に早くから注目し才能を見出しました。次郎も琉球のやきものにこだわり、誰が見ても次郎の作品と判る作風を確立したのです。
終戦後は念願であった自分の工房を持ちます。昭和30年代には、国展・沖展で精力的に活躍し、名実共に中心的存在と成って行くのです。そして本土復帰の昭和47年沖縄で初めての沖縄県指定無形文化財の指定を受けます。開発が進み那覇の中心地となった壷屋(国際通り裏)では登り窯が焚けなくなり、あくまで琉球陶器の伝統にこだわった次郎は、読谷村へ移る事を決意しました。昭和53年1月浜田庄司が亡くなり、12月には、自身も高血圧で倒れ入院、病気を克服した次郎は、一番作り慣れた釘彫で掻く魚文一筋に作陶し、内地にも精力的に活躍の場を広げ多くの民芸フアンから高く評価されるに至ります。
昭和60年には、国指定重要無形文化財(人間国宝)に指定され、その独自の作風は強力な個性となり、一度見たら忘れないインパクトを与えます。昭和62年NHKのTV番組「美をさぐる・次郎さんの魚が笑っている」で特集され、次郎の魚文は一躍有名になりました。それ以降沖縄のやきものイコール魚文と思われるほど有名になったのです。





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