2017年11月07日
今さら映画鑑賞記「悪魔が来りて笛を吹く」
「悪魔が来りて笛を吹く」(1979年)
何十年越しにようやく観たという感じ。名探偵・金田一耕助が登場する、有名どころの映像作品はたいがい観てるつもりなのだが、この作品だけはうっかりスルーしていた。子供の頃、映画のCMに登場する、フルートを持った悪魔のビジュアルがやたら恐ろしく、長いことトラウマになっていたせいもある。しかし、改めて今この悪魔を見てみると、うーん…。私の感性はどうやらどんどん退化しているらしい…。大人になるってさびしいものね。
そんなこんなで、この作品に関しては、先に原作の方を読むことになったわけだけれど、はじめてこの物語の世界観に触れたときは、いやはやそれはもう・・・なかなかの衝撃であった。
なるほどそれで、映画のキャッチコピーが「わたしはこの恐ろしい小説だけは映画にしたくなかった」とかなんとかいうことになってたわけだ。
「悪魔が来りて笛を吹く」は、おそらく、横溝正史が書いた一連の”金田一耕助”シリーズのなかでも、トップレベルにおぞましく、かつ、やるせない作品であり、と同時に、まごうことなき傑作であると個人的には思っている。それにしてもまあ、登場人物の人間関係の複雑なこと!この小説に限らず、横溝作品はとかくその傾向にあるけれど、それにつけてもこの小説は群を抜いてるんじゃないだろうか。私は、自分で実際に人物相関図を作ってみることなしには、頭の中がごちゃごちゃになり、とてもこの物語を読み進めていくことはできなかった。まあそういうとこが、横溝ワールドの醍醐味でもあるわけだけど。
話がすっかりそれてしまった・・・。さてさて、肝心の映画の方なのだが…
とりあえず、幼い私をあれほど震え上がらせたあの悪魔は、話の筋には全く関係していなかった。オープニングクレジット(しかもマネキンだったんかい…)と、本編中に幻像のようなかたちで一瞬姿を見せるだけである。(まったくもう)
そして、今さらながら気づいたのだが、この映画、東映ものだったんだな。どうりで夏八木勲とか、そこかしこに漂う東映臭。金田一耕助の下宿先の主人として登場する梅宮辰夫が、金田一の頼みを受けて、闇市で人探しに歩き回るシーンなどは、すっかり別物の映画のように(「不良番長」とか)になってて、思わず笑ってしまった。
そういうわけで、「犬神家の一族(1976)」や「悪魔の手毬唄(1977)」といったビックタイトルに比べると、大衆路線をゆく感じで、どうしても小品感は否めない映画ではあるのだけど、かといってそんなに悪くもないというのが率直な感想。ただ、謎解きの推理ものというよりは、男女の悲恋話に重きがおかれたつくりになっている印象で、そのせいか、このミステリーの最大のキモであるはずの、フルート曲に隠されたトリックのくだりが、すっかり端折られてしまっているあたりはちょっぴりさびしいものがあった。
西田敏行演じる金田一耕助も、適役か否かで賛否両論あったようだが、たしかに石坂浩二や、古谷一行のそれとはビジュアルをはじめ、だいぶ雰囲気が異なる印象だけれど、言うほど悪くないように思う。人情味あふれる感じのキャラで、個人的にはきらいではない。
しかしながら、キャスティング的なことでいったら、この映画において最も特筆すべき人物は、事件の舞台となる元子爵家の未亡人役を演じる、鰐淵晴子であるような気がする。出番は決して多くないのだけど、のっけの登場シーンから、それはそれは、匂い立つような強烈な存在感である。少女がそのまま大人になってしまったような、嬢ちゃん婆ちゃん的(もっともまだ婆ちゃんという年まではいってなかったけど)な感じが秀逸だし、退廃、背徳、淫靡といった、この物語の底流をなしているデカダンな空気を、もうなんか一人で体現しきっちゃってる感じだった。
鰐淵晴子といえば、子どもながらにも「きれいな人」というイメージは漠然とあったが、今改めて見ても、いやはや息を飲むようなお美しさである。ヨーロッパの貴族の家とかに飾ってある肖像画の女性みたい。
そんな彼女が、近年、この「悪魔が来りて笛を吹く」に出演したときのことに言及している興味深い記事があった。
(アサ芸プラス 2017年1月30日の記事より)
https://www.excite.co.jp/News/entertainment_g/20170130/Asagei_74293.html?_p=2
いろいろご苦労があったようだ。あれだけヘビーな役どころだものね。
しかし、女優さんっていうのはやっぱりスゴイな。腹がすわってて。
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