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国産スーパーカー

2000GT(2000ジーティー)

トヨタ自動車とヤマハ発動機が共同開発し、ヤマハへの生産委託で1967年から1970年まで

トヨタブランドで限定生産されたスポーツタイプの乗用車である。型式は「MF10」。

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2000GTはその成立過程での2社共同開発体制という特異性に加え

実車生産についても、ヤマハおよびその系列企業に委託されたこともあり

「果たしてトヨタが開発した自動車と捉えるべきか」という疑問が、愛好者、

評論家の一部によって呈されている。

自動車関係の書籍・雑誌では古くから、更に近年では個人によるブログ上などでも

(しばしば前後に、自社技術のアピールを目的として2000GTを市販したトヨタへの侮蔑的言辞を伴って)

「トヨタは2000GTの自力開発ができず、ヤマハが開発・生産したスポーツカーを買い取っていたに過ぎない」

「これは実際には『ヤマハ2000GT』というべきものである」とする辛辣な評、

更には「日産・2000GT試作車=トヨタ・2000GTの原型」と断じる極端な説までもがごく一部で流布されている。

このような批評や風説が生じた背景には、トヨタ側単独でのシャーシ開発期間がわずか数ヶ月間ほどで

開発作業期間としてはあまりに短すぎるのではないかという現実的疑問、

およびA550XとトヨタGTの開発時期がほぼ前後していて

ヤマハが日産からトヨタへと短期間で提携先を変えたという経緯の不明朗さがあり

自動車マニアや自動車ジャーナリズムが元々抱いていたトヨタの技術水準への疑念[3]と相まって

トヨタへの不信となって表れたものと見られる

このような経緯から、両社の開発分担が厳密にどのようなものであったのかについては

なお諸説紛々としているが、2000GT開発のプロジェクトリーダがトヨタの河野二郎であったことや

トヨタで行なわれた初期設計およびヤマハ発動機で行なわれた詳細設計に

トヨタ側のエンジニアが一貫して参加していた事実を勘案すれば、

「開発丸投げ」説は真相を正確に反映しているとは言えず、不適当と処断せざるを得ない。

また、ヤマハ発動機は2000GTの開発に中途参加した経緯があり、開発への関与は限定的であったため、

開発において主導的な立場をとれるものではなかった。

このことから、ヤマハ発動機側は2000GTの開発についての公式な言及を「ヤマハの技術供与」としている






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